「語り」「視点」ってなんだろう

こんにちは。文学の騙り部のちくわです。「語り部」ではなくて「騙り部」ですので、たまに嘘とか言いそうですね!

さて、今回は文学作品全般について。小説とか読む人向けのお話です。

まず、物語なり小説の「語り」ってなんだろう。文字通り、「その物語を語っている者」である。

例えば以下の二つの文章を見てみよう。

【文章①、夏目漱石『坊っちゃん』】
 おやじはちっともおれを可愛かわいがってくれなかった。母は兄ばかり贔屓にしていた。この兄はやに色が白くって、芝居の真似をして女形になるのが好きだった。おれを見る度にこいつはどうせ碌ものにはならないと、おやじが云った。乱暴で乱暴で行く先が案じられると母が云った。なるほど碌なものにはならない。ご覧の通りの始末である。行く先が案じられたのも無理はない。ただ懲役に行かないで生きているばかりである。

【文章②、夏目漱石『三四郎』】
 しばらくすると「名古屋はもうじきでしょうか」と言う女の声がした。見るといつのまにか向き直って、及び腰になって、顔を三四郎のそばまでもって来ている。三四郎は驚いた。
「そうですね」と言ったが、はじめて東京へ行くんだからいっこう要領を得ない。
「この分では遅れますでしょうか」
「遅れるでしょう」
「あんたも名古屋へお降りで……」
「はあ、降ります」
 この汽車は名古屋どまりであった。会話はすこぶる平凡であった。ただ女が三四郎の筋向こうに腰をかけたばかりである。それで、しばらくのあいだはまた汽車の音だけになってしまう。

文章①は一人称語りであるし、文章②は三人称語りである。三人称語りには大きく分けて二つある。三人称限定的視点と三人称全知的視点だ。

前者は「三人称語りだが、心中に関しては一人に限定された視点」であり、後者は「誰の心情でも語りうる神の視点」である。

一人称視点であれば、世界の認識をするのは「語り手≒視点人物」である。故に、その人物の認識とその他の視点を想定した時の認識とにギャップがあった場合、読者は視点人物の認識に引っ張られる訳である。

『坊っちゃん』を読んだ人の多くは『坊っちゃん』については「武勇伝」のような印象を受けるだろう。ところが、三人称視点で考えた場合、実際のところ「エリートが都落ちした上に都落ちした先のど田舎でも敗北する」という情けないことこの上ない話なのである。

「語り得ぬもの」については沈黙……するのではなくて、そこを心内で補うのが小説内の登場人物である。一人称視点なり三人称限定的視点では、登場人物の心内に読者の認識する物語世界が引っ張られる、といった具合だ。

こうした意味で「語り≒騙り(=詐術)」な訳である。さらに、夏目漱石の弟子である芥川龍之介は、「語り」を次のように使っている。

【文章③、芥川龍之介「羅生門」】
 ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
(中略)
 作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない。ふだんなら、勿論、主人の家へ帰る可き筈である。所がその主人からは、四五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町は一通りならず衰微していた。
(中略)
 下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を数えるばかりである。下人は、剥ぎとった檜皮色の着物をわきにかかえて、またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。
 しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って行った。そうして、そこから、短い白髪を倒にして、門の下を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。
 下人の行方は、誰も知らない。

「作者」の存在が明示される訳である。しかも、注意したいのは、「作者は〜と書いた。しかし〜」というような形で、「語り手=作者」であるとは読みにくい形で記されている上に最後、「しばらく」以降、「下人」の側にいた視点は「老婆」の側に移った上で「下人の行方は、誰も知らない。」と結ばれる。最後、敢えて語らないのである。

なお、同時代、作者が明示的に現れる作品としては他に志賀直哉「小僧の神様」が挙げられるが、そちらは「作者」が「この後の展開が思い浮かばない」と打ち切る形で物語が閉じられる、といったものだ。

そして、芥川龍之介の作品で一番といっていいほど「語り」が効果的に用いられているのは、「藪の中」であると思われる。引用すると長くなるので、引用はしないが、「証言」という形で幾人もの人物が其々矛盾する内容の語りを行う、といったもの。

こちらは黒澤明監督の映画「羅生門」の中の一作品として発表された。その手法が“Rashomon effect”という映画用語になってるほど、この視点の用い方は斬新だった。

なお、現代においては「藪の中」のオマージュ作品として西川美和監督の「ゆれる」が映画と小説として発表されているので、ご興味のある方はご覧いただきたい。

近代文学において、「視点」なり「語り」について形が定まってきたのは明治後期くらいである。それまでは「半話者」といった形で、古典文学作品と大差なかった。明治後期というと、夏目漱石なり森鴎外なりが活躍した時代である。

何故その小説の「語り手」なり「視点」がその形なのか、別の視点だったらどのように描かれるのか気にして読むのもまた楽しいものだと思う。

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