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不換通貨論 ~忘れられた日本銀行券の正体~ #004(1章-04) MMT・租税貨幣論は正しいか

このシリーズはAmazonで販売中の不換通貨論を紹介していきます。KDP専売電子ブックとは一部内容・編集等に差異があります。


MMT・租税貨幣論は正しいか

最近よく耳にする現代貨幣理論、いわゆるMMT(Modern Monetary Theory)においては、裏付けのない通貨の通用力を保証するのは税の存在であるという考え方が一般的になっている。

「MMT現代貨幣入門」(L・ランダル・レイ)では、通用力について次のような説明をしている。

『現代貨幣』の大部分は金や外貨によって裏付けられておらず、さらにその利用を命じる支払い手段制定法が無くても人々に受け取られる。そうだとすれば貨幣はいったいなぜ受け入れられるのだろうか? 謎は深まるばかりだ。(中略)
あとで誰かにそっと渡すことができるという期待だけを頼りにその通貨を受け取る……確かに偽造通貨ならその通りだろうが、私は本書の読者にこんなバカバカしい理論で納得してもらおうとは毛頭考えていない。(中略)
我々は、「租税が貨幣を動かす」と結論付けることができる。(中略)
主権国家があなたに債務を課すがゆえに、あなたは主権国家の債務証書を受け入れる。

L・ランダル・レイ 「MMT現代貨幣入門」

しかし現実世界で我々が使っている世界中の通貨を考えるのであれば、それがそもそも兌換通貨として使用されていて、もともと手元にあったことを忘れてはならない。

第二次世界大戦後、1971年まで続いてきた「ドルと金の兌換」の停止がアメリカのニクソン大統領によって発表される(いわゆるニクソンショック)までのあいだ、「兌換通貨」として金の裏付けをもって通用して、すでに皆の手元にあり、通貨として使われていたものだ。

そして、ある日(日本では1973年の2月14日)それは一夜にして不換通貨となったのだ。

税がなくとも通貨は流通する

 貨幣・通貨というものはそもそも「税」など取られずとも、自然に発生して流通し始めるものである。たとえば、近年の例を挙げると第二次大戦下の捕虜収容所でも、また連合国軍に占領された沖縄でも、「タバコ」が通貨として利用されていたという事例がある。捕虜たちはタバコを貨幣のように使って自分たちの貸し借りをカウントしていた。捕虜たちは看守にタバコを税として納めるために看守から配給されたタバコを通貨にしたわけではない。

タバコであればまだ消費できる価値があるが、歴史に目を向ければメソポタミアの粘土で作られた貨幣や、貝殻やクジラの歯など、使い道のない通貨が多数存在している。

このようにして人間は取引の効率化のために、価値のない「通貨」を大昔から使用している。

貝という文字の元となったタカラガイが通貨として日本海から東南アジアに流通していた時も、この貝を流通させるために貝で税を納めさせたという記録は見当たらない。これらの通貨にも、交換を約束された商品は存在せず、時期によってその価値は変化した。たとえば銀31グラムを購入するために必要なタカラガイの数は1548年から1647年の約百年で、七千二百個から五万六千個に変動し、その価値が約八分の一に下落している。もちろんタカラガイは自然から採取されるものであって銀の量に応じて兌換通貨として発行されたものではない。

使用・消費できる商品価値を持たず、購買力の相場が変動する「不換通貨」は、商品・サービスの交換のために大昔から使われていた。

これらは当然「主権国家の債務証書」などではない。

また日本では私鋳銭という、民間が造った貨幣を交換用の貨幣として使っていた歴史さえある。

民間が造った貨幣といっても、そのすべてが現代の贋金(にせがね)のような目的で偽造されたわけではない。文字が書かれていない、一回り小さい、など見ればわかる程度のニセモノもあり、それらは人を騙そうという意図で作られたものではない。

「銭飢渇(ぜにけかち)」と呼ばれた通貨の不足への対策として、地域ごとに市場の需要に応じて通貨を制作する必要があったようだ。(※【飢渇(きかつ)】とは「食べ物や飲み物がない苦しみ。飢えと、かわき」の意)

価値よりも通用力が重要

また、「あとで誰かにそっと渡すことができるという期待だけを頼りにその通貨を受け取る」という説を裏付けるようなエピソードは多数存在している。

京都・相国寺の僧の日記によると、明応八年(1499)ころの日本人は、輸出品の対価として中国側へ「旧銭」を求め、「新銭」を嫌っていた。新しい銭はなぜ人々に嫌われたのだろうか。

おそらく、新しい貨幣はまだ受けとられた実績もなく流通量も少ないので、次に他人が受け取ってくれるかどうかを確信できない。逆に、見慣れたデザインの使い古された「旧銭」であれば、皆がそれを通貨だと認識しているし、実際に使われている覚えもあり、今後も他人が受けとるだろう、と予想できるからだ。

また偽造紙幣が盛んな中国では、現代でこそ偽造紙幣対策として電子マネーが一気に普及しているが、少し前までの中国では新札よりも汚れた紙幣が好まれたという。何度も使われて汚れている紙幣は、これまで多数の使用者に偽造紙幣でないと判断されて使用されてきたことが想像できる。つまり偽札ではない可能性が高いと判断できるからだ。

近年では、日本で新たに導入された「二千円札」がまったく定着せずに消えていったのを覚えている人も多いだろう。自動販売機でも個人商店でも使用できない場面が多く、そのために「使えないかもしれない」通貨だったので、それが本物の通貨であっても、税金の支払いに使える通貨であっても、それが定着することはなかったのだ。

高橋是清の『随想録』にも、岩崎弥太郎(三菱財閥創設者)の従弟(いとこ)である豊川良平が、田舎の商店で金貨を受けとってもらえず紙幣を要求され、金貨ではなく紙幣を持ち歩くようになった、という話が紹介されている。

これらのエピソードは、貨幣の通用力とは、それが何か(本物か)ということ以上に、将来自分が使える(と確信できる)かどうかが大きい、ということを示している。

手元にある通貨の真贋をいちいち疑い、受け取りや使用のまえに銀行に持ち込んでチェックする人はいない。

使用者にとって通貨とは、それが本物でも偽物でも、価値があっても無くても、兌換通貨でも不換通貨でも、自分が通貨を入手する際に提供した商品やサービスの価値と同程度の価値を持った商品やサービスを手に入れるため、「次の人に渡す」ことができればそれで足りるのである。

通貨利用者にとって通貨は「次の人に渡す」だけのもの

交換手段である「通貨・貨幣」は、目的となる「商品やサービス」の交換を行うために必要とされるのであって、政府や税がなくとも自然発生的に生じるものだ。

当然、手元に昨日まで兌換通貨として使われていた便利な「券」があれば、兌換が停止されても通貨の利用者にはほとんど問題が生じない。価値を下げるために回収して改鋳しなければならない金貨とは異なり、兌換通貨は発行者が兌換停止を宣言するだけで不換通貨になる。実際に恐慌や戦争などで歴史的に何度も金兌換の停止が行われているが、通貨は継続して使用されている。

貨幣が受け取られる理由はまさに、バカバカしいと否定された「あとで誰かにそっと渡すことができるという期待だけを頼りにその通貨を受け取る」が正解なのだ。

税の強制力で通貨が生まれた例もある

税という強制力(暴力)で通貨を通用させようという野蛮な話を聞くと、どうしても思い出してしまうのは、バビロニア、そしてコンゴの話だ。

紀元前330年ころアレクサンドロス大王に征服されたメソポタミアのバビロニア帝国は、それまでに発展していた信用取引から通貨制度が一新され、経済制度を強制的に改めさせられた。彼らはアレクサンドロス大王の金貨を流通させ、金貨で税を支払うように強制された。

また1890年ごろ、ベルギー支配下のコンゴでは、現地の人々に自動車タイヤ用のゴムを採取させ、ノルマを達成できないときには、労働者の家族、子供を含む女たちの手首を切断して見せしめにしていた。

労働者たちは、自分がノルマを達成できなかったときに備えて、自分の家族の手首の代わりに差し出すため、隣村の人たちを襲って手首を奪い、手首をストックした。

こうして手首は価値を持った「物品貨幣」となり、金品で取引されるようになった。商品にもなり、通貨にもなった。また、手首が「物品貨幣」となったことで、プロの手首集め屋まで現れた。これらは権力者に徴収されるモノが「通貨」になった例である。

欧米でのMMT議論において、植民地支配の歴史観が影響する可能性はあるのかもしれない。

一方で、税などなくとも貝や粘土やクジラの歯を使って、人間は商品交換を効率化してきた。

こうして税がなくとも不換通貨は使用されるのだから、税は、貨幣を流通させる要件では無い。



即時等価交換と時間差交換

もう一つ、「あとで誰かにそっと渡すことができるという期待だけを頼りにその通貨を受け取る」事について、その意味を考えてみよう。

人が見返りを期待して他人に商品やサービスを提供したときには、可能であればその報酬は、すぐに、提供した価値と同じだけの見返りを欲するだろう。つまり「即時に等価で交換したい」と考えるのが原始的な欲求だ。

しかしそれには様々な不都合がある。たとえば、取引相手を探すのが大変であることや、その商品ごとの特徴だ。1匹600円の(腐敗しやすい)魚をとる漁師が、1台300万円の(高額な)自動車を手に入れたいときに、五千匹の魚を一度に手に入れて自動車を買いに行く姿を想像すれば、それがどれほど難しいかすぐに判るだろう。

自動車屋に日々、五千匹の魚や、10トンの米、電子レンジ100台を抱えて交換に訪れる光景は現実的ではない。

そこで我々は豊かな暮らしのために、即時等価交換の夢を諦める。

それぞれは自分の提供する商品を共通の価値「通貨」に変え、間接的に、時間をおいて、欲しいものと交換する。

当然、魚やコメは収穫量に応じて価値を変えるし、それらを食して生活する職人が造る品物もまた、その価格に応じて価値は変動する。

そのため時間が経つほど、価格変動の可能性が高まり、「商品・サービス」を「通貨」に換えた当時と同じ価格であることは期待できなくなる。とはいえ、獲った魚が腐ってしまうまでの時間より、はるかに価値が長持ちすることは期待できる。


人が利便性や取引実現という大きなメリットのために、小さなデメリットやコストを受け入れる例として、商店主がクレジットカード払いを導入する場合を考えてほしい。

商店主は取引をより多く、安全に成立させるために、実際の入金までの少しの期間と、数%の手数料というデメリットを受け入れるのである。

これもまた、小さなデメリットを受け入れる例である。

通貨を使用する者は、即時等価交換の大きな制約から逃れるために、通貨のデメリットを受け入れる。そして「あとで誰かにそっと渡すことができるという期待だけを頼りにその通貨を受け取る」のだ。


 

課税がなくとも通貨(価値の尺度)は利便性のために必要とされる

主権国家による課税が無くとも、金の裏付けのない不換通貨が流通する実例を挙げよう。それは国際取引の場で見ることができる。金ドル兌換が終わった現在でも、世界は基軸通貨であるドルを利用して国際的な決済を行っている。

ニクソンショック以後のドルには「金による裏付け」はない。その意味でドルは国家間で利用されている不換通貨であるとも言えよう。しかし世界がドルを基軸通貨として使用している理由は、宗主国アメリカによって課税されているから、ではない。

通貨と言う「価値の尺度」がもたらす大きなメリットがあるのだ。

たとえばABCDE5か国がお互いに輸出入をする世界を想定し、通貨もABCDEとする。

貿易決済をすべて各国間の通貨交換で行うとしたら図①のように10通りの通貨交換にそれぞれ の相場が必要になる。そこでAを基軸通貨として、一旦Aに交換してから他の通貨に交換することにしよう。すると図②のように4通りの通貨交換に簡素化することができる。

こうして実際に国家間の決済においてさえ、アメリカと言う大きな市場が提供する将来の商品の価値を信じて、「金」の裏付けのない通貨が、徴税されることなしに、通貨として通用しているのである。

【資料図:基軸通貨の役割】

またこの事例は国際的な取引だけに限らず、日常的な商品の交換においても兌換か不換かに関わらず「通貨」が必要とされる理由でもある。

複数商品間の相場の数は、【商品数(商品数−1)÷2】となる。市場の商品が100種類に増加すると、100(100−1)÷2=4950種類もの商品相場が必要となる。

しかし特定の商品(例えば「金」)を通貨と定めた場合、【商品数−1】のそれぞれの価格を明らかにすれば足りる。つまり99品それぞれに値する金の量を決めるだけで良い。

品数が増えるほどこのメリットは大きくなるので、経済規模が大きくなると、通貨なしでの取引は困難になり、通貨が必要とされるのである。


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