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中二病(ちゅうにびょう)

「中二病」について考える。

もちろん、これは病気ではなく、ラジオパーソナリティーが作った造語だそうであるが、思いあたる節がないでもない。

中学2年生といえば、ちょうど少年が青年になる第二次成長期にあたる。体の変化が急激に現れ、戸惑いながらも成長過程の自分と折り合いをつけることになる期間ともいえる。

ぼくは中学校にあがるころ、急に身長が高くなり、運動能力も(元の自分と比べればであるが)段違いに伸びてきた。以前、まったく勝てなかった子に100m走でなんなく抜き去ることができるようになり、自分でも驚くばかりのことが何度か起こった。そこで、ひょっとして自分は何でもできるようになったのではと大いに勘違いをすることになる。

そんな中学1年生の秋に体育祭が開かれたのだが、なぜか今となってはわからないが、「竹馬競争」という種目が追加されることになった。自分はなんでもできると勘違いしていたぼくは一度もやったこともさわったこともない「竹馬競争」なるものにいたく興味を示し、その選手のひとりに立候補した。おもえば、ほんとうに馬鹿なことをしたものである。

いくらなんでも一度くらいは竹馬に触ったほうがいいのではないかと、当たり前ながら思い返したぼくは、運動会前日に友達と練習してみることにした。ところが、大方のみなさんが想像したように、まったく竹馬なるものに乗れないことに気が付いた。当然ながら、一歩も前に進めない。校庭トラック200mの100m分を竹馬で走り抜けるなぞ、不可能中の不可能であることが今更ながら判明した。

ぼくは自分の馬鹿さ加減にほとほと呆れた。今から振り返れば、これが「中二病」のようなものだったのかもしれない。そうなると、ぼくがやらなければならないことはおのずと決まってくる。ひとつはそれでも明日までに何とか乗れるように猛練習することである。もうひとつはあきらめて学校中のみなさんに恥をさらしてつまずきながら、転びながら、100mトラックをのたうち回ることである。

ところが、ぼくはそのどちらも選択しなかった。そこが「中二病」というやつの恐ろしいところだ。ぼくは明日の運動会がなんとか中止になることを願った。できれば雨が降って中止になったりしないだろうかと天気予報に一縷の望みを託してニュースを見ると、きらきらとしたおひさまマークの「晴天」と出ていた・・・。

万事休す

ぼくの辞書にその言葉が書き加えられそうになった。しかし、それでも「中二病」のぼくははじめて神様に「明日、雨にしてもらえないでしょうか」と祈るような思いでお願いした。

翌日、嘘のような話であるが、西の空から黒雲がやってきて大雨が降りだし、体育祭は中止になった。ぼくの竹馬競争は言葉通り、水に流れた。



8月11日、「山の日」ということで、カンナビ山のひとつである、大船山に登ろうと出かけたことを書いた。

結局、登り口が分からず、そのときは諦めて大船山近くにある「立石神社」に参拝した話をした。

そこで立石神社が大国主命の孫神「多伎都比古命(たきつひこのみこと)」を祀っていることを知る。多伎都比古命(たきつひこのみこと)は雨乞いの神様として知られており、ここで祈祷すると必ず雨が降ってきたという。

ということは、ぼくがその昔、中二病だったころに願いを叶えていただいたのはこの多伎都比古命(たきつひこのみこと)だったのではないかと改めて思い出すこととなった。

そうなると、立石神社で大船山に登ることを誓ったぼくとしては、時を置かずして登山するしかないと思うようになった。

そこで8月14日に再度、大船山に挑戦することにした。

大船山(標高327m)

今度はネットで登山口を十分調べていったので、すぐに入り口が分かった。

標高327mの大船山である。ぼくは軽く考えていた。あっという間に登れるに違いないと。調べてみると30分で頂上にたどり着くとある。

楽勝だなと簡単に考えていたぼくは、登山5分にしてそれが大きな間違いだったことに気付くことになる。標高が低いだけに登山道はなだらかにできていないのだ。45度はあるんじゃないかという(ほんとうは20~30度くらいだろう)急こう配の山道を登ることになった。

あまりに急な場所はロープがかけてある

5m登るたびに息が上がり、小休止。これでほんとうに頂上までいけるだろうかと不安になる。しかし、子供の頃に助けていただいた多伎都比古命(たきつひこのみこと)の御霊が眠る烏帽子岩(えぼしいわ)があるとなれば、登らざるを得ない。

はぁはぁ、ふぅふぅを繰り返し、何度か断念しそうになる脆弱なこころを励まし励まし、ようやっと大船山頂上にたどり着いた。かんじんの烏帽子岩(えぼしいわ)はどこ?

あたりが開けてきた
ここが大船山山頂、山頂標識は倒れていた

しかし、鳥帽子岩はまだまだこの先だと看板がでていた。頂上に登ることでさえやっとの思いだったのだけど、さらにそこから10分くらい尾根を歩くことになる。

岩が増えてきた。この小さな岩はそれぞれ小さな石神なのだという。そんな石が尾根の随所にみられた。余裕があれば、それぞれの石を愛でながら進みたいところであるが、すでに体力は限界に近くそんな余裕があるはずもなかった。残念至極である。


突如、このように開けた場所に出た。烏帽子岩はもうすぐのようだ。

ところがそこから悪夢のような光景が現れた。こんどは本気で45度はあるのではと思われる傾斜をロープ伝いに降りないといけなかった。すでに足はふらふらなのにこの急勾配にはさすがに参った。もしこれが縁もゆかりもない場所であれば絶対引き返していただろう。

最後の力を振り絞り、崖から落ちないようにロープを握りしめながら降りていくとようやくそれらしき岩が見えてきた。


多伎都比古命(たきつひこのみこと)よ、こんなところに御霊を眠らせるなよと思わないでもないが、これくらい苦労して見つけてこそ雨を降らしてくれるというものだという気がしないでもない。

そう考えると、これは一連の儀式のようなものにも思えてくる。「中二病」だったぼくがすっかりお礼も忘れてのうのうと生きてきたことを思えば、多伎都比古命(たきつひこのみこと)も今頃来たのかと苦笑いしているにに違いない。

烏帽子岩から見える谷はきっと多伎都比古命(たきつひこのみこと)に今も守られているのだろうなと思った。

風が涼しくもあり、いい気持ちになってしばしこの光景を飽かず眺めたが、これから戻る険しい道のことは一瞬であるが忘れていた。

車に戻った時はこれほど出るのかというくらい汗でびっしょり、ぐったりのぼくだったことはいうまでもない。



今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

ぜひ、みなさんも大船山登山にチャレンジしてみてください ♪

雨ごいの神様・多伎都比古命(たきつひこのみこと)も雨を降らせてお待ちしています(それじゃあ、登れないか)



こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。

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