早寝早起きができない

こんにちは、出海です。
今日は、ひらめきラジオを聴いて、noteを書いてみようかなと思いました。

ひらめきラジオって知っていますか?私が所属しているオンラインコミュニティ、ライフエンジンの運営をしているjMatsuzakiさんとF太さんのお二人が、毎週月曜日の朝6時から、Youtubeで配信しているラジオです。ひらめきラジオはライブ配信と録音があるので、後からでも聴くことができます。

タイトルのとおり、なかなか早寝早起きができません。ひらめきラジオも、リアルタイムで聴くのは稀で、だいたいは後から録音で聴いています。先週の分は、さっき聴いたばかりです。

毎週、ラジオの最後にお題が出るので、お題を元にTwitterでツイートしたり、ブログを書いている方が多くいらっしゃいます。先週出されたお題は、「自分自身が抱えている問題について物語化し、ブログで公開しよう」というものだったようです。例えとして、早寝早起きができないことが挙げられていました。先ほども言ったように、まさに私に当てはまるお題なので、今回は取り組んでみようと思いました。

早寝早起き。私が苦手なものの一つだ。
こう書いてみて、改めて、本当か?と問い直す。だって、出張や朝早い予定があるとき、ピンポイントでは朝早く起きられているじゃないか。うん、過去には寝坊して遅刻という失敗もあるけれど、基本的には起きているはず。うーん。なんだかちょっと自信がなくなってきたけれど、まぁでもこうして生きているので大問題にはなっていない……はず。

そう、ピンポイントでの早起きは、たまにならできている。じゃあ早寝は?
どうだろう。夜遅い日が続いて、次の日に朝早い予定があるとき、私はちゃんと早く寝ているだろうか?
答えは否、早寝はできていない。大抵は、事前の準備が足りず荷造りに時間が掛かったり、明日はいつもよりめちゃくちゃ早く起きねばならない!という緊張感で寝付きが悪くなったりして、大体は睡眠不足だと思う。

ということは。私、早起きができないというよりは、早寝ができないのかもしれない。(そう、このnoteの投稿時間からもわかるように。夜中です。)
そして、早寝早起きができない、というよりも、「早起きが続かない」もしくは「早寝ができない」が正しい表現かなと思う。

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「早寝早起き」。これができないことを問題と認識したのは、一体いつだっただろう。最近はずっと感じている。どのくらい?ここ3年くらいか。ということは、一人暮らしを始めた頃だ。私は、大学院の博士課程に進学したと同時に、大学の近くで一人暮らしを始めた。
じゃあ実家にいた頃はどうしていたのか。大変お恥ずかしい限りだが、本当に毎朝毎朝、母親が起こしてくれていた。よくもまぁ、成人もした後も、さらには大学院生にもなった私をも、放っておかず起こし続けてくれたものだ。それが可能だったのも、母親が専業主婦で、私や家のことに数え切れないほどの時間を割いてくれたからだろう。母親には感謝しかない。

さて、よくよく過去を思い返してみると、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、大学院……私はいつもいつも母親に起こされ、なんとか遅刻せず学校に通っていたという感じな気がする。
中学から大学まで陸上部に所属していたのだが、大会の遠征で朝が早いときも全く同じだ。むしろ私の予定に合わせて母親が早起きするか、寝ないで起きているかの2択。大学1-2年生の頃の夏合宿なんかは、けたたましく鳴っているアラームでも起きず、同室の先輩に起こしてもらうような体たらくだった。随分と優しい人々に囲まれた人生だなと思う。

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そんな私も、3年前の4月は、初めての一人暮らしに柄にもなく浮かれていた。そして、ゴミ出しは8時までに行うというルールを守るために、平日は毎朝8時までには起きなきゃ!と、最初の2週間くらいは、まぁもう少しだけ見栄を張るなら1ヶ月近くは、ちゃんと早起きしていたと思う。
(8時で早起きという表現をするのは心苦しいが、今の私にとって毎朝8時に起きることがつらい以上、誰になんと言われようが、私にとっては8時でも早起きなのだ。)

じゃあ何で早く起きなくなったのか?答えは簡単。たまに寝坊して8時に起きれなかったり、午前中に家事をこなしているうちに、私は気づいてしまった。ゴミ収集車は自分の住む地区に8時には来ない。もちろん時間にばらつきはあるけれど、こんなに早く回収に来ることなんてないのだ。だいたい10時、早ければ9時半、遅くて11時過ぎのこともある。この事実に、私は気づいてしまった。

そして、私は早起きをしなくなった。

まぁついでに言うならば、一人暮らしの新鮮さも徐々に薄れて言ったことも要因の一つであろう。色々あるにせよ、私は3年前の5月くらいから、早起きが続かなくなった。

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さて、ここまでは早起きについて思いを巡らせてみたわけだが、じゃあ早寝についてはどうだろう。
中学の部活は緩かったけれど、高校は比較的練習がきつかった。今思えば、高校生ってよく食べるし体力もある。多少は無理をしても、体力でなんとかなっていたのだろう。大学の部活は練習日数が少なかったが、大学生の頃を思い返せば、気づくとリビングのカーペットに転がって寝落ちていることも多かった。そう、体力が尽きて寝落ちるというパターンがあったのだ。

そして、学部4年生で研究室生活が始まってからは、研究室に入り浸りに。研究が楽しくて、でも計画性がない私は、実験で遅くなったりして終電帰りもよくあった。どうしてもゼミの準備が終わらないときには、研究室で椅子を3つ並べて寝ていたものだ。

我が実家は、最寄り駅からは普通はバスを使うような位置にある。歩いたこともあるが、だいたい1時間半ほど。「駅まで迎えに行くから電話しなさい、心配だから夜は歩いて帰ってくるんじゃない。」つまり、終電に乗って帰るなら、父親に車で迎えに来てもらわねばならなかった。

終電で最寄り駅に1時過ぎ、帰宅して2時近い生活。それから夕飯を食べたり風呂入るのだから、寝るのは3時とか4時だ。そんな生活を送っていれば、そりゃあ当然朝も遅い。そう、3-4時に寝て、9-11時に起きるような生活だった。(それでも母親に起こしてもらっていた。)
文句も言わず迎えに駅まで来てくれた父には感謝しか無い。そして、こんな生活が可能だったのも、父は会社員ではあるがイレギュラーな働き方をしているお陰だろう。あらゆる要素が私を成り立たせてきたわけだ。

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さて、ここまで早寝早起きができないことについて、問題意識を感じるようになる前までの過去を振り返ってみた。そして気づいたことがある。私のこれまでの人生、両親、周囲の人々に支えられて、様々な要因が絡み合って、早寝早起きができない私の生活が成り立ってきたのだ。

そんな私が一人暮らしを始めた。そうしたらどうなるだろうか?

そう、早寝もできず、早起きもできない。当然じゃないか。
早寝早起きが苦手だと思ってきたけれど、当然だ。今年で28歳になる私だが、25歳までのほとんどの時間、つまり四半世紀にわたって、私は早起きするときは人に頼って生活してきたのだ。そして、早寝が続いたこともほぼない。睡眠時間が短くなったときは、運動部で培われた体力によってカバーしてきたのだろう。

大学院の博士課程に進学して以降、まともに運動もせず3年も過ぎている。体力の衰えをひしひしと感じている。つまり、体力ではカバーできなくなってきているのだ。そう、だからこそ、早寝早起きができず、睡眠時間が確保できないことを、真面目に問題として感じるようになったのかもしれない。

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なるほどなるほど。つまり、現時点での私には、早寝早起きという習慣も、早寝早起きを続けるという習慣もあるわけがなく、それに関する知識も技術もかなり不足しているのだ。頑張れば早寝早起きを実践して継続できる人、早寝早起きが習慣になっている人に比べて、天と地のような差があるのかもしれない。
だって、これは裏を返せば、「25年分の早寝早起きをしない習慣」が私にはあるということなのだから。

早寝早起きができない、続かないことについて、ちょっと悩んでいたのだ。この課題については、最近になって人を頼り始めたのだが、その相手にも、習慣化は気長にいきましょうと言われている。わかっちゃいる。それでも、やっぱり上手くいかないと落ち込んだりもしていたのだ。
だがここまで振り返ってみてどうだろう。正直、早寝早起きを続けられないのは当たり前だと感じる。だってそこには、四半世紀にわたる遅寝遅起きという習慣があるのだ。

だからといって、私は諦めるわけではない。やっぱり、継続的に早寝早起きをできるようになりたいのだ。だって、朝早い予定があるたびにストレスを感じるような生活、続けたくない。
とは言いつつ、課題解決に向けての取り組みは、また改めて考えることとしよう。問題だと感じている状態が引き起こされている理由が、はっきりとわかっただけで、大きな収穫ではないか。

私には、自力で早寝早起きをした経験が、全くと言っていいほどない。

じゃあどうするか。簡単だ、ここから始めていけば良い。
自力でできないなら、人に頼れば良い。しかし、自分でもかなり努力が必要だ。四半世紀にわたるの習慣を変えるのは、そう簡単ではないに決まっている。

どうやらついに、早寝早起きという課題に、真剣に向き合う覚悟を決める時が来たようだ。こんな私がどうなっていくかは、まだ誰も知らない。
どうなっていくのか、ちょっと楽しみである。

随分と長くなってしまった。でもとても楽しかった。ここまで読んでくださった方がいれば、御礼申し上げたい。
お題に取り組むのが遅かったため、文章を推敲したり、エピソードを厳選したり、そんな余裕はなかった。でもまぁ、それも一興だろう。

以上は、令和の時代を迎えたばかりの私が描く、「早寝早起きできない私」の物語。目を通していただき、ありがとうございました。

それでは、今回はこの辺で。
また私の気が向いたときに、お会いできればと思います。

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