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不換通貨論 ~忘れられた日本銀行券の正体~ #008(1章-08) 不換通貨の価値の源泉


不換通貨の価値の源泉

原価数十円の紙切れを一万円の価値の通貨にするのが不換通貨発行である。

ではいったいどこからこの不換通貨が持つ「購買力」、つまり価値が生じたのかというと、国が通貨を発行する際に発生する利益、「通貨発行益」がその財源になっている。

これは負担者(通貨の利用者)から見れば、既存の通貨の購買力が低下する、いわゆる「インフレ税」によってその購買力が徴収され、新たな通貨が生み出されたのだといえる。

(※インフレ税については後ほど詳しく説明する)

このようにして不換通貨を無限に発行することができる政府にとって、発行した通貨や、中央銀行が引き受けた国債を負債として扱う必要はまったくない。

現行の中央銀行制度に則って言えば、政府にとって日本銀行に対する負債ではあるのだが、日本銀行は政府にとって子会社に相当するので外部への負債のように扱うべきではない。

政府・日本銀行は債務でない不換紙幣を発行して通貨発行益(利益)を得ているにも関わらず、兌換通貨時代のやり方のまま、これを「預金債務(負債)」として認識し、存在しない借金に怯えているのである。

不換通貨は誰の「負債」でもない

現在、税収を超えて政府支出を行う際には、仕組み上、政府から中央銀行(日本銀行)に対する借金、国債として扱うことになっている。そのため通貨発行は国債発行となり、これが国の債務、つまり借金であると信じられている。

仮に借金であるならば、いつかは返さなければならないという感覚は当然であるし、際限なく借金が膨らんでいくことは不安であろう。将来のどこかの時点で膨れ上がった借金をどうやって返済できるのか想像もできず、国が破綻するのではないかなどと想像してしまうのだ。

そのため緊縮財政論者は増税と支出の削減を主張し、一般人はそれを受け入れる。

最近では、国債は返さなくてよい借金だと言うMMT(現代貨幣理論)も知られてきたが、それらも依然として通貨発行を負債だとして扱っている。

しかし何度も言うように「不換通貨」には兌換債務が存在しない。発行者自身は何との交換も約束していないし、何も預かっていない。そのため窓口で交換しろと言ってもせいぜい汚れた紙幣がきれいな紙幣になって帰ってくるか、両替をしてくれるだけだ。

町に出て通貨の債務者を探してもどこにも存在しない。

通貨には強制通用力があるが、そもそも「売らない自由」は許されているので、商品の販売を強制される人(債務者)はどこにも居ない。

したがって不換通貨に債権者はおらず、ならば当然それは誰の債務・負債でもない。

債権者も債務者もいない券

不換通貨には準備金や「正貨」を渡す約束(債務)がなく、国民同士の商品の交換を便利にするための道具を提供しているに過ぎない。

日本銀行には日本銀行券の所有者に対して果たすべき債務(正貨を渡す義務)がないのだから、不換通貨は債務・負債ではない。

「日本銀行兌換銀券」を持ち込まれたときに銀貨を渡さなければならなかった約束も、「日本銀行兌換券」を持ち込まれたときに金貨を渡さなければならなかった約束も、現在の「日本銀行券」には全く引き継がれていない。全く何の約束もない、名前の通りただの「券」なのだ。

積極財政を目指すMMT派からは「誰かの赤字は誰かの黒字」だとか、「政府(日本銀行)の負債が国民の資産」だとか、「資産や所得の裏には、必ず誰かの消費や投資と負債がある」などの主張を聞くことがあるが、これらも「通貨発行益」の存在を見落とした言説であり、不換通貨が政府にとっての負債であるという誤った認識の域を脱していない。

政府支出を通貨発行益で賄えば税収がなくとも財政赤字にはならない

そもそも不換通貨というものには、引き換えに渡すべき債務が存在しない。では、何が存在するのかと言えば「通貨発行益」である。この通貨発行益が政府支出に充てられることで損益が相殺されるのであるから、税収など無くとも財政赤字は発生しないことになる。

たしかに現代の中央銀行制度では「政府から日本銀行に対する負債」ではある。しかし日本銀行はその設立経緯や日本銀行法を見ても明らかに政府の支配下にあるのだから子会社のようなものだ。そこで、政府と合わせて統合政府として考えると、やはりそこに債務など存在しない。

政府も国民も「金」を通貨としていた兌換通貨時代には、政府は支出に充てるために国民から税で「金」を提供してもらわなければならなかった。兌換紙幣を流通させることは、発行者にとっては正貨を引き渡す債務(負債)そのものであった。

国内に、正貨と兌換できる「日本銀行兌換券」が流通している場合には、その紙幣の信用を崩さないためには最後の一枚に至るまで交換用の正貨の準備がされていなければならない。そのため債務返済のための正貨・準備金をどれだけ準備しておかねばならないか、兌換紙幣をあと何枚発行してよいか、回収しなければならないか、常に帳簿と金庫(金の準備量)を見ていなければならないことになる。

しかし不換通貨には兌換の債務を負うものが居ないのだから、これは政府の負債ではないし、通貨発行益を財源として支払うのだから財政赤字も存在しない。

なぜ不換通貨を負債だと誤って認識してしまったのか

現在、政府の通貨の動きはもちろん、大企業から個人事業主まで、貨幣の動きは主に複式簿記という仕組みで記録されている。複式簿記について詳しくない人にも分かりやすく説明すると、おカネの動きを記録するときに、必ずその原因と結果を記録するのが特徴だ。

たとえば「千円の借金をした」(原因)ことで、「現金で千円を手に入れた」(結果)と記録されることになる。

この仕組みの中で、日本銀行が日本銀行券を自ら発行して入手したときにも、これがどこから来たものなのか、その原因を記録しなければならないのだが、不換通貨となった現在でもなお、この自分で発行した日本銀行券を「預金債務(負債)」から生まれたものだと記録している。

発行した通貨が兌換通貨であれば、それは金庫に保管している準備金、正貨を引き渡す引換券なので、これは確かに日本銀行にとっての負債であった。通貨の所有者が紙幣を持ち込むと正貨を引き渡すことで債務の返済が完了する仕組みだ。

つまり兌換通貨の出所は借金なのだ。

しかし不換通貨には返済すべき債務がない。では不換通貨を入手するときの正しい出所(原因)は一体どこだろうか。それが先ほど説明した「通貨発行益」なのである。

通貨発行益を正しく認識する

詳しくは後ほど説明するが、日本政府および日本銀行は、この通貨を発行したときに生じる利益を認識していないので、通貨の出所を借金だと思い込んでいる。

ちなみに、驚くべきことにいったい誰からどうやって借りているのかも全くわからないままで、「銀行券は、日本銀行が信認を確保しなければならない『債務証書』のようなものであるという性格に変わりはなく、現在も負債として計上しています。」という強引な理由で負債に計上している。

借りた相手も不明、返済の約束も義務もない、こんなものを勝手に「負債」として計上していたのでは借金が減っていくはずもない。

この問題の解決策は単純で、この通貨の出所について、「預金債務(負債)」ではなく「通貨発行益(純資産)」として、認識の誤りを修正すればよいのだ。

それだけで日本政府やマスコミが騒いでいた「国の借金」の多くが負債から純資産に切り替わる。なにも帳簿をごまかそうというのではない。いま日本で起こっていることこそが、帳簿のつけ間違いなのであって、正しく認識すれば、負債など存在しないのだ。

そもそも経済学者は帳簿のつけ方を学んでいないし、税理士も通貨発行益を生み出せる政府の会計を学んではいない。

不換通貨の発行においては、政府の通貨発行益は政府支出を通じて国民の所得となる。

とくに自国民が政府をつくる、国民による政府であるならば(異民族、異教徒などによる支配的政府とは異なって)そこに国民と政府の対立などない。

借金は返すべきものだ。それは常識であり、それは正しい。

そして不換通貨は借金ではないので、どれだけ発行してもなにも返す必要はない。

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