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初めて映画で使われた電子音楽/「禁断の惑星」とバロン夫妻

 1947年、アメリカで世界初のUFO目撃事件が話題となり、人々の関心は空へと向けられた。空を飛ぶ宇宙からやってきた謎の物体、それは冷戦下の核の恐怖の裏返しであったが、来るべき宇宙時代への憧れもそこにはこめられていた。それと呼応するかのようにSF文学も成熟期に入り、クラークやハインライン、P・K・ディックといった現在でも読み継がれている作家たちの作品が次々と発表された。
 1950年代に入ると映画の世界でもSFブームが本格的に始まり、特殊技術に予算をかけたものから、どうしようもなく安っぽいものまで数多くのSF/ホラー映画が製作され、まさに黄金時代と呼ぶべき様相を呈していた。

〇SF大作「禁断の惑星」
 1956年に公開されたMGM映画「禁断の惑星」は、50年代のSF映画を代表する作品。シェークスピアの「テンペスト」を下敷きに、宇宙間を航行する探検隊が惑星アルテアで遭遇する危機を、50年代当時の最新の特殊技術と美術で描いた傑作である。劇中に登場するロボット「ロビー」のレトロフューチャーなルックスはあまりにも有名で、今ではSF映画を代表するアイコンとなり、現在もフィギュアが販売されているほどの人気を獲得している。実体を持たない怪物「イド」の作画合成にディズニープロが参加するなど、製作会社を越えた技術協力も話題を呼んだ。多くの予算が視覚効果につぎ込まれ、出演者は無名俳優が多数起用された。主役は当時まだ駆け出しだったレスリー・ニールセン。後に「裸の銃を持つ男」シリーズをヒットさせ、日本でも有名になる。ロボット「ロビー」に至ってはスターの不在を埋めるかのように新人のスター俳優として扱われた。

 この映画を紹介する常として、視覚効果に触れた話題が多くなる。しかし、音楽、音響面で大変な話題を呼んだ作品でもある。だが、この映画にはクレジット上では「音楽」担当がいない。スクリーンに映し出されるのは”Electric tonalities”「電子調性」という表記。そこで紹介されているのがルイスとビーブのバロン夫妻である。

〇電子音楽の知られざるパイオニア、バロン夫妻
 バロン夫妻は、海外ではシンセサイザーやサンプラーが存在しない時代の電子音楽のパイオニアという評価が定着しつつあるが、日本ではおそらく「禁断の惑星」を観た人以外にはほとんど知られていないのではないだろうか。
 ルイス・バロン(1920~1989)は、若いころから電子工作に興味を持つ一方で、シカゴ大学で音楽を専攻。妻のビーブ・バロン(1925~2008)は、ミネアポリス出身で複数の音楽家の下に師事していた。世間がUFOの話題でもちきりであった1947年に2人は結婚、ニューヨークに居を定める。結婚祝いに当時の最新式のテープレコーダーをいとこからプレゼントされた2人は、磁気テープに録音された音を編集して、一つの作品として完成させるミュージック・コンクレートという手法の研究に没頭する。
 1948年、マサチューセッツ工科大学の数学者ノーバート・ウィーナーが、生物と機械の関係を通信、制御に重点を置いて統合的に理論化・体系化した著作「サイバネティクス」を発表する。現在の科学技術にも応用されるこの本から強い示唆を得たルイスは、著作の中に示された方程式をもとに特異な電子音を発生させる電子回路を考案した。この回路は、現在ではシンセサイザーなどに搭載されているリング・モジュレーターと同じ働きをするものだった。
 彼はこの回路を利用した装置を使って磁気テープに基本となる音を録音、その後さまざまな音をダビングしていき、音の遅延効果(ディレイ)、残響効果(リヴァーブ)、逆再生再生速度の変調などの効果を加えていった。ときにはミュージック・コンクレートのようにテープそのものをハサミで切ってつなげるという編集を行った。
 このような「作曲」はたいへん時間がかかり、忍耐力を必要とする作業であったが、その作業の結果はアメリカで初めて磁気テープに録音された電子音楽となった。オーケストラの演奏を念頭に置かない、一度録音したテープの中にしか存在しない音楽を作り出すという考え方は、当時はかなり斬新で先鋭的な表現だったと言えるだろう。フランク・ザッパや中後期ビートルズレコーディングスタジオでの実験の結果生まれた、ライブでは再現不可能な作品を次々とアルバムに収録する20年近く前の話である。
 バロン夫妻の音楽は多くの前衛音楽家たちの耳を捉え、1950年代初頭にはジョン・ケージとのプロジェクトや、いくつかの実験映画に提供する音楽の製作に従事した。ところが、経済的な理由から彼らはハリウッドでの仕事の獲得に意欲を見せ始める。

〇「禁断の惑星」に参加
 1955年のクリスマス、MGMの映画プロデューサー、ドール・スカリーは休暇で家族とともにニューヨークに滞在していた。彼はニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにある先鋭的なアーティストが出演するナイトクラブに出かけ、バロン夫妻の音楽を知り、次に準備していた作品、「禁断の惑星」「効果音」のためのオファーを出した。バロン夫妻は早速スタジオに入り、初となる大作映画の仕事のために作業を開始した。いくつかの音源のデモテープを作成し、サンプルとして聴かせたところ、ただちにオファーは映画全体の「音楽」へと切り替えられた
 「禁断の惑星」の冒頭、MGMの有名なライオンマークが消えると同時に聞こえてくるのは、「ヒュヒュヒュヒュヒュヒュ」という下降する奇怪な電子音である。タイトルが宇宙をバックにした画面に大きく現れると同時にその電子音も変化していき、さまざまな音のコラージュが続く。これは音楽なのかと当時の観客は面食らったに違いない。

 バロン夫妻は自然音以外の音響効果の全ての音を創造した。ロビーの運転するジープの駆動音、古代文明の原子炉、モノレール、宇宙船の航行音などに独特な電子音が充てられた。結果、「禁断の惑星」は、世界で初めて電子音楽を全面的に導入したメジャー大作となった。
 また、電子音楽黎明期の代表的な楽器といえばテルミンがまず上げられるが、ヒッチコックの「白い恐怖」、ロバートワイズの「地球の静止する日」で効果音的にオーケストラと共演している程度で、電子楽器のみでのサウンドトラックの製作は、「禁断の惑星」が初めてだった。

〇「音楽」とみなされなかった「音楽」
 バロン夫妻の仕事は後のキャリアを激変させる絶好のチャンスとなるはずであった。しかし、ニューヨークを拠点としハリウッドの音楽家組合に所属していなかった彼らは、音楽家としてのクレジットを与えられなかった。公開直前まで彼らのクレジットは「電子音楽」とされていたが、蓋を開ければ冒頭に述べた通り「電子調性」とされたのだ。奇をてらったわけではなく、窮余の策として無理矢理編み出された言葉だった。そのためオスカー候補からは外され、映画の公開に合わせてサウンドトラックレコードが発売されることもなかった
 ところが同年、デヴィッド・ローズという作曲家が、「禁断の惑星」のタイトルでシングル盤をリリースした。ローズは「禁断の惑星」の音楽を担当すべく契約を結びながら、バロン夫妻のオファーに伴って解雇された経緯があり、そのシングル盤は彼が「禁断の惑星」のテーマ曲として準備していた曲を収録したものであった。MGMがサントラ盤のリリースを決めなかったのは、電子音楽というものがまだ前衛的なものであったため、レコード商品としてヒットを狙うには難しいという判断があったのだろう。ローズの音源にも本編で使用されたような電子音が収録されているが、こうしたMGMの判断にバロン夫妻の胸中はどうであったのだろうか。察するに余りある。

 結局、バロン夫妻のオリジナルであるサウンドトラックがリリースされたのは1976年。すでに公開から20年が経っていた

〇その後のバロン夫妻
 バロン夫妻は、ハリウッドでの仕事の機会には恵まれなかった。さらに当初は革新的であったその音楽も、1960年代のシンセサイザーの登場が電子音楽の急速な発展を促したことで、途端に古臭いものとなってしまった
 1970年に2人は離婚したが、その後も音楽の共同制作はルイスが亡くなる1989年まで続いた。ビーブはその後10年間、作曲作業をすることはなかったが、1999年、サンタ・バーバラのカリフォルニア大学に招かれ、コンピューターによる音声生成システムを用いて、作品”Mixed Emotions”を完成させた
 バロン夫妻のキャリアは、ハリウッドでの成功を志していたことをふまえれば「不遇」となってしまうかもしれない。「禁断の惑星」のサウンドトラックは、現代の人々には古めかしく聴こえる部分もあるだろう。しかし、2人の作り出した音は来るべき音楽の未来を予測し、現代にまで至る電子音楽の礎となった。それは音による人間と機械の交信の記録であった。

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