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中学1年生の時に片思いしていた女の子に、11年越しに告白した話

ラフに書いていこうと思う。

僕が抱えていた人生でおそらく最も重い荷物を、やっと下ろせたことについてだ。

中学1年生の頃、僕には好きな女の子がいた。目が大きくてショートカットが似合う子だった。

活発で、運動がよくできた。勉強も得意で、僕にとっては雲の上の存在に思えた。

その子…あかねちゃん(仮名)は、僕と偶然同じクラスで、偶然同じ部活に入部した。

この時はまだ好きという感情はなかった。でも彼女は何となく気になるというか、印象に残る存在だった。

しかし、あることをきっかけに僕は彼女のことばかりを考えるようになってしまった。

あかねちゃんは本が好きだったのだ。

当時の僕はかなりの読書好きで、図書室に足繁く通っていた。最初は本を読むと先生も親も褒めてくれるから、そんな理由だったと思う。

あかねちゃんは休み時間に本をよく読んでいた。図書室で借りたものだというのは見るとすぐに分かった。

僕は彼女の借りた本を気にするようになり、しまいには自分でも同じ本を借りるようになった(完全にストーカー)。

おそらくバレバレだったと思う。同じ学校で同じ教室で同じ部活の奴が同じ本を読んでいるんだから。

でもそのおかげで僕は読書をもっと好きになれた。彼女が読んでいた本は全て面白かったし、今の人生にも活きている。

僕はストーカーのまま、あかねちゃんに告白することはなかった。13歳の僕は一丁前に引け目を感じて、釣り合いを気にしていたのだ。

中二の頃、初めて彼女ができた。でもそれはあかねちゃんではなかった。よく分からないまま付き合って、よく分からないまま別れた。中学生の僕はとにかく自分の意思がなく、流されるまま生きていた。

中学生の恋愛なんてそんなものかもしれないが、僕は自分の心がすり減っていくのを感じていた。

今ならわかる。

後ろめたかったのだ。

本当はあかねちゃんが好きだったのに、その気持ちに嘘をついて、他の人と付き合った。フィクションの中でしか知らない恋愛を真似して楽しんだ。

付き合った子とは、手すら繋がずに別れてしまった。本当に申し訳ないことをしたと思っている。今思うと「付き合う」ってなんだったのかもよく分かっていなかった。

……今も分からないけど。

とにかくそれをきっかけに僕は自分勝手な罪悪感と、小さくなりつつもなかなか消えないロウソクのようなちっぽけな恋の気持ちを残したまま、中学を卒業した。

僕はあかねちゃんと別々の高校に入った。

別の高校でも同じ部活を続けていた僕たちは、大会の会場でたまに会った。会話したのは2〜3回だと思う。内容は覚えていない。それほどまでに僕は告白しなかったことを後悔し、彼女に劣等感を覚え、またほんのりとした罪悪感に包まれていたのだ。

本当に馬鹿だった。好きな人に好きと言うくらいなら今の僕ならできる。告白して失敗しても絶対に後悔しないというのが分かっているからだ。それができるのもこの苦い経験があったからかもしれない。

そのまま大学に入り、遊び呆けていた僕は空っぽの4年間を過ごした。

その間も半年に1回はあかねちゃんのことを思い出し、後悔に打ちひしがれていた。

◇◇◇

そして2020年。

僕はひとり暮らしをはじめ、バイトをしながら細々と暮らしていた。そんなある日、家の近くに大きな図書館があることを知った。

前ほど本は読まなくなっていたけど、試しに赴いてみると、大量の背表紙と古い紙の匂いが僕をワクワクさせた。

「この本、ぜーんぶ読んでいいんだよ!」と語りかけられているようだった

あれもこれも読みたい、そんな無邪気な童心が芽生え、僕はふたたび読書に夢中になった。

そんな中、Twitterのフォロワーさんの紹介で「夢をかなえるゾウ」という本を読みたくなった。小説の形をとった自己啓発本で、ドラマ化もされたベストセラーだ。

「夢をかなえるゾウ」にはもうひとつ思い入れがあった。

あかねちゃんが学校で借りて読んでいた本なのである。

「絵本みたいなタイトルだな」と思ったのを覚えている。可愛らしい本を読んでいるなという印象以外は特になく、当時の僕はこの本を読まなかったのだ。

読んでみると、ビックリだった。小説の形をとっているとはいえ、立派な実用書である。あかねちゃんはやっぱり当時から僕より少し大人だったのだと思う。

その本のコンセプトはガネーシャと名乗るゾウの神に課題を出され、主人公と一緒に成長していくというものである。

読み進めていくと、こんな課題があった。

「やらずに後悔していることを今日から始める」

あかねちゃんに告白しろと言われた気がした。それまでずーっとフタをして隠し続けてきた気持ちが一気に溢れ出した。

幸い、僕は彼女のLINEを知っていた。成人式に勇気を出して一緒に写真を撮ってもらい、LINEを交換したのだ。

この連絡先がまだ生きているなら、彼女と話せるかもしれない。

本当にいい時代になった。少し前ならメアドは確実に変わっていて繋がらなかっただろうし、電話をかけるなんてハードルが高すぎる。

僕は震えながら文字を打った。

「お久しぶりです。LINEの文で構わないので話したいことがあります。乗っ取りや変な勧誘ではありません。忘れていたらスルーしてください」

返信がない可能性の方が高いと思った。そもそもLINEのアカウントを変えていたら繋がらないし、ブロックないし削除されている可能性だってある。

それでもいいと思えた。今ここで行動したことに意味があるのだと。

…そう自分に言い聞かせても、返信が来ないとやはり気分が沈んだ。結局僕はエゴイストで、他人から嫌われるのを恐れていたのだ。

メッセージを送ってから約12時間後、あかねちゃんから返信があった。

夜の10時頃だった。

「久しぶり!仕事が忙しくて返事が遅くなってごめんね。私でいいならなんでも聞くよ」

僕の気持ちは一気に舞い上がった。心臓が跳ね返り、呼吸が荒くなった。

ひとつ寂しかったのが、彼女の一人称が「私」になっていたことだった。中学の時は「うち」と言っていたのが印象的で可愛かった。僕たちは大人になってしまったのだ。11年という年月を実感させたのは、意外なことにもその一人称だった。

僕はLINEに丁寧に自分の思いを綴った。

・ずっと好きだったこと
・それを言えずに今でもたまに後悔の念が襲ってくること
・「夢をかなえるゾウ」に触発されたこと
・今の仕事
・将来やりたいこと
・返信してくれたことへの感謝の気持ち

そして

・綺麗事や強がり抜きであかねちゃんの幸せを心から願っているということ

彼女は驚きつつも、丁寧に返信してくれた。変な絵文字や気の抜けるゆるいクリエイターズスタンプを送ってきてくれて、そういえばこんな一面もあったなと妙に納得してしまった(当時彼女はまりもっこりというキャラクターにハマっていた)。

今言わないと一生後悔する気がした。だから勇気を振り絞った。

本当に言ってよかった。彼女が今どういう恋愛をしているのか、この11年の間にどんな時を過ごしたのか。それが気にならないと言えば嘘になるが、別に知らなくてもいいと思えた。彼女も自分から話してくれたのは仕事のことだけだったので、詮索はしなかった。

そこから1〜2往復程のやり取りをし、おやすみと言って連絡が途切れた。

やっと、やっと言えたのだ。10年以上僕を苦しめた苦い記憶が、過去の甘酸っぱい思い出に昇華された。止まっていた時計がギシギシと錆びた音を立てやっと動き始めたのだ。

「好きな人には好きと言った方がいい」

これはあかねちゃんが教えてくれたことだ。僕はこれからもそうしていくんだと思う。本当にありがとう。重い荷物を下ろして、僕は前を向いて生きていく。

「夢をかなえるゾウ」という本がなければ僕は行動に移せず一生を終えていたかもしれない。こんな素晴らしい本を書いてくださった水野敬也さんに深く感謝しています。

また、本を紹介してくださったフォロワーのつかさん、本当にありがとうございました。あの紹介ツイートがなければ僕が図書館で「夢をかなえるゾウ」を借りることはなかったと思います。

めちゃくちゃ長い文になってしまいましたが、最後まで読んでくださって本当にありがとうございました。



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