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大きな変化

前回の投稿で友人が他界した事を書きました。
そこでも少し触れましたが会社で希望退職の募集があり、3月末で退職し4月からは無職の状態となりました。
そのことを中心に書いていこうと思います。

・転職活動序盤~中盤

昨年の6月頃から休職の期間を利用して転職活動をしていましたが、当初は箸にも棒にもかからないような状態で書類選考すら通過しない状況でした。
今まで何度か転職をしてきて百発百中とはいかないまでも、さほど苦労せず転職できていたのでかなり堪えました。
最初のうちは落ち込んで、そのうち手当たり次第に応募して、それでも書類選考すら通らない。面接確約オファーに応募しても採用見送り。熱海から離れるしかないのか…と思ったり、無理すれば通える範囲(富士や藤沢周辺)も選択肢に入れたりしていました。
それでも昨年末に採用したいと連絡を頂いたのですが、希望年収(通常勤務している時と同等の年収)より大幅なダウンとなる内容でした。
月10万以上の収入減少は多くの事を切り捨てなければならない。つまり伊豆山に帰るどころか自宅の再建すらままならない。
ちょっとした余暇も諦めなければならないような金額の提示でした。
妻とも話をしました。妻は「これだけ決まらなかったんだから、もうここで受けるしかないんじゃない?」という意見でした。
私自身、もうここで決めてしまえば転職活動を終わらせられる。という気持ちがありました。しかし収入とは別に、面接に伺った際の会社の雰囲気、内定承諾を返事をする期限より前に「回答はまだですか?」と催促の連絡が数回来たこと、面接をするたびに求人とは違う部署での採用に変わっていったこと。
そういった点があまり良い印象を持てなかったので辞退しました。

その後はハローワークの求人で希望条件にあてはまる求人がなかったことや、転職サイトの希望条件にあてはまる求人にほぼ応募し尽くしてしまったので応募していませんでした。
その期間に会社から連絡があり、希望退職の募集と条件の提示がありました。残っても通勤できる距離ではないし、その場で募集に応募することを伝えました。
会社都合の退職だし、退職金の上乗せや再就職支援もあり無職になることの不安はあまりなかったです。

・転職活動中盤~後半

潮目が変わったのはこの後からです。
転職サイトのCMで「えっ!?こんな企業から!?」というセリフがありますが、スタートアップ企業でしたが魅力的なオファーが何社か届いて「えっ!?こんな企業から!?」を本当に呟き、同時期に別の転職サイトのエージェントから連絡があって、その方が本当に親身になってくれて一気に「いい流れ」が来たと感じていました。
またその連絡を貰う少し前に再就職支援の申込みも完了し、そのエージェントともやりとりを開始しました。
「この流れを絶対に掴み取る」
そう強く思っていました。

・退職~無職期間を経て再就職へ

2月末からオファーがきた企業や紹介された企業へ応募、面接を受け始めました。これらの企業は4社。うち1社は勤務地の都合により辞退しましたが、もし独り身であれば転居も厭わない程魅力的な職務内容でリモートでも可能か相談したりしていました。
3社とも常用型派遣で結果的には熱海周辺に派遣先がないとのことで2社は不採用になってしまいましたが、1社は面接も通過し案件を待つ状態でした。
同時進行で再就職支援のエージェントと面談を進めている時に、転職活動を始めてから応募した企業の話になりました。
その中で「この企業は転職サイトで紹介があり応募をしたが、エージェントがこの案件は企業側から締め切ったと連絡があり応募ができなかった。でも今もまだ募集が出ているし職種としても自分にあっていると思う。もう一度チャンスがあるなら応募したい」
そう話すとエージェントが問い合わせてくれて書類選考、面接とトントン拍子に事が進みました。
先方もレスポンスが早く、書類選考や面接の翌々日には通過の連絡を貰えて短い無職期間を経て再就職となりました!

・振り返り、思うこと

一番最初に面接まで行けたのは確か9月ごろ。転職活動を始めて3ヶ月目という時期でした。
職務経歴書がブラッシュアップされていった。というのはありますが、それ以降面接に進めるのは1ヶ月に1社程度。それが2月末から一気に4社と面接、うち2社から内定という結果になりました。
何が原因で良くなったのか。それは自分ではわかりません。
世の中の経済状況であるとか、コロナの収束とか、採用活動が活発になる時期があったりとか、そんな要素が絡み合っていたのかもしれません。
ただ、これは再就職支援のエージェントにも言われたことですが「自分で掴み取ったチャンス」であったことは間違いないと思っています。
その為に助けてくれた人たちがいたり、自分の可能性を信じてくれた人がいた。でもその人達にすがるのではなく、自分で決めるんだ、自分でこのチャンスをものにするんだ。そう言った強い気持ちでいました。
再就職支援のパンフを見た時に「3ヶ月以内の再就職率70%」と謳っているのを見て「じゃあここに任せておけば大丈夫だな」と心のなかで一瞬楽観しました。でも違う。自分で頑張って、その前提があった上で手助けをしてくれるだけなんだから。とその甘えた気持ちに鞭を入れ「動くのは、決めるのは俺」と強く気持ちを入れ直しました。
流れやタイミングだけではなく、その気持ちがあったからこそだと思っています。

ただ、見えざる力と言うか巡り合せと言うか、少し不思議な感じがあります。
退職~無職期間を経て再就職へのところでこのように書いています。

「この企業は転職サイトで紹介があり応募をしたが、エージェントがこの案件は企業側から締め切ったと連絡があり応募ができなかった。でも今もまだ募集が出ているし職種としても自分にあっていると思う。もう一度チャンスがあるなら応募したい」

もしこの時応募を受け付けてもらっていて転職していたら、退職金も希望退職の上乗せもなかったし再就職手当も受けれなかった。
※再就職手当とは雇用保険を受給している人が早期に就職した際に支給されるものです
それに応募した時期を考えると面接~転職が御鳳輦の活動が佳境になっている時期と重なるんです。
御鳳輦の活動が終わるまで、応募した時期も本当の意味で精神的に安定していたとは言えなかった。
だから何か見えざる偉大な力が「もう少し待っていろ」とストップをかけたんじゃないかな?そう思っています。

・まとめ

復旧とは傷んだり壊れたりした事や物が元通りになること。マイナス状態がゼロに戻ることです。
復興はそこから更に積み上げてより良くすること。
以前個人的な復旧という記事を書きました。

このときは話が飛んで誹謗中傷の話になってしまいましたが、私生活の点では復旧は最低限完了した。ということを伝えたかった。
今回は災害から、社会人としての復旧ラインにやっと立てた。そう感じています。
通常であれば災害と仕事は別の問題です。でも私の場合はそれが同時期に起こってしまった。
別々であればここまで復旧に時間はかからなかったと思います。
でもだからこそ色々な人と出会い、色々な事を学べた。休職から無職、そして再就職までの1年6ヶ月は決して無駄ではなかった。そう思って社会復帰します。

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