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死のframe



死のframe


 普段から意識できないかもしれないが、私たちは何につけ大抵のことはあるframeの中で生きている。そのframeに沿って判断し、善悪や評価も決めている。

 死に対するframeも同様であり、私たち医療者には、一般の人とは違う医療者特有の死のframeがある。

 それは一般の人と比べて普通はかなりズレている。

 なぜならば、死という事象がこの現代社会では人々から遠ざけられ、一種の特殊体験へと変貌しているからだと思う。

 多くの人々にとってかつて死は大変、身近な存在だった。

 もちろん戦争中は日本人にとっても死は当たり前の日常であった。

 戦後、日本という国が豊かになるに連れ死は人々から隠され遠ざけられていく。

 それが最近は特に加速している。


 平均寿命が延び、医療制度が充実し人々は我が家ではなく、病院で死ぬようになっている。

 私が子どもの頃は、大概、どこかで家の前に葬式の看板が立て掛けられ大勢の人々が弔問に訪れる光景は年に何度も目撃したものだった。

 そんな光景は最近、ほとんど見ることはなくなった。

 どこかの葬式場で家族葬の形態で故人は送られる事も当たり前になり、死は私たちの前から姿を消し去り、映画や小説、ニュースの中だけにある何か、ただの概念の様になってしまった。


 そんな世の中でも、ある人々は死を概念ではなく現実に体験する。

それが医療者たちなのだ。

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 現実に死を体験する者と概念の世界でしかなかなか理解できない者では、死のframeは大きくズレている。
 死を体験するとは、生から死へのプロセスの場面に遭遇する事を指す。


 さらに言うと、その死を体験している多くの医療者と私も死のframeが大きく違う。私の死のframeは医療現場のframeよりも戦場のframeに近く、とてもtraumticなものだ。その辺は後半に詳しく語ってみたい。


 ジャパンハートにはSmileSmilePROJECTという小児がんの子どもと家族のための企画がある。


 コロナ禍でさえその数は増え続け、年間100組以上の小児がんの子どもとその家族を旅行やその他の企画に医療者を付き添いさせて行っている。


 参加する子どもの病状も様々で、ほぼ再発はしないだろうという子どもからもうすぐ亡くなる子どもまでいる。さらには予定の日には病状の悪化で参加できなかったり、予定日までに亡くなってしまう子もいて実行する側もいつも緊張もあるし、せっかく旅行や遊園地で楽しい時間を共に過ごせてもその後、子どもが亡くなったと連絡を受けると付き添いした医療者もなんとも救い難い気持ちになる。


 その企画の中には多くの人たちの協力がなければ実現しない企画もあって、どの協力者も子どもたちのために本当に誠心誠意尽くしてくれる。


 ある脳腫瘍の子どもは企画のわずか数日後、亡くなってしまう。

 家族はその企画をその子に最後にプレゼントできて亡ってまったけれど本当に幸せだったと言ってくれた。


 私たち医療者も多分、同じ気持ちだと思う。

 これで亡くなってしまったけれど良かった、最後にその子の夢が叶ってくれてと思うのだ。

 それが私たち医療者の死のframeなのだ。

死は現実にあるという経験を日常的に持っている者のframeなのだろう。


 その時も、この子の夢が叶うためには医療者以外の多くの人々の協力が必要だった。


 そして残念な結果になった現状や経過を協力者たちに報告したときに、その一般の協力者の人たちの反応は一様にその子の死を拒否した感じのものになる。

 死を受け入れない、受け入れたくない。そんな反応なのだ。

それが一般の人たちの死のframeなのだと思う。

 多くの人たちにとっては死は現実にあってはならないものなのだろう。

ましてや、幼い子の非業の死などこの世に存在してはならないものなのだろう。

 多くの医療者もかつてはそうだったに違いない。

 けれど何人もの死の場面に遭遇し、死はただの概念から現実へと変化してしまったのだと思う。

 もしもその様に変化できないならば、その医療者は精神的に持たなくなり医療を続ける事ができないだろう。

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最後にその医療者たちとも違う私の死のframeについて語っておきたい。


 多くの医療者がもつ死のframeは通常、そこまで理不尽な死のframeではないのかもしれない。

 助からない病気や高齢による、ある程度は頭で理解できる死に対するframeなのだ。

 たとえ幼い子どもの死であっても、やれるだけの治療を行い、子どもも家族もそして医療者も全力を尽くし最後は力及ばず死を迎えてしまったと。


 しかし私の死のframeはもっと理不尽でtraumaticなものなのだ。


 不十分な医療物資や医療体制、インフラなどの下で医療をしてこなければならなかった私は日本では考えられないような理不尽な死を何度も何度も経験しなければならなかった。

 ある薬剤を打った途端に呼吸が止まる、血圧が下がりショック状態になる、不純物が混ざっているような麻酔薬しかないのだろう、麻酔をかけた途端に呼吸困難になる、こんな場面に何度も遭遇し、そのうち幾人かは本当に死亡していく。それが途上国の現実であり貧しい人々が受けている医療だった。

 そんな場面は、交通事故や犯罪以外にあまり日本では経験しない。


 そんな不意打ちのような場面でも、新しい日本から来た医療者たちは私の動揺と対照的に、概して落ち着いている。

 なぜならば日本では仮にそんな場面に遭遇してもそれは原因がある程度特定可能で、しかも大抵の場面は死ぬことがないし対応できる術も用意されている。だから、彼らはそんな状況になっても、最後は上手くいくと暗黙に思い込んでいるのだろう。
 もしも死ぬならばそれは医療サイドの問題以上に患者の元の状態が悪化しているというのが普通だからだ。

 しかし、途上国の医療現場で私は何度もそのまま亡くなっていく人を経験してきて上手くいかない可能性にいつも怯えている。


 しかし、そのまま患者が亡くなった時、パッピーエンドを信じて疑わなかったその医療者たちは呆然としているか、泣いているか。医療者になってはじめて味わう理不尽な死のために混乱しているのだ。


 医療現場では、当たり前に人が死ぬのだ、しかも時に理不尽にというその世界は戦場でのそれに近いと思っている。

 それが我が身の死ではなく、我が身が手を出したその過程で他人の死が発生するという何とも救い難い体験となり、生涯にわたり心を痛めつけるような傷になる。


 私と医療者の死のframeはそこにそういう理不尽さを持っているかそうでないかという違いがあると感じている。

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