1:4:4:1で考える現代人② 「努力」に対する見方

 前回、現代社会の人々は「1:4:4:1」の人数比でグループ分けができ、それぞれのグループごとに特徴があるのではないか、という考えをまとめました。

 今回は、「努力」に対するそれぞれのグループの見方について、考えたことをまとめてみました。

目次
・最高の1割グループ「努力は当然のもの」
・幸福の4割グループ「努力は面倒だけど信頼できるもの」
・不安の4割グループ「努力は面倒で信じ切れないもの」
・絶望の1割グループ「努力は自分が傷つくだけのもの」
・「努力」の意味が噛み合わない

◯最高の1割グループ
 自分の人生に対する評価が最高である「最高の1割グループ」では、努力を「当然のもの」と捉えています。
 自分が求める成果を得る上で、努力は当然に行うものであり習慣のようにその人の行動にしみついています。
 また、自分が好きなことをしている中で、遊びのようにそれ自体が楽しくて努力と認識せず、無意識に行っている場合もあります。

◯幸福の4割グループ
 自分の人生をまあ充実していると評価する「幸福の4割グループ」では、努力を「面倒だけど信頼できるもの」と捉えています。
 成果を得るために必要とは分かっていますが、面倒を感じるため「努めて力を入れなければ」やり切ることが難しいと同時に、これまで努力により成果を着実に得てきた経験から、信じて行うことができる活動と考えています。

◯不安の4割グループ
 自分の人生に対して、充実よりも困難を感じる「不安の4割グループ」では、努力を「面倒で信じ切れないもの」と捉えています。
 幸福の4割グループと同じく、努力は面倒で意識しないとできないものと感じていますが、大きな違いとしてこれまでの経験では、努力をしても思っていた成果が得られないなど、失敗したことの方が多いため、信じ切れないものと考えています。

◯絶望の1割グループ
 自分の人生に恨みすら覚えるほど困難を感じている「絶望の1割グループ」では、努力を「自分が傷つくだけのもの」と捉えています。
 不安の4割グループよりも、努力して失敗した経験が多く、「面倒な上に自分の自尊心まで傷つけられた努力はやるべきではない。」と考えています。

◯「努力」の意味が噛み合わない
 これまで4つのグループにおける、それぞれの「努力」に対する見方をまとめました。努力することについて、人々の間で時々論争が起きるのは、同じ言葉でも見方が全く異なっており、意味が噛み合わないからでしょう。
 最高の1割グループの中には、自分にとって努力が当然であることから、努力をしない人に対して、「なぜやらないんだろう。こんなことは当たり前なのに。」と思う人もいます。また、自分にとって楽しいことをすること自体が努力となっているため、「自分は努力していない」と考えて周りの人や運のお陰であることを過剰に主張してしまう人もいます。
 幸福の4割グループには、最高の1割グループの人を目指して努力を当然のことにしようと、面倒さをなんとか乗り越えようともがく人や、不安や絶望のグループの人に対して、「自分は面倒でも努力をしている。一方で彼らは面倒さから逃げて、怠けているのでは?」と思う人がいます。
 不安の4割グループでは、最高・幸福グループからの「なぜやらない?怠けているだけでは?」という主張に、「自分は怠けているのかも」と自己嫌悪になったり、「あなたたちは才能があるからできる。自分には才能がないから意味がない」と反発する人がいます。
 絶望の1割グループは、「努力?勝手にやっててください。わたしには全く割が合わない行為です。」と、そもそも取り合わない人がいます。

 皆さんは、「努力」をどのように考えますか。

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