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ジャズ・フュージョンベーシスト/ミュージシャン『ジャコ・パストリアス』について①1975~1976

以前投稿したこちらの記事が評判がいいので、

これから不定期に『ジャコ・パストリアス』についての記事を投稿しようと思います。

こちらの『デヴィッド・ボウイ』についての記事同様、音楽活動の歴史を振り返るような内容になります。

また記事の内容は以前に作成した僕のブログをもとに、もう少し詳細にした内容にしようと思っています。

Jaco Pastorius.ジャコ・パストリアスを紹介!1st Solo Album”Jaco Pastorius”Donna Lee”,”I’m Best Electric Bass Player!”「僕は世界一のベーシスト!」僕がリスペクトするミュージシャン紹介シリーズ9-①(’76Release) | jacoのブログ(日記、Blog)Jaco Pastorius.ジャコ・パストリアスを紹介!1st Solo Album"Jaco Pastorius"Donna Lee","I'm Best Electric Bass Player!"「僕は世界一のベーシスト!」僕がリスペクトするミュージシャン紹介シリーズ9-①('76Release) > jacoのブログ(日記、Blog)Jaco Pastorius.ジャコ・パストリアスを紹介!1st Solo Album"Jaco Pastorius"Donna Lee","I'm Best Electric Bass Player!"「僕は世界一のベーシスト!」僕がリスペクトするミュージシャン紹介シリーズ9-①('76Release) > jacoのブログ(日記、Blog) みなさん、こんにちは! 僕のリスペクトするミュージシャン紹介シリーズも、今回で9回目です。 今回はJAZZ・フュージョンベ jacotosh.com

良かったらブログも読んでみて下さい。

おそらく唯一と言っていい、公式の『ジャコパス』伝記本。

※この本もかなり参考にしました。

そしてwikipedia

生い立ちなどの紹介は、長くなるので簡単に触れておきます。

本名は『ジョン・フランシス・パストリアスⅢ世』だけど、子供の頃から家族も兄弟も友達も『ジャコ』と呼んでいたらしい。
そのほとんどが『ジャコ』が本名だと思っていた。

1951年12月1日、ペンシルバニア州ノリスタウンに生まれる。

ジャコが7歳の時にフロリダ州フォートローダーデールに移住。

幼少の頃からドラムをやっていてアマチュアバンドでもドラマーだった。

13歳の時にフットボールの試合中、左手首を骨折してしまいドラムを続けることが難しくなり、ベーシストへ転向した。

子供の頃から『Jocko(ジョッコ)』と呼ばれ、アパートの隣に住んでいた音楽仲間のアレックス・ダーキィがフランス風に『Jaco』 と綴った所これを気に入り、それ以降自分の事を 『Jaco 』と名乗るようになった。

デビュー前の活動については、

こちらの記事で少し触れています。

かなりの実力がありながらも不遇時代が長く、デビューは25~6歳の時。

1975年

『ブライト・サイズ・ライフ』パット・メセニー ECM

フュージョン・ギタリスト『パット・メセニー』のデビューアルバムにベーシストとしてフル参加したのが、ジャコにとっても公式デビューになる。

※二人はアマチュア時代からの親友。ジャコとパットは同じマイアミ大学で生徒ではなく教鞭をとっていた。

全編パット・メセニー(ギター)、ジャコパス(ベース)、ボブ・モーゼス(ドラム)のトリオ編成。

Bright Size Life.

Spotifyリンク

Apple Musicリンク

表題曲1.Briht Size Life、3.Unity Village.を聴いて欲しいと思ったけど、Youtubeリンクが貼り付け禁止になっていたので。

同年(1975年)

当時のジャコパスの妻トレイシーの縁で、ブラッド・スェット・アンド・ティアーズ(BS&T)のドラマー『ボビー・コロンビー』と知り合う。

コロンビーは西海岸でトレイシーを見かけ、ナンパしたところ、彼女の夫はベーシストだという。
トレーシーは「ぜひ夫ジャコのベースを聴いてほしい。彼は世界最高のベーシストなんです」とコロンビーに懇願。
当時コロンビーに対してこのような売り込みはうんざりするほどあった。
そしてせっかくナンパしたのに結婚していたことに対しての、憂さ晴らしも合ったはず。
コロンビーは暇つぶしに、トレイシーの夫を笑い物にしてやろうと「生で聴いてみたい」と承諾。

翌日オーディション会場であるクラブにジャコパスが登場。
ジャコは裸足で、両脇にベースとバスケットボールを抱えていた。
コロンビーはジャコが『予想通りの人物だ』と確信。

コロンビーはジャコに皮肉を言った。
「君が世界最高のベーシストか?会えて光栄だよ」

ジャコはベースをアンプにつなぎ、弾き始めた。コロンビーは座って聴いているうちに、目ん玉は飛び出し、髪の毛が逆立つほどの衝撃を受けた。
彼は本当に世界最高のベーシストだった。

この時点までジャコパスが誰にも見つかってなかったのが不思議なくらいです。

そしてボビー・コロンビーのプロデュースで、初のソロアルバムのレコーディング。

1976年

1stアルバム『ジャコ・パストリアスの肖像』 CBS

翌年(1976年)、初ソロアルバムリリース。

1.Donna Lee.

衝撃的すぎるアルバム1曲目。全編ベースのタッピングソロで、バックにコンガのリズムのみ。

Donna Lee.Charlie Parker.

こちらがオリジナル、『チャーリー・パーカーのドナ・リー』

2.Come On,Come Over. ※Youtubeリンク貼り付け禁止

サザンソウルの名門STAXレーベルのスター『サム&デイブ』をメインボーカルに迎えた、ファンキーなソウル曲。

Hold On,I'm Coming.Sam and Dave.

Best of Sam & Dave.

こちらはサム&デイヴの代表曲。

3.Continuum.

メロディアスな良曲で、個人的にすごく好きな曲です。

ジャコパスのベースによるメロディとリズムの同時展開。
ジャコの弾く1台のベースがリズム、メロディ、ハーモニーを同時演奏で展開。

4.Kuru/Speak Like A Child. ※Youtubeリンク貼り付け禁止

荘厳なオーケストラアレンジのイントロ、続くベースの速弾き。

途中で転調し何度か浮かび上がるようにハービー・ハンコックの"Speak Like A Child"のメロディ一の短い1節。

ハービーもこのアルバムにピアノで参加しています。

Speak Like a Child.Herbie Hancock.

こちらはハービー・ハンコックのオリジナル『Speak Like a Child』

5.Portrait of Tracy. ※Youtubeリンク貼り付け禁止

ジャコパスの当時の妻『トレイシー・セクストン』に捧げられた曲。

指で低音弦を耐えずタップする技法。そしてベース以外の楽器は使われていません。

6.Opus Pocus. ※Yotubeリンク貼り付け禁止

曲のアレンジに当時としては珍しかったスティール・ドラムを使っています。

もともとジャコは13歳まではドラマーを目指していたし、フロリダで過ごした影響もあって、その後の作品にもスティール・ドラムはよく使われます。

7.Okonkole y Trompa.

1曲目Donna Leeと同じでコンガのリズムに合わせて、ベースをタッピング。

ピーター・ゴードンのフレンチホルンの牧歌的な音色も特徴の曲。

8.(Used To Be A)Cha-Cha. ※Youtubeリンク貼り付け禁止

ヒューバート・ロウズのフルートとピッコロが印象的だけど、メインはジャコパスのベースと、ハービーのピアノのセッション。

9.Forgotten Love. ※Youtubeリンク貼り付け禁止

邦題『忘れ去られた愛』

ジャコパス本人が主旋律であるピアノを弾いています。

また1975年12月からは『ウェザー・リポート"Weather Report"』にもベーシストとして参加。

ウェザーのリーダー、『ジョー・ザヴィヌル』には以前からデモテープを送るなどして、ジャコはウェザーにベーシストとして参加したいと伝えていた。

ちょうどこの時期2代目ベーシスト、アルフォンソ・ジョンソンが脱退することになったので、ウェザーの6枚目アルバム『ブラック・マーケット』からレコーディングに参加。

『ブラック・マーケット』ウェザー・リポート 6thアルバム COLUMBIA

このアルバムではジャコは、おそらく試験使用的に2曲のみの参加。

2.Cannon Ball.

ジョー・ザヴィヌルが参加していたバンドのリーダー『キャノンボール・アダレイ』に捧げた曲。

Mercy Mercy Mercy.CannonBall Adderley.

Mercy,Mercy,Mercy.Cannonball Adderley.

キャノンボール・アダレイは『ブラック・マーケット』制作4ヶ月前に亡くなった。

6.Barbary Coast. ※Youtubeリンク貼り付け禁止

この曲はジャコの自作曲。

これ以降ジャコパスは、ウェザー・リポートの正式メンバーになります。

長い間不遇だったけど、1975年以降一気に運が向いてきた感じです。

パット・メセニーのアルバムに参加、ウェザーに加入だけでなく、思わぬ方向からデビューソロ作品の発表まで重なっています。

ただ慌ただしい中でそれぞれレーベルがバラバラであったことは、のちに不幸に繋がっていきます。それまでプロとして音楽活動の経験のないジャコがそこまで気が回るはずがない。

また1976年にデビューの後、多くのミュージシャンの作品に精力的に参加します。
1976~1977までに7作品に参加。

その中で個人的に気に入っている作品を2つ紹介します。

『All American Alien Boy』イアン・ハンター

モット・ザ・フープルのリーダー、イアン・ハンターのソロ2作目アルバムにベースとしてフル参加。

どういう経緯での参加なのかわからないのですが、おそらくソロアルバムのプロデュースを担当した『ボビー・コロンビア』の紹介かと推測します。

2.All American Alien Boy.

表題曲のYoutubeリンクです。

ジャコパスだけでなく、ドン・アライアスやコーネル・デュプリー、デビュー前モット・ザ・フープルの前座をしていたというQueenも一曲だけ参加と、参加ミュージシャンがとにかく豪華です。

7.Apathy 83 ※Youtubeリンク貼り付け禁止

ジャコのベースラインが目立ってる曲。

『逃避行』ジョニ・ミッチェル

これ以降ジョニ・ミッチェルのスタジオアルバム3枚に参加。のちにツアーにまで参加します。

1.Coyote.

このアルバムからのシングルカット曲。

7.Black Crow.

『白夜の大地』アル・ディメオラ

チック・コリア率いる『リターン・トゥ・フォーエヴァー』第2期のギタリスト、アル・ディメオラのソロデビュー作に参加。

1.The Wizard.

2.Land of The Midnight Sun.

アル・ディ・メオラは、次のソロ2作目もおすすめです。

『エレガント・ジプシー』アル・ディ・メオラ

なおこの2作目『エレガント・ジプシー』には、ジャコパスは参加していません。

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