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字幕は主役じゃない

これはネタバレを避けるためにある映画の題名を伏せた感想。カトリック教会の大切な儀式のためにヴァチカンから派遣された司祭を含む教会の神父や修道僧たちが揃っている場で、喋り方を覚えたばかりの女の子が高名な神学論の神父に成り済まして、逃走を企む脱獄囚を指さして、こんな発言した。「He・・.con··vict. 」(あのヒト。有・・罪。)その場にいたヴァチカンから派遣された司祭の通訳を務める神父は女の子の発言を重大な問題だと判断して、ヴァチカンの司祭に耳打ちして、ことの説明をした。神父に成りすました脱獄囚の二人は秘密がバレたと考えた。通訳を務める神父に「俺達は良い行いをしたはずだ。」、「君たちの為に祈っただろう。」、「今更、裏切るのか?」と見逃してくれるように説得を試みる。しかし、通訳を務める程に真面目な神父は彼らに真実を問い詰める。「真実は隠すことは出来ません。私達は女の子の初めての言葉を通して、あなた達の恥を知りました。あなた達は(プロテスタントに)改宗(conovert)したとの彼女の言葉は真実ですか?」彼は《convict》(有罪)と《convert》(改宗)を聞き間違えていたことがそこで発覚する。字数の限られた映画の字幕で《ここは発言の聞き間違いで、英語のジョークですから。お間違えのないようにご注意下さい》とはお断りは入れられない。映画では上手に物語が途切れないように繋いでいた。しかし、どうにも納得できないのでネットで映画の脚本を調べて、真相に到達してから思ったこと。
字幕は重要。しかし、小道具として話題にすら上らない。日本全国にこんな細かい事に興味があるのは全人口の0.01%なので誰とも共有できないこと。取り敢えず、ここに書いておきます。
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