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会ってみたかった日本の経営者―彼らから学んだ事

幸運なことに、私は記者時代、世の中でもよく知られている経営者にインタビューや取材する機会に恵まれた。話を聞けば聞くほど、その経営手腕もさることながら、人格者だな、と心から思える企業トップも数多くいた。
 
その方たちについて話してしまうと、身バレの危険があるので、今回は取材することが叶わなかった経営者4名について書いてみたい。うち2名は、世代がずれているので、お会いすること自体がそもそも不可能だった。以下、私が会ってみたかった・取材したかった経営者の方々だ。


①本田宗一郎 氏(ホンダ創業者)

Wikipediaより

言わずと知れた本田技研工業(ホンダ)の創業者。
歴代の名経営者ランキングでも常に名前が挙がっているので、輝かしい功績を含め、その豪快な人柄についてのエピソードをご存じの方も多いだろう。
「人種や家柄や学歴などで人間を判断することを、私は今日まで、徹底してやらなかった」といった本田氏の信条に共感し、彼についての本は何冊か読んだ。
 
私が好きなエピソードの一つが、本田氏が取引先のアメリカ人を料亭に接待したときの話だ。そのアメリカ人は酔っ払ったのか、汲み取り式トイレに入れ歯を落としてしまった。本田氏は自ら、裸になってトイレに入り、入れ歯を探し出し、洗浄・消毒してから自分の口にくわえて、「これで大丈夫だ」と、パフォーマンスをしてその場を盛り上げたそうだ。参謀の藤沢武夫氏もこれをみて、本田氏には(人として)到底敵わない、ずっと彼についていこう、と決意した、とのこと。

皇居で勲一等瑞宝章の親授式に出席する際も、燕尾服でなく、「技術者の正装とは真っ白なツナギ(作業着)だ」といって作業服で出席しようとしたらしい。最終的には周囲に止められ、燕尾服を着用したようだが。頑固な技術屋である一方で、従業員からは「オヤジさん」と慕われ続けたのも納得する。
豪快で、人情味があって、知れば知るほど、魅力的な経営者だな、と思う。

②樋口廣太郎 氏(アサヒビール元社長)

アサヒビール中興の祖と言われる元社長。住友銀行副頭取からアサヒビール社長に1986年に就任。当時、業績低迷で「夕日ビール」と揶揄されていたアサヒビールを「スーパードライ」の成功で業界トップに導いた。

私は、まだ子供だったので、現役時代の経営者として樋口氏については存じ上げないが、2001年の日経新聞の「私の履歴書」を読んで、彼の子供の時に培われたファイティングスピリッツと人情味溢れる人柄に惹きこまれた。「前例がないからやる」「逆境こそチャンス」という精神は今でこそ、日本企業でも歓迎されるが、当時は受け入れられるのにはハードルが高かった、と思う。

銀行出身ということで反発を受けたこともあったようだが、「リーダーシップとは管理能力ではなく、部下の能力を充分引き出すことで、そのために、自分自身が豊かな発想を持って、才能を持った部下と一緒に仕事ができるかが大切なこと」と今の人材育成に通じる思考をしっかりとお持ちだった。
 

③鈴木修 氏(スズキ相談役)

浜松の中小企業だったスズキをグローバルな自動車メーカーに育てたカリスマ経営者。40年以上に渡り、スズキの経営の舵取りをしてきた。いち早くインドやハンガリー市場に進出し、GMやフォルクスワーゲンなど世界のトップメーカーとも提携(その後解消―今はトヨタと提携)するなど、鈴木氏の経営者としての辣腕ぶりが光る。

鈴木氏が会長を退任したのが2021年で、つい最近だ。記者時代とかぶってはいるが、私は自動車担当ではなかったため、残念ながらお会いすることはなかった。知っている記者や関係者から聞く話、そして報道を見る限り、とても豪快な人だというのがわかる。一方で、退任会見では「バイバイ」と手を振って去るなど、人を惹きつけてやまない方だな、と感じた。
 

④宗次德二 氏 (壱番屋の創業者)

少し上の3名とは毛色は違うが、壱番屋(カレーハウスCoCo壱番屋)の創業者。
ご存じのかたもいると思うが、彼の生い立ちは壮絶だ。生後まもなく孤児院に預けられ、その後養父母に引き取られるが、その日の食事もままならないほどの極貧の少年時代を送る。

不動産仲介業として独立したが、喫茶店に転業。1978年にカレーハウス「CoCo壱番屋」を開店。宗次氏の特筆すべき点は、そのストイックな仕事ぶりと慈善活動だ

以下はすべて、本やニュースで知ったことだ。

●引退するまでは、ゴルフや飲み会にも一切顔を出さず、友人を1人も作らず、3、4時間の睡眠時間で、仕事に専念
●毎朝4時台に出社し、1日1000通も届く「お客様アンケート」にすべて目を通し、店舗の掃除を行なうのが日課。
●経営の一線を退いてからは、名古屋・栄に私財を投じて「宗次ホール」を開設。音楽やスポーツの振興、福祉施設やホームレスへの支援などのためNPO法人イエロー・エンジェルを設立し、理事長に就任。
●今でも、毎朝4時に起き、ホール周辺を掃除し、花を植え、昼はスタッフ15人分のまかないを作り、公演前には入場口で客を出迎え、一緒にクラシック音楽を堪能するのが日課。
 
まさに信念の人だ。
 
ここで紹介した4名の経営者が共通しているのは、類まれなるチャレンジ精神もさることながら、厳しい状況の中でも前向きだった、ということだ。そして、仕事ぶりは徹底して厳しいが、その中でも人情があり、優しさがにじみ出ている。

経営に携わっていなくても、人生において、彼らから学ぶことは非常に多く、何らかの岐路に立った時には、彼らの生き方・人生を読み返したいと思う。

英語でも書きました。

 
https://twitter.com/ATF_TOKYO

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