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NFTになった2021年版『ゴジラVSヘドラ』を再視聴したい!

ゴジラフェス2022が告知されました。

今年は3年ぶりの有観客開催で、しかも最近恒例の無料生配信もありとのことです。笠井さん今年も頑張ってー。

https://godzilla.store/gfes/2022/

去年期間限定で公開された『ゴジラVSヘドラ』良かったなー。あれって今ではどこで観れるのかなあ、と調べたらなんとびっくり。

▼ゴジラとヘドラがNFTアートになっていた:

なんと映画が分割されてNFTアートとして販売されていました。

東宝の人気シリーズ映画『ゴジラ』のNFTが、CDGの企画で「LINE NFT」にて4月27日に発売される。『ゴジラvsヘドラ』の名シーンを選定した5枚セットを計5種類用意。価格は1セット5,500円。販売数は各100セット。
(中略)
今回発売されるのは「ゴジラ・フェス2021」で限定公開された、オリジナル特撮『ゴジラ VS ヘドラ』の名シーンセット5種類。東宝スタジオの敷地内に設置した工業地帯のオープンセットと、『ゴジラ FINAL WARS』の撮影で実際に使われたゴジラとヘドラのスーツを使用して、大迫力のバトルを撮影した。

https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1405396.html

記事の最初に出てくるCDGというのは株式会社の名称で、企業ブランドやキャラクターIPなどを活用するマーケティングコンサル事業をしているようです。

つまり、察するに【いまデジタルアートで流行してる”NFT”をゴジラでもやってみませんか】というビジネスを、東宝側から依頼したのか、CDG側から営業をかけたのかは分かりませんが、とにかくそういうビジネスをやったということらしいです。5,500円で5種類を100セット売れば合計275万円の売上が立ちます。

NFTは「代替できないトークン」。偽造不可なデジタルデータであるため、鑑定書や所有証明書が付与でき、コンテンツに固有性や資産価値を持たせられる。

https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1405396.html

つまりデジタル商品でありながらリアル商品のようにコピーができないものなので、一度売ってしまったあとは、買った人達で一般的な芸術品や骨董品(絵画や壺のようなデジタルじゃない物)と同じように扱うことができます。コピーできないので資産価値が生じて、NFTで利用されている仮想通貨を通して売買もできるようになります。

なんか不思議な感じですね。ヴァーチャル骨董品って感じ?

仮想通貨ならぬ、『仮想絵画』みたいな。

非実在青少年ならぬ、『非実在骨董品』みたいな。

私は理屈では分かっても、頭と心が追いつかない感じです。(笑)

▼NFTアートになることの弊害は?

私はズブの素人なので誤解してたら申し訳ないんですが、、、

映画のような映像作品の一部分がNFTアートとして販売された場合は、その元の作品は今後はデジタル配信できないことになりませんかね?

だって”コピーできない”のが価値の根拠(源泉)であるNFTアートの、元になった映画が普通に視聴できる状態になってしまったら、NFTアートの価値が下がってしまいませんか?

いや…

違うか。

NFTアートをあくまで投機目的の通貨として考えるなら、付加価値は作品内容の形質や品質ではなくて、その作品の存在の固有性(そのファイルデータそのもの)に対してつくことになるので、仮にまったく同じ形質や品質の映像作品が存在しても問題ないのか!

ああ、すごく難しいです。

どうやってNFTの値段が決まるのか理解してないから、私には分からないんでしょうね。多分。

これがリアルなアートだったら分かりますよ。例えば、絵画の『モナ・リザ』は、カメラやスキャナで撮影された写真をいくらでも見られます。ネットで画像検索した時に出てくる『モナ・リザ』は全てデジタルコピーです。しかし、それでルーヴル美術館が所蔵しているオリジナルの圧倒的な価値は下がりません。コピーできない唯一のリアルな物として現実世界に原画が存在するからです。

デジタルコピーが氾濫してもオリジナルの価値は下がりません。

でもデジタルアートは少し異なります。ゴジラVSヘドラの映画が公開されてしまえば、その映画のスクショを撮ってNFTアートとピクセルレベルで全く同じものが簡単に作れてしまいます。

NFTアートはオリジナルがデジタルである以上、たとえ証明するトークンがコピーできてなくても、人間が芸術を鑑賞するときの感覚(主に視覚と聴覚)では完全なるコピーはできてしまうんですよね。だから、トークンを用いた資産価値の付与について私は感覚的には納得できません。

あたしアタマの作りが古いのかも。(笑)

余談)いや、これに関しては古い感覚のままで良い気もしますけど。なぜなら私自身の存在がデジタルではなくリアルなのだから。もしマトリックスの映画のように私がバーチャル世界に作られた虚構なら、そういう物だと理解もできそうですが。しかし私はモーフィアスが迎えに来てくれない限り自分自身がコンピューターが作った夢を見続けていると気づけないので、つまり一生納得することはできないと思います。(笑)

▼NFTアートって大衆映画にもフィットするのか?

それにしても、この違和感の正体は何なのかしら。

仮に最初から一点物の作品として作ったデジタルアートならNFT情報を付与して価値を守ることは私でも納得できるんですよね。「あなたのためだけに描いたこの世でたった一枚の絵です。それを証明するためにNFTにしますね」という説明なら、よく分かります。最近では江頭2:50さんがGoogleからNFTアートを贈呈されていました。

https://youtu.be/39NtP0RX8-g

エガちゃんとブリーフ団の反応はかなり薄いですが(笑)要するに【この作品はこれがオリジナルだという証明書(複製不可)がついてますよ】と言っているだけです。

しかしゴジラは大衆映画です。

基本的にはみんなで共有して楽しむために作って、しかも一度はYouTubeで無料公開までした大衆向けの劇映画を、後から細切れにしてNFTアートとして販売するという考え方が、私は感覚的にほとんど受け入れられません。

うーん、映画のフィルムやネガを1コマだけ切り取ってプレゼントする行為に近いのかしら。でもデジタルで配布しているという点ですごく矛盾してると感じますね。

2020年8月に展示されていた『ダンケルク』のフィルム(レプリカ)

なんだろう、分からないんですけど、戦後インフレで銀行券(お札のお金)がただの紙切れになって、純金だけは価値が変わらずに残った感覚に近いのかしら。つまりは私がNFTアートに対して抱く信頼が、戦時中の紙幣と同程度だということですね。たぶんこの説明が一番しっくりくるかもしれません。

▼『ゴジラVSヘドラ』をもう一度観たいのよ:

そもそも、この作品はなんで期間限定公開だったんでしたっけ?

去年のゴジフェスでちゃんと説明してなかった気がします。

大人の事情とか、販売戦略とか、色々言えないことや未決事項はあったとは思うのですが、NFTアートとして販売する計画は当時はなかったんじゃないかなー。ただの憶測ですけど。

このシリーズを数年後にまとめてソフト化する計画とかであって欲しいとは思ってましたけどね。今年ガイガン50をやるなら来年は当然メガロ50だろうし、であればその次は満を持してのメカゴジラ50(キングシーサー50)になるわけで。さらに翌年にチタノザウルス50まで作ったら伝説級だと思います。(笑)

NFTアートなんていう降って湧いたようなようなビジネスが枷になって、ゴジラVSヘドラの再公開が実現できないみたいな不幸が起きないように祈るばかりです。

再配信、待ってるぞー!

了。

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