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これぞ謝肉祭。バザス、牛の饗宴

France Bazas

フランスのワインの産地、ボルドー地方の南部にバザス(Bazas)という村がある。
ボルドー市から南東へ約50キロメートルに位置するバザスは、18世紀末のフランス革命時まではサンチャゴ・デ・コンポステラの巡礼路の重要な宿場町の一つで、司教座教会(Cathedrale)が置かれていた。
フランスのグルメたちには「バザス牛」が有名で、希少な肉牛であることから、この地はまさに垂涎の的である。
1283年から毎年、マルディ・グラ(Mardi Gras "脂の火曜日"の意味。四旬節前の火曜日を指す)の前の木曜日、ジュディ・グラ(jeudis gras "告解の木曜日"の意味。2023年は2月16日)に「脂がのった肉牛祭り(Fête des Bœufs Gras)」と大ステーキ・パーティが開催される。

フランス南西部、スペインと国境を接する地域はフレンチ・バスクと呼ばれる。
バザスは、フレンチ・バスクに近いことから男性はベレー帽に毛皮のジレ、女性は大きな麦わら帽に赤いスカートに黒のジレのバスク風の民族衣装を着た老若男女のグループ、民族楽器を奏でる楽団が肉牛たちのパレードを先導する。
旧市街ではバザスのブラスバンド、鼓笛隊が演奏し、パレードを待ち構えていた。

この日の朝、バザス周辺の肉牛畜産農家からトラックにのせられて、14頭のバザス牛が到着。
午後、バザス牛の品評会があり、その前に肉牛たちが旧市街を行進するお披露目パレードがある。

パレードは品評会の顕彰式が行われる大聖堂広場(Place de la Cathédrale)へ。
品評会の結果発表前にボルドーから来た司祭による出品されたバザス牛たちの祝福がある。
フランス革命までは司教座教会があったバザスもナポレオンによる宗教弾圧、その後の人口減少に伴い、ボルドー教区に組み込まれたため、司祭はボルドーから出張してくる。
バザス牛祭りは、13世紀末のバザス司教が大の肉好きで、断食の四旬節が始まる前にバザスの肉牛畜産家たちが司教に肉牛を1頭プレゼントしたのが始まりだ。
バザスの守護聖人は、洗礼者聖ヨハネであることから、6月24日の夏至の日、洗礼者聖ヨハネの日にも同様の祝祭事がある。

毎年バザス牛の品評会の顕彰式が行される。バザス牛は単一品種ではなく混合種、いつかの肉牛の掛け合わせなので特徴は明確でない。一般的に灰色の小ぶりの肉牛で、肉は脂身が多い霜降り肉。バザス牛は、もともと農耕機具を牽引する農耕牛だったが、農業の機械化とともに脂身が多い引き締まった肉であったために肉牛として扱われるようになった。

毎年、品評会の最優秀畜産農家賞(La meilleur eleveur)の受賞常連者、 ローラン・グルゥサン(Laurent Groussin)氏のバザス郊外にある牛肉店とグルゥサン氏の畜産農場。
グルゥサン氏の牛たちへの愛情が感じられる。バザス牛の体重は、1頭800キログラムから1トン。

肉牛たちの表彰式の後、ジュディ・グラの19時半から市内の体育館を会場に大ステーキ・パーティが始まる。
会場前では煙をモンモンと上げながら、バザス牛が炭火で焼かれている。
会場前から肉牛の炭火焼きの匂いが漂い、もう涎と胃袋がグーグー鳴り始める。

約400人収容の会場は開場と同時に満席。
大ステーキ・パーティはバザス市の観光局を通じて予約が必要。
前菜、スープ、ステーキ、デザート、そしてボルドー・ワイン飲み放題で、何と35ユーロ(約5000円)。

ワインだけではなく、ステーキも食べ放題。何度もお変わり可能……、と言っても最初のステーキがすでに400〜500グラム。取材に同行してくれた若い自薦ボランティア・アシスタントたちもお代わり一回で撃沈の様子だった。
ダンス・パーティもあり、食べては飲んで、飲んでは踊り、深夜1時頃までステーキの大饗宴は続いた。

食べるほどに、飲むほどに周囲のフランス人と打ち解け、私の拙いフランス語でお喋りをしていると、ボルドー市からステーキの饗宴に参加しているという女性が、ボルドーでは赤ワインをこんな飲み方をするのを知っている?と。
スープの皿にやおらワイン・グラスの赤ワインを入れて飲んだ。シャブロ(Chabrot)と言う飲み方だそうで、旦那様は、ワイン壜から直接スープ皿に赤ワインを入れて飲んでいた。
南フランスとロワール地方北部の飲食の慣習らしいが、今では忘却の彼方行きの危機にあるそうな? 後ほど、別の紳士、淑女風のフランス人夫妻が、あんなことをやるのは今や田舎のジィサン、バァサンしかいないし、決して上品な飲み方ではないので、人前ではしない方が良いよ、と注意してくれた。
イヤァ……、トンだ赤っ恥をかくところだった!

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