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存在証明

今日は、ハローワークの認定日。
自宅で何件か求人をピックアップして、担当さんと相談。
この後、障害者就業・生活支援センターとも面談があることを伝え、応募についてアドバイスをしてもらい、2件分の紹介状をもらう。

1時間くらい時間があったので、センター近くのコンビニで時間を潰しで、タバコをプカプカ。

センターに到着。少し緊張。

今後の方向性で、就労支援Aではなく一般就労のパートタイムで再就職活動することを確認。
すると、金銭管理の問題が出てくる。
社協の日常生活自立支援の日常的金銭管理サービスを利用するには、自立支援のサービスを利用して専門員の計画書が必要になる。
要するに、就労継続支援を利用しなくても、ヘルパーの訪問介護を利用すればいいということなので、ヘルパーさんにお願いしたいことならいくつか思い当たるので、相談支援センターに繋げていただくことになった。

2年前まで介護の仕事をしていて、まさかこんなに早くヘルパーさんのお世話になるなんて思ってもみなかったが、そこは支援を受けられるなら受けておいたほうが何かと安心できる。

ということで、金銭管理の方はなんとか道が開けてきたので、サービスを受けられるようになるまで、なんとか自制して無駄遣いをしないようにしなくてはならないが、今まで何度となく挫折しているので不安だが、実際に動き出せば何とかなる…といいが。

そして、再就職活動の方へ話しを戻して、応募書類に障害に関してどのように記載するのかを一緒に色々と考えてもらった。
応募の段階で色々と細かいことを書いてしまうと、次の面接へと辿り着く前にはねられてしまう。
今までも、何社かに書類を送ったが、全て書類選考ではねられてきたので、その辺りを相談できるのは心強い。
色々とアドバイスをしてもらい、何とか簡潔にまとめることができそうなので、一度書類を作成して、チェックをしてもらうことにして、今日の面談は終了。

センターの担当さんと話をしていて、報連相ができるか?という所が問題となったのだが、確かに、報告・連絡はこちらから相手への一方通行でも成立するが、相談はこちらと相手のやり取りが必要になるので、そこのコミュニケーションであったり距離感の取り方がネックになっていることを改めて気付かされた。

「相談」は、相手に対しての信頼がなければできない。
今までを振り返っても、ぼくは「相談」をしたことがあまりない。
大体、自分のことは自分で決めるし、誰かと一緒であれば相手に任せてしまう。それに、誰かから相談を持ちかけられることもほとんどなかった。それだけ、ぼくを信頼してくれる人がいなかった、というか、信頼されるほどの関係性をこれまで持ったことがないのかもしれない。人望もなければ、存在感すらない。

人に頼られることもなければ、頼ることもしてこなかったこの51年間。
この世に、ぼくは存在していたのか?
誰かの記憶の中に存在しているのか?

色んな所に関わってきたけれど、離れてしまえば、もう関わりを絶ってしまって、近づきもしてこなかった。

いろんな出会いがあったはずだが、今でも続いている関係はない。
全て断ち切ってしまってきた。

そんなことばかりしてきたので、ぼくが通ってきた道に何の痕跡もなくて当たり前だ。自分で消してきたも同然なのだから。
出会ってきた人たちの記憶にも残っていなくて当たり前だ。

こんな人生に、いったい何の価値があるんだ?

ぼくはこんな人生を望んでいたのか?

ああ、何も分からなくなってきた。
悔い改める時間はまだ残っているのだろうか?

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