ドキュメンタリー映画『iHuman』- AIが最善、それとも最悪のテクノロジーとなるかは私たち次第?
一昨日の夜に観たドキュメンタリー映画『iHuman』。
2019年の映画をMaori Televisionというニュージーランドのテレビ局で放映していたものなのだけれど、私はネット上のストリーミング放送で観た。
ちなみに、ニュージーランド国内からなら、2024年8月31日まで、Maori TelevisionのWebサイトでオンデマンドで無料配信されているので、下記のページで見ることができる。
また、YouTubeで公開されているオフィシャルの予告編(イギリス版)は、下記で観ることができる。
2019年に公開されたドキュメンタリーなのだけれど、あの頃既に、いろいろな場面で使われていたAIテクノロジーに、改めて驚かされる。
いや、2017年にデータサイエンスを学んだ時に、ある程度は予測できていた。データサイエンスを学ぶ以前に、大学で20代の頃に学んだ心理学や、キャリアチェンジの為に40歳前後で学んだメンタルヘルスでの知識や経験があったからか、AIが「人」に与える影響の大きさが怖くなって、データサイエンスの資格取得以降、私はあえてAIの分野から距離をとってきた。
このドキュメンタリーを観て、映画が公開された2019年当時、たくさんの最先端のAI技術者が、今後のAIの活用に関して、真剣に議論するべきだと、相当な危機感を持って警告していたことが伝わってきた。
とても興味深かったのは、ここのところ世界的に物凄い勢いで話題になっているChatGPTを開発したOpenAIのCo-founder(共同創立者) でChief Scientist(首席研究者)であるIlya Sutskever (イリヤ・スツケヴェル)さんが、このドキュメンタリーに登場していること。
規制等も整備されていない中、誰もが自由に使えるような形で、こんなに急激にChatGPTを広めて、どうするのだろうと、私は、若干、ChatGPTに批判的な考えを持っていたような気がする。ウソの情報はより急激に広まるし、悪用する人も出てくるだろうしと、危惧していた。
でも、このドキュメンタリーを観て、もう、既に、何年もの間、限られた人たちが、その人たちの利益のためだけに、一般の人たちには知られていないところで、AIテクノロジーを使っていたことがわかる。
ドキュメンタリーで警告しても、議論は進まないどころか、始まることさえしない。なら、すべてのユーザーに開放することによって、AIテクノロジーを可視化して、みんなが見ている中で、最善となるか、最悪となるか、成り行きを見守った方がいいと考えても、不思議ではない。
私には、そんな気がした。
日常生活のありとあらゆる場面で、日々広がりを見せているAIテクノロジーに、当事者意識を持っている人は、まだまだ少ないと思う。AIテクノロジーの開発者や提供者は、Pros and ConsのProsの部分ばかり、プラス面とマイナス面のプラス面ばかりを強調したり、マイナス面は曖昧にしてしまったりしていることもある。意識的にではなく、AIテクノロジーによる問題解決で、人助けをしたいという「善意」で、リスクが見えなくなっている場合もある。
映画の中(※予告編にも含まれている)で、マサチューセッツ工科大学のMax Tegmark(マックス・テグマーク)教授も言っているけれど、
「AI は、最終的には、人類にとって、これまで起きた出来事の中で、最善、または最悪の出来事のどちらかになる。だからこそ、AIについて話すことは、今の時代で最も重要となる対話なのだ」と。
このドキュメンタリー映画が公開されてから3年以上が経過しているけれど、ChatGPTで、一般ユーザーの間でもAIがより注目されている今こそ、一人ひとりがAIに関する対話を始めて、最終的に、AIが、人類にとって最善のテクノロジーになることを確実にしたいし、確実にしてもらいたい。
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