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冬休みの宿題


成田は中学校の冬休みの宿題で歴史に関する遺跡や博物館に行って、感想を書く宿題を出された。

成田の家は滋賀県の琵琶湖近辺で城跡や博物館がたくさんあるなかで彦根の佐和山城に行き、石田三成について書くことに決めていた。

琵琶湖東岸には安土城や彦根城があるが拝観料が取られる、豊臣秀吉ゆかりの長浜城と小谷城は電車の本数が少なく不便なので消去法で佐和山城に決めた。

成田は電車で彦根駅まで行き駅から線路沿いに歩きまずは佐和山遊園に寄った。

佐和山遊園は石田三成好きの館長が武家屋敷風の建物や仁王像などの彫刻を設置してある場所である。成田は武家屋敷の前にギリシャ彫刻と騎馬武者像が並んで建っている佐和山遊園が好きで何度も入り込んでいた。入口は扉が壊れたままで自由に入れるようになっていた。

成田は佐和山遊園で武家屋敷や騎馬武者像を見ながら石田三成のことを関ヶ原で敗けた武将としか知らないのに感想文をどのように書けばいいのかを考えながら20分程を佐和山遊園ですごした。

佐和山遊園を出て佐和山城までは一本道である。成田は別にやる気は無いし、面白くないけど宿題のためだけに佐和山城に向かっているので足取りは重かった。

佐和山城の入口から約20メートル手前にグラウンドがあり、グラウンドの横で焚き火をしているお爺さんがいた。

成田はこんな所で焚き火をしていいのか?と思ったが、正直とても寒い日で焚き火に当たりたいのでお爺さんに近づき「今日は寒いですね」とお爺さんに声を掛けた。

お爺さんは成田の顔を見ると笑顔で「待っていたよ。今日はこれから雪が降ってくるから焚き火でじっくりと暖まりなさい」と成田に言った。

成田は待っていた? 何で?お爺さんと待ち合わせをしたわけではないし、石田三成について書くことは誰にも喋ってはいない。お爺さんが今日、成田が佐和山城に来ることを事前に知っていることはあり得ない。しかしとても寒かったので成田にはそんなことはどうでもいいことだった。

成田はお爺さんに「今日はこれから雪ですか?」と聞いてみた。お爺さんは「10分後には雪が降り出すぞ。わしは永い間、この空を見てきたのじゃ間違いない」と言った顔は不敵な悪戯心を感じさせるものだった。

天気予報は曇りで降雪の可能性はなしだった。不敵な笑顔が気になるが悪意は感じない。お爺さんはまるで孫を見るような眼だった、いやその眼はもっと遠くを見ているかのようだった。

お爺さんは成田に「何をしにここに来たのじゃ?」と聞いた。成田は「冬休みの宿題で佐和山城と石田三成のことを書くために来ました。あまりやる気はないのですが宿題ですからしょうがなくですね」と余計な一言を付けくわえた。

お爺さんの答えは「三成は関ヶ原で敗けた敗軍の将だが賤ヶ岳では一番槍の功を挙げたのじゃ」だった。

成田も賤ヶ岳の事は少しだけ知っている。琵琶湖の北側にある余呉湖の湖畔で豊臣秀吉と柴田勝家が激突した戦である。成田は石田三成は経済官僚で戦下手だと思っていたので一番槍は意外だった。お爺さんは石田三成のことを色々と話してくれた。

お爺さんの話で成田の三成のイメージが変わってゆく。そこで成田はひとつの疑問をお爺さんにぶつけた。「何でお爺さんはそんなに石田三成に詳しいのですか?」。成田の疑問は当然だった。成田の中学生時代はネットで検索などまだできなかった。お爺さんはどこで三成の事を勉強したのだろう?自宅で沢山の資料に囲まれているのか?図書館で調べたか?お爺さんの答えは成田の想像を越えていた。

「わしが石田三成なんじゃ」

「え、よくわかりません」

「わしは石田三成の霊魂で今は人間に化けているのじゃ」

成田には全く意味が理解できなかった。当たり前である。いきなり「ワシは霊魂じゃ」と言われて信じられる訳がない。そこで成田はもうひとつの疑問をお爺さんに聞いてみた。

「小早川秀秋の居城に化けて出たのですか?」

「たわけ者!裏切り者の顔など見たくないわ」

お爺さんの答えを聞いて成田は妙に納得した。さらにお爺さんは続けて宇喜多秀家の事を話してくれた。

「秀家の八丈島には行ったぞ、わしは霊魂だから海を越えて行けるからな。新しい家族と妻の実家の仕送りで楽しそうに暮らしておったぞ」

「どういう意味ですか?」

成田は歴史にあまり興味はないし、詳しくもなかった。

「秀家の妻の実家は加賀藩の前田家じゃ。だから加賀藩は八丈島の秀家を支援していた。そして秀家は妻の実家の仕送りで八丈島で新しい家族ができていたのじゃ。あれは羨ましかったぞ。こちらは霊魂でみんなあの世に旅立って本当に天涯孤独の身じゃからな。」

お爺さんの話を聞いて成田の中で歴史上の人物の人間性が浮かび上がってきた。

その時から急に成田の背筋が寒くなり、雪が降りだした。

「やはりわしの予想通りじゃ。わしは400年以上この地で暮らして、空を観察しているのじゃ、わしの目に狂いはない。これから雪は強くなる今日はもう帰るのじゃ」

成田はもう少し三成の霊魂の話を聞きたかった。幽霊と話すチャンスなどこれから先にあるとは思えなかった。しかし雪である。ひとつだけ最後の質問をした。

「なぜ石田様は成仏あそばされなかったのですか?」

「わしはこの世に執着していた。太閤殿下の豊臣家を守りたかった。大阪城落城の後もおね様(豊臣秀吉の正室  おね)のお側に居たかった。おね様亡き後は責任と重圧から解放された。わしの生涯は重責だらけだった。今は気楽な隠居生活じゃ。霊魂の生活が楽しくて更にこの世に執着するから成仏できないと思っておる。雪が強くなってきた。早く帰りなさい。わしは霊魂だから平気だが、お主は生きているのじゃ。わしは養生のために干し柿も避けたぞ。」

雪は2日間降り続き、お爺さんと会ったグラウンドも雪景色でお爺さんの痕跡はたどれなくなっていた。雪のせいで佐和山城跡には登れないので成田は彦根城周辺と足軽屋敷でなんとか冬休みの宿題を仕上げた。

成田は肉のアキオのコロッケやキャベツ畑のお好み焼きを食べる時に「お爺さんはこの味を知っているのだろうか?」と考えることがある。いつ成仏するか誰にもわからないのだから美味しいものを食べてもらいたいと思う。

お爺さんが本当に石田三成の霊魂なのか?それとも石田三成が好きなお爺さんなだけなのか?  誰にもわからない。もし石田三成の霊魂ならば人間界を観察することが好きだからネットで検索して人間界の観察を楽しんでいるであろう。

石田三成の霊魂のイタズラはこれからも続く。

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