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【小説】 手 垢

土曜お昼の番組「家ついていってイイですか」を何気に見ていて、散らかりっぱなしの部屋が映し出された。学生時代の友人Aのことを思い出した。

Aは4階建てのコーポの2階に住んでいた。バス、トイレ付きの10畳フローリングで、風呂トイレ共同の4畳部屋に住んでいたぼくから見ても羨ましい生活だった。その部屋の汚さを別にすればの話だが。

Aは兎に角、片付けの苦手な青年だった。部屋は所狭しと物が散乱しているのだが、全く気にならないらしかった。ただAが変わっているのは、それに加えて極度の潔癖症だったことだ。

例えば、ぼくの休日の楽しみの一つであった古書店歩きなんて絶対についてこなかった。古本なんて、誰が手にしたか分からないようなもの、触ると想像しただけでも鳥肌が立つと言っていた。

当時はまだブックオフのような綺麗な大型古書店は存在しなかった。大抵は小さい古書店で、大型の古書店はあっても倉庫のようなところだった。照明は薄暗く、人が二人通れるか通れない程度の通路に所狭しと本棚が並んでいた。ぼくの目当ては昔の漫画で、暇があると古書店に出向いていた。確かにAのような潔癖症にはとてもお薦めできなかったが、今となればその情景はかび臭い匂いと共に、ぼくの脳裏にしっかりとこびりついている。

その日の夕方、買い物がてらブックオフに寄ってみた。ついでに、もう読まなくなった80年代の漫画を数冊を売ってしまうことにした。入り口のレジで買取を申し込むと、20代くらいの細身の店員が査定してくれた。普通なら査定に10分くらい時間がかかる旨を伝えられるのだが、その日は持ち込んだ数冊の漫画を手元でくるりとまわして一瞥すると、すぐさま「残念ながら買取はできません」と言われた。

持ち込んだ漫画は確かにページが少々黄ばんでいて、所々に茶色いシミも付いていた。30年以上前のものだからそれは仕方あるまい。しかし、それだけで無価値になるのかと、暗然たる気持ちになった。

しかし、家路につく頃には、ようやくそのモヤモヤした気持ちも落ち着いてきた。考えてみれば、当たり前のことかもしれない。その漫画は今でも増刷され続けている。このような古本に価値はないのかもしれない。それならば長年読み込んだ愛読書はどうなるのだろうと、ふと思った。


50を過ぎてから、初めて小説を書いた。

どうしても書きたいものがあったからだ。しかし、出来たものは散々なものだった。その小説を書くにあたり、図書館で「小説の書き方」なるものを借りてきた。その本に、小説を書くためには兎に角たくさんの本を読みましょうと書かれていた。残念ながら、ぼくは多読ではない。どちらかといえば、同じ本を何度も繰り返し読むことを好む。

特に好きな本は読み過ぎてカバーがボロボロになり、背表紙の反対のページの部分(小口というらしい)は手垢がくっきりとついてしまう。ページも糊が剥がれてしまい、テープで留めた部分もある。このような本はブックオフに持って行っても、査定にかかることもないことは流石に分かっている。ようするに、なんら価値のないものだ。3人の息子に譲るといっても、おそらく誰も欲しがらないに違いない。ぼくが死ねば、いずれ火曜か金曜のゴミ出しの日に紙くずと一緒に捨てられるであろう。

そういえば、何度も読んだ手垢まみれの本のひとつはAに薦められたものだということを思いだした。ふと、面白いアイデアが頭に浮かんだ。

その手垢まみれの本をAに送りつけてやろうと思った。結婚式以来会っていないし、今では年賀状のやり取りしかしていない。Aもきっと驚くに違いない。潔癖症のAが届けられた本を手にし、さぞや困惑の表情を浮かべるであろうことを想像すると何だか笑えてきた。

本だけでは何のことか分からないだろうから、Aに手紙を書くことにした。購入しただけで一度も使っていなかった便箋を抽斗から取り出し、さて何を書こうか机の前でしばらく考えてみた。しかし、一つとしていい文句は浮かばなかったので「お前にこれをやる」とだけ書いた。レターパックで送ろうと思ったが郵便局は土日休みなので、それまでにいい文章が浮かんで来るやもしれない。そう思って、その晩は寝た。思いのほか、その日はよく眠れた。

次の日のお昼に「開運なんでも鑑定団」を観ていると、おもちゃ鑑定特集をやっていた。そこでは70年代に流行ったヒーローのおもちゃが驚くほど高額鑑定されていた。鑑定士が「こういうおもちゃは遊んで壊れたりすることが多いのに、箱付きでまったく傷んでいないのは本当に珍しい」と褒めていた。

何だか突然白々しい気分になり、Aに手垢まみれの本を送りつけてやろうと思ったことが馬鹿らしく思えてきた。そして、机に置いてあった書きかけの便箋を手で丸めて、すぐ傍のゴミ箱にひょいっと投げた。ところが、紙くずはゴミ箱の角にコツンと当たり、箪笥の隅に転がった。

そういうわけで、今も手垢まみれの本は手元にある。



(おわり)


ヘッダー画像は川口竜也さんの画像をお借りしました。ありがとうございました♪


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