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The CATCHER in the Scrap : 村上春樹をつかまえて

毎年ノーベル賞の選考の時期になると話題になる村上春樹氏、僕の大好きな作家です。海外生活も長く、大学の講師も務め、色々な翻訳も行っている、英語ペラペラなイメージですが、80年代に書いたエッセイ"The Scrap”には、冒頭の「一九五一年のキャッチャー」と題されたエッセイのなかで、サリンジャーの”The Catcher in the Rye” (ライ麦畑でつかまえて)について、

『「キャッチャー」には二百三十七個の”Goddamn"と五十八個の”Basterd"が使われているが、”Fuck"と”Shit"の数はゼロであり、このへんにアメリカ人のモラルに対する感覚の移り変わりがうかがえて面白い。』

と、書いています。この文章を、初めて読んだ時、「あれっ」っと違和感を感じました。随分前に原文で読んだとき、確か、”Fuck You”が使われていた気がして、もう一度読み返して見ました。

原文では、「キャッチャー」の主人公が妹の学校や博物館で"Fuck You"と書かれたラクガキを見つける、という物語の構成上かなり重要なシーンがあります。原文は、

『 Somebody’d written “Fuck you” on the wall. It drove me damn near crazy. 』

村上春樹氏自身の翻訳の「キャッチャー」でも、この部分がそのまま「ファック・ユー」と訳されています。

『誰かが壁に「ファック・ユー」と書いていたんだ。』

ざっと数えたところ、原文の「キャッチャー」には"Fuck you"が6回ぐらい使われてました。(なお、”Shit”の数は、数えてません。ホントにないのか?)
当時の「ライ麦畑でつかまえて」の日本語は、野崎 孝版(白水社)しかなかったので、村上氏もこれを読んでいたはず。で、野崎版では、

『誰かが壁に「オマンコシヨウ」って書いてあるんだな』

と訳されていました。かなり、攻めてますよね。当時じゃ「ファック・ユー」は通じなかっただろうしね。

この村上氏のエッセイは、外国雑誌を読んでそれを引用するという主旨なので、この言葉の数の分析が雑誌からの引用だとしても(そういうふうには思えづらいけど)、「キャッチャー」を原文で読んだことがあれば、これが明らかな間違いであることはわかるはず。
ということで82年の村上春樹は、まだキャッチャーを原文で読んでなかったようです。そんなレベルで、モラル感覚の変遷なんて言うのはちょっと恥ずかしい感じですね。村上氏も、この黒歴史を消したいと思っているのでは。

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