見出し画像

ミュージシャン『デヴィッド・ボウイ』について - 絶えず変化し続ける音楽性③1980~1985

以下が『デヴィッド・ボウイの変化し続ける音楽性』と言いう過去投稿のリンクです。

1967~1979までの約12年の間に大雑把に分けて、ボウイは2回のピークを迎えています。

アルバム『ジギー・スターダスト』での人気と、『ベルリン三部作』での音楽的なピーク。

そして3回目のピーク、同時にボウイのキャリア上セールス的に最大のピークはこのあとやってきます。

1980年

14thアルバム『スケアリー・モンスターズ』リリース

『ベルリン三部作』を共に製作したブライアン・イーノと別れ、同時に初期キャリアを支えてくれたRCA在籍最後のスタジオアルバム。

プロデューサー、トニー・ヴィスコンティとの作業もこれが最後。

Ashes To Ashes.

この曲の歌詞に登場する『トム少佐』とは、ボウイにとって初ヒットとなった、

Space Oddity.

に登場するいわば『主人公』

※上のYoutubeリンクは、最近Youtubeで公開された『スペイス・オディティ』のデモヴァージョン。オリジナルPVも公開。

1stアルバムをリリースしたデラムレコード在籍時にレコーディングされた音源で、アルバム、シングルセールスの低迷から解雇となり、ボウイはこの曲をさらにアレンジを加え、フィリップス/マーキュリーとの契約に成功。曲も初ヒットとなる。

この曲の歌詞のいわば"主人公"が宇宙飛行士である『トム少佐』

またPV(Ashes To Ashesの方)が当時の映像技術としては秀逸。ボウイが映像製作という分野に大きな興味を示していたことがわかります。

実際このあとから映画への出演が多くなります。

※この辺音楽性という記事タイトルには関係は薄いのですが、『Let's Dance』はなぜヒットしたのか?に関わっているので、後ほど紹介します。

Fashion.

この曲を含むアルバム収録数曲にロバート・フリップ(キング・クリムゾンのギタリスト)が参加。

Scary Monsters(And Suoper Creeps.)

公式PVは制作されていないけど、3rdシングル。

Up The Hill Backwards.

4thシングル。個人的に好きな曲。

またシングルカットはされていないけど、

It's No Game.(Part.1)

アルバム冒頭の曲。日本人女性の日本語ナレーションと被さる、いかにもなニューウェイヴ曲。

It's No Game.(Part.2)

アルバムラストは同じ『It's No Game』のナレーション抜き。歌い方も変わっています。

このようにアルバムとしての構成も見事。

そして『トム少佐』が実は『ジャンキー』だったという、ここまでの自身のキャリアまでも一つの作品として『オチ』をつけている。

RCA所属時期を総合して、一つの作品としてみごとなまとめ方。実際にこれで、RCAからのリリースは最後。

歌詞の深読みはあまりしたくないけど、『Ashes To Ashes』は個人的には薬漬けだったボウイ自身への批判というか、反省だと捉えています。

そしてロバート・フリップが大きな貢献をしています。

Scenes From The Elephant Man.1980~1981 David Bowie.

ブロードウェイの舞台『エレファント・マン』ジョン・メリック役をボウイが演じています。

1981年

アルバム『スケアリー・モンスターズ』以降、1983年まで新作アルバムのリリースはありません。

Under Pressure.Queen

クイーン名義ですが、ボウイとの共作曲です。

Christine F.Trailer

映画『クリスチーネ・F』1981年公開 監督 ウルリッヒ・エーデル 出演 ナーチャ・ブルンクホルスト

ドイツの『かなしみのクリスチアーネ』という実録手記を原作とした映画で、荒んだ家庭に育った孤独な13才の少女が麻薬に溺れ、売春に身を投じてしまう姿をドキュメント・タッチに描いた作品。

監督のウルリッヒ・エーデルは、クリスチーネ・Fが訪れるベルリンのコンサートシーンでデヴィッド・ボウイの協力を得ている。
ボウイの曲 “Heroes” はこの映画のために作られたわけではないのだが、テーマ、内容においてこの映画と重なっている。

Christiane F.(Bowie Concert)

主人公クリスチーネ・Fが観に行ったボウイのライブシーン。※個人的に『ステーション・トゥ・ステーション』のライブバージョンが観られるのが嬉しい。
このシーンは、ボウイのベルリンでのライブ後に会場で撮影されたもの。

1982年

Cat People.(Putting Out Fire)

映画『キャット・ピープル』のテーマソング。出演はありませんが、このあと、演劇や映画出演が多くなります。

映画『キャット・ピープル』1982年公開 監督 ポール・シュレイダー 出演 ナスターシャ・キンスキー、マルコム・マクダウェル

サントラはジョルジオ・モロダー。主題歌はボウイとモロダーの共作。

1983年 RCAからEMIに移籍。

15thアルバム『レッツ・ダンス』リリース

プロデューサーにナイル・ロジャースを迎える。

また当時無名だったスティーヴィー・レイ・ヴォーンをリード・ギターに起用。

Let's Dance.

ボウイにとってイギリスとアメリカの両側で1位を獲得した初めてのシングルとなった。

「レッツ・ダンス」でボウイは新しく、ボウイの70年代におけるキャリアを知らない様な若い層のオーディエンスを多く取り込んだ。

China Girl.

前回の投稿にYoutubeリンクを貼った、イギー・ポップの『イディオット』収録曲をリアレンジ、再録してリリース。

ナイル・ロジャースプロデュースのもと、キャッチーなギターリフが印象的な曲に生まれ変わる。

作詞・作曲にDavid Bowie, Iggy Popとクレジットされている。
この頃にイギーが薬物依存症になり、破産の危機にも瀕したため、ボウイは、イギーが印税の半分を得て、財政的に安定してもらうために、この以前の共作曲をシングル化した。
実際にイギーは、財政的に救われ、破産を免れている。

Modern Love.

このPVで見られるライブの様子は、同年に敢行されたワールド・ツアー、
『シリアス・ムーンライト・ツアー』の様子を再構成して作成されています。

また1983年は出演映画がいくつか公開されています。

The Hunger.Original Theatrical Trailer.

映画『ハンガー』 監督 トニー・スコット 出演 カトリーヌ・ドヌーヴ、デヴィッド・ボウイ、スーザン・サランドン

Merry Christmas,Mr Lawrence.Official Trailer

映画『戦場のメリークリスマス』監督 大島渚 出演 デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、トム・コンティ、ビートたけし

大島がブロードウェイの舞台「エレファント・マン」に出演中のデヴィッド・ボウイを見て起用を決めた。ボウイはオファーを了承した後、2年間体を空けて待っていたという。

このように精力的に映画出演もこなしました。

1984年

16thアルバム『トゥナイト』リリース

EMIからのリリース第二弾。

プロデューサーはボウイ、デレク・ブランブル、ヒュー・パジャム※ナイル・ロジャースは関わっていない。デレクが途中降板し、ヒュー・パジャムが起用されたらしい。

前作がヒットしたので、さらにポップ路線を推し進めたような内容。

Blue Jean.

普通にポップスとして優れた一曲。PVもクオリティ高く、ボウイのエンターテナーとしての優秀さが一番わかる作品。

Tonight.Tina Turner With David Bowie.

こちらはティナ・ターナー名義でのPV。

Tonight.

こちらがアルバム収録バージョン。1977年製作のイギー・ポップの曲のカバー。

Loving The Alien.

アルバムからの3rdシングル。はっきり言って名曲。

PVもクオリティ高い。やはりこの頃は音楽よりも映像制作の方に力を入れていたように思う。

Loving The Alien.

この曲は、アルバム収録のロングバージョンで聞いてほしい。

1985年 ※Loving The Alienは1985年リリースだけど、アルバム収録曲なので上に掲載しました。

This Is Not America.David Bowie And Pat Metheny Group.

ボウイとパット・メセニー・グループの奇跡のコラボ曲。

The Falcon and the Snowman 1985 Trailer

1985年公開の映画『コードネームはファルコン』のテーマ曲。

映画『コードネームはファルコン』監督 ジョン・シュレシンジャー 出演 ティモシー・ハットン、ショーン・ペン

映画のサントラをライル・メイズとパット・メセニーが担当。

曲のレコーディング時、ボウイはパット・メセニー・グループのメンバーにコーラスパートを要求したが、誰も歌えず、結局ボウイがコーラスパートを一人でオーバーダビングしたという話。

Dancing In The Street.David Bowie & Mick Jagger.

1985年開催の『ライブ・エイド』の目玉『企画』

Heroes.Live Aid 1985

1985年ライブエイド、ウェンブリースタジアムでのステージ。

この時期はセールス的にはボウイが一番成功していた時期です。逆に熱心なファンからは評判が悪い。

どんなミュージシャンだってプロならばセールスやヒットは常に念頭にあるはず。

ただボウイの場合は、ファンとして『新しさ』を常に求めたくなる心理もわかります。

ボウイの本心なんてわかるわけもないですが、『Let's Dance』以降は、アルバムトータルとしての作品性というものはないけど、一個一個での良曲はちゃんとあります。※そうじゃないとヒットするはずがない。

また音楽だけを追いかけていると、クオリティの低下と見えるかもしれません。『Let's Dance』はまだしも『Tonight』やこの後の『Never Let Me Down』はもっと酷い。

何度も言っているように、この時期は『映像分野』への興味が最も強かった時代なんだと思います。

しかし同時に、特にボウイに興味のないリスナーとしては、そんな背景なんて関係ない。

個人の思いは仕方ないですが、それでもこの時期は不当に評価が低すぎるような気もします。

少しキリが悪いようですが、クオリティの高いLive Aidのボウイのステージでこの投稿は締めたいと思います。

まだこの後も紹介したいので、ボウイ関連の投稿はもう少し続けようと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?