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本当の自分に出会う旅インド【2010年】その2

その1のつづきです

ゼミでは「は」と「が」の違いについてレポートを書かされたり、頭の痛くなる「日本語学」の勉強が続きます。自分がそこまでして教師になりたいのかということにも疑問を持つようなってしまいました。大学3年になり日本文学か日本語学かに専門が分かれるのですが、日本語学に興味ももてず日本文学を選択し、ゼミは戦後近代文学を選択しました。

結局教えることが好きだといいながら、学校の先生になるのも何か違う気がするし、当初の日本語教師もむずかしそう、ということで教職もとらず、バイトに精を出し、それなりに遊び、長期の休みにはインドや中国をバックパックで長期旅行してすごし、大学を卒業しました。
 
この時点で「私は夢ばかり語って実現する努力の出来ない人間なのだ」・・・という挫折感がありました。
 
この時点では自分が海外で働くとか、英語や中国語をしゃべるようになるとは露とも思っていませんでした。
 
今ではこの時点で先生にならないでよかったと思っています。そのときには分からなくてもそうすべき時期が来ればそのように流れていくものだ・・・というのが分かります。
 
私は小さいころからどこか覚めたところがあって、恥ずかしがりやで集団行動が苦手な子でした。運動が苦手ですきなのは読書や音楽。理数系がまったくだめなまさに文系インドア派でした。
 
小さい頃って運動が出来たりはきはきした子が注目を浴びますよね。でも注目浴びたいという気持ちもなかったです。少し大人びて回りが子供っぽく思えてました。子供はよくグループを作って固まりますが、私はどこのグループの子ともそれなりに話をあわせたりできるタイプでした。
 
音楽は好きで小さいころからエレクトーンを習ってました。楽譜を読むのが苦手で全部耳で聞いて覚えていました。中学生まで習っていて、それなりの先生にもついていたのですが、母親が事故で送り迎えしてもらえなくなったこと、高校受験もあってやめてしまいました。
 
音楽は好きなので高校では吹奏楽部に入りパーカッションを担当しました。楽譜は読めませんが音感とリズム感だけは努力しなくても良かったので、パーカッションは楽しかったです。
 
それと同時に集団行動が苦手で人との交流は表面ではうまく出来てもなかなか心が開けないこと、父親との関係がうまくいっていなかったこともあり、このような心の問題はどのようにして解決できるのだろうか・・・と中学くらいから心理学に興味を持つようになっていました。
 
大学では心理学の学べる広島の大学も受けました。京都の大学とどちらも推薦入試で受かりましたが、結局京都に行きたかったのと心理学の勉強も突き詰めるのはなんか違うかも・・・?という気持ちになり日本語日本文学科のあるう京都の大学を選びました。

心の問題は心理学では解決できないようだ・・・と思い、興味は心理学からカウンセリング、スピリチュアル、ヒーリングと変わっていきました。

大学はミッション系だったので聖書の授業もありましたが、キリスト教に特に興味を持つこともありませんでした。思い起こせば小さいころから「宇宙はどうやってうまれたんだろう」とか「私たちは何から生まれてどこへいくのでしょうか」とか考える子でした。宗教は人間が作ったもので真理は一つだと思っていましたし、争いが嫌いで平和主義なのでみんなが仲良くできればいいのに・・・と思っていました。
 
小さい頃から動物が好きで野山で遊ぶのも大好きな子でした。虫や小動物、犬、猫も飼ってましたし、TVでアフリカのサバンナを見たりするといつかみたいなと思ってました。

その3へ続く
 

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