Crow_of_Izusan

2021年7月3日 静岡県熱海市の伊豆山地区で発生した土石流災害で被災しました。 家族…

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2021年7月3日 静岡県熱海市の伊豆山地区で発生した土石流災害で被災しました。 家族は全員無事でしたが家は全壊、家の半径10m以内で親戚2名を含む4名が帰らぬ人となりました。 被災当時のことから復興に関すること、感情などを綴っていこうと思います。

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はじめに

はじめまして。 なにかのご縁でこのページに辿り着いていただきありがとうございます。 私は2021年7月3日、つまり6ヶ月前、熱海市伊豆山地区で発生した土石流災害の被災者です。 新しい年をお迎えしたばかりですが、明けましておめでとうございます。と言える気持ちではありません。 多くの方の命と、財産と、生活を奪ったあの土石流災害からまだ6ヶ月しか経っていないと思うと、やはり喪に服す期間であると思っています。 ここには、発災からの状況、心境を記載していこうと思います。 基本的には私

    • 死人に口なし

      こんにちは。いきなり物騒なタイトルで失礼します。 ここんとこ色々とある中で、ふとこの言葉が浮かんだのでそのことについて書いていこうと思います。 ・犠牲者の総意 今回あまり時間がない中で書いているので結論から言います。 犠牲者の無念は全員あるとは思いますが、それをいいように使っていることに違和感がありました。 「(責任の所在がはっきりしなきゃ)犠牲者は浮かばれねぇよ!」その人は市の職員にそう言った。でも俺はそうじゃない遺族を知っている。 一番付き合いがあった魚春さん親子。俺

      • 決断

        こんにちは。12月も中旬です。 働きだしてから時間の感覚が短く、もう年末か。という感じです。 ここのところ仕事も忙しく、1ヶ月半ほど毎週土日にも隙間なく予定が入っていたため疲れが出てしまったのか、今日は頭痛が酷く会社は休ませてもらいました。 その前(10月頃)に私達家族は〝伊豆山に帰らない〟という大きな決断をしました。今日はそのことについて書いていこうと思います。 ・当初の考え 被災当初、伊豆山に帰ることを考えていませんでした。 主な理由は2つ ・被災状況からして相当な時

        • 子どもを失うということ

          こんにちは。新しい職場で日々忙しく過ごしています。 帰るのは今は大体定時なんですが、家に帰ってから子どもたちの「パパ教えて」や「パパ見て」をこなしていると、なかなかnoteを更新することができない日々です。 でもそんな当たり前の生活が何よりも大事。 今まで私は「失ってから気付く」を繰り返してきた愚か者です。 でも家族は絶対にそうならないように気を引き締めています。 そんな中で今日のタイトルの話を少ししていこうと思います。 ・河本千奈ちゃんの事件から1年 発災から2年の記事

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        はじめに

          何が最適か?

          メディアでも報じられていますが、熱海市の復興事業の変更が話題になっています。 それについて少し書いていこうと思います。 ・最初の計画 復興検討委員会で予定された宅地造成は小規模住宅地区改良事業。というものでした。 かいつまんで説明をすると、被災した土地を市が買い上げて宅地造成を行い、再度戻りたい(住みたい)住民に売却する。という手法でした。 メリットとしては被災者自らが宅地整備をしなくてよいことや、区画がはっきりすることで景観が良くなる。といったところかと思います。 デ

          何が最適か?

          大きな変化

          前回の投稿で友人が他界した事を書きました。 そこでも少し触れましたが会社で希望退職の募集があり、3月末で退職し4月からは無職の状態となりました。 そのことを中心に書いていこうと思います。 ・転職活動序盤~中盤 昨年の6月頃から休職の期間を利用して転職活動をしていましたが、当初は箸にも棒にもかからないような状態で書類選考すら通過しない状況でした。 今まで何度か転職をしてきて百発百中とはいかないまでも、さほど苦労せず転職できていたのでかなり堪えました。 最初のうちは落ち込んで

          大きな変化

          禍福は糾える縄の如し

          再就職のこと、友達の病気のこと、想いや願いの事を書こうと思っていたんですが、書いている最中にその友人が亡くなったと連絡があり、一度全部消して書き直してます。 でもショックで全然書けないです。 多分まとまらないです。 希望退職に応募し、3月31日をもって退職しました。4月1日から無職です。休職は1年4ヶ月、昨年の5月頃から仕事を探しはじめやっと結実しました。 本当であれば心の底から喜びたいところですが最終面接の30分前、大学時代の友達から珍しく連絡があり、大学時代に一緒にいた

          禍福は糾える縄の如し

          個人的な復旧

          今日は3月30日、明日で令和4年度が終わりです。 今月の熱海は溢れんばかりの人、ひと、ヒト…駅周辺や銀座通りは歩道からはみ出しているし、ふら~っと道路を渡ってきたりするのでいつもより気を使います。平日も休日も変わらぬ人の多さでした。 でも今日はそれほど多くなかったですね。多分新年度に向けての準備でセーブしているのだと思います。 もうすぐ1年9ヶ月。段々と戻る目処が立ち始めている中でもまだまだうちの家族は戻ることが出来ません。ゴールの見えないレースだけど、今は先の計画を立てなが

          個人的な復旧

          罪の声

          タイトルの小説、ご存知ですか?グリコ森永事件(本作ではギン萬事件)をモチーフにした小説です。 内容はとあるテーラーの店主が自宅からギン萬事件に使われた音声テープと英語で書かれた手帳を発見し、その声の主が自分だと知ることから話が始まります。 同時期に新聞社で事件当時から35年という節目の企画で事件の記事を書くために取材を始める…というストーリーです。 映画も観て、大抵いつもは「小説のほうが濃くて面白いな」と思うのですが、映画も良かったです。 小説の内容を端折られることもなく、そ

          1年前の今頃

          遅くなりましたがあけましておめでとうございます。応急住宅で2回目の年越しです。 前回の年越しは少しずつ気持ちが上向いてきていたもののまだまだ気持ちが沈んでいて、とても新年を祝うという気持ちではなかった事を覚えています。そんな1年前の今頃のことを書いていこうと思います。 ・伊豆山に灯りを 2021年12月31日、伊豆山神社参道を灯りをともそう。というイベントの手伝いに行きました。 子どもと妻は木のコースターに願いを書き、私は伊豆山の厄年奉賛会の人たちとボンジャスの大土くんが

          1年前の今頃

          今を話そう会

          今年も残り10日を切りました。 秋の例大祭が終わってから、記事を書こうと思ってもなかなか手を付けられず、趣味を復活させるべく色々と動いていましたがまだ復活できずです。 趣味ができることも日常があってこそ。と改めて思います。 災害の事もそうですが、今は仕事復帰がままならない事でやりたいこともできない状況です。 仕事は会社の業績悪化により希望退職を募集することになり、それを受けようと思います。1年前に休職したときには会社に対し憎しみの感情が大きかったですが、今、自分の気持を棚卸し

          今を話そう会

          感情の動き

          前回、メンタルヘルスのことを書きました。 できるだけ客観的に自分を見て書きたいと思っていましたが、結局は自分のことなので主観的になってしまいました。 読み直すと自分自身としては不完全な内容だな。と感じているので改めて書き直していこうと思います。 ・被災直後の感情 以前も書いたと思いますが、一言で言えば「躁状態」でした。 親戚、隣近所の安否が気になっていましたが、基本的には「なにかやらなきゃ」という感情が強く、同級生のグループLINEで流れてくる情報を熱海に向かってきてくれ

          感情の動き

          忘れる ということ

          こんにちは。 前回投稿から2ヶ月も経ってしまいました。 今は今宮神社厄年奉賛会(御鳳輦)の活動で忙しく、書いている時間があまりとれません。 御鳳輦って熱海以外の人は聞き慣れない言葉ですよね。調べてみたんですがなかなか明確に「御鳳輦とは」と説明しているサイトがないですね。 多分厄年奉賛会の方が「厄年の人が奉仕する会なんだな」って想像しやすいと思います。簡単にいえばそういう事です。 前回投稿したときは夏真っ盛り。今日は冬を思わせるほどの寒さです。 被災地域の時は止まったままだけ

          忘れる ということ

          ワークショップ(町内会の話)

          今日は8月4日、昨日までは非常に暑い日でしたが今日は雨。 東北や新潟では大雨で最上川が氾濫したり緊急安全確保が発令されたりと、あの日を思い出すような事が起きています。 もし被災していなければ、対岸の火事だったと思います。 でも災害は誰の身にも降りかかること。と認識を変えなければならない時に来ている。 ハザードマップで自分の住んでいるところにはどんな危険が想定されているのか。自宅だけではない。会社や学校も同じです。知らないより知っておくほうがよっぽど良い。欲を言えば通勤・通学経

          ワークショップ(町内会の話)

          応急住宅

          前回の記事から少し時間が経ちました。 仕事のことでだいぶゴタゴタしていたのと、こがし祭りがあったりと良くも悪くも充実、していたのかなぁ?と思います。 仕事のゴタゴタで結構滅入っていましたが、こがし祭りに参加して皆と楽しく過ごしたことで気持ちも楽になりました。 厄払いができたのかな。なんて思ってます。 ・別々の生活 以前書いた通り、被災後は私は私の実家で、妻と子どもは妻の実家で生活していました。 お互いに熱海市街地なので歩けば10~15分程度で行き来できます。子どもがいなく

          災害から1年を迎えて

          2022年7月3日、一昨日になってしまいましたが災害から1年を迎えました。 まだまだ復興には程遠く、責任の所在も複雑化しています。 私自身、まだ1年、もう1年の両方が混在しています。1年は通過点としか思っていませんでしたが、当日の人の多さには1年前を思い起こさせるものがありました。 当時のことを色々と書きましたが、「起きたこと」について書いていることが多く、どう思ったか、どう感じたかをあまり触れていないと思ったので蘇ってきた感覚を書いていこうと思います。 ・市役所 報道な

          災害から1年を迎えて