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鳴りやまぬ警鐘/「メトロポリス」フリッツ・ラング&ジョルジオ・モロダー

「メトロポリス」はご存知で? 
(戸田奈津子構文)

 1927年公開近未来の超巨大都市を舞台に労働者と資本家の軋轢と、それによって起こる暴動を描いたSF作品であります。

 さらっと言いましたが、スケールの大きな階級闘争を真っ向から描いていて娯楽映画としては実に深刻なものだったりします。監督はドイツ映画の父、フリッツ・ラング1927年といえば海外ではビートルズのメンバーは誰も生まれておらず、日本では昭和2年。三島由紀夫はまだ乳幼児芥川龍之介が死んで江戸川乱歩が活躍した時代であります。そんな時代の映画です。
 古いけれどもその影響たるや大変なもので天を衝く高さの摩天楼、荘厳に立ち並ぶ高層ビルの間を高速道路が交差する都市の風景はSFにおける未来都市のイメージの原型となり、手塚治虫からバンドデシネ「ブレード・ランナー」「フィフス・エレメント」などの作品に直接/間接的な影響が伺えます。「スター・ウォーズ」のC3-POのモデルとなった人造人間のデザインもあまりにも有名です。

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 当初、ドイツ本国で公開された「メトロポリス」はオーケストラの演奏を伴い、上映時間が3時間を越えるかなり長大な作品として公開されました。ですが、アメリカへの輸出に際して、アメリカ側の配給会社(パラマウント)が1日の上映回数を稼ぐためと、「共産主義的」という理由から半分近くをカットしてしまい、運の悪いことにフィルムは離散長い間そのアメリカ編集の短縮版が世界標準となってました。

 そこで1983年、ユーロビートの生みの親と言われるディスコの帝王、ジョルジオ・モロダーが映画の公開権利を買い取り、復元作業に乗り出します。この権利の買取には同じく「メトロポリス」を愛するデヴィッド・ボウイとの熾烈な落札競争があったとか無かったとか。そして公開されたモロダー版「メトロポリス」は、当時世界各国のコレクターから集めることのできたフィルムを繋ぎ、不足分はスチール写真や字幕画面でフォローしたものでした。画面は場面ごとに着色(といっても画面を覆うフィルターのようなもの)を施され、元々サイレントだった映画にMTV的というか、フレディ・マーキュリーはじめ、パット・ベネター、アダム・アントといったザ・80年代な顔ぶれのミュージシャン達を集めて、めちゃカッコいいBGMを付け足したのであります。ドギツくて毒々しい色の画面に響き渡るフレディの美声!!自分が初めて見たのはこのモロダー版。このどこかプラスチックな質感を持つカッコよさ私のハートはすっかりカツアゲされたのです。ただ、のちのちクラフトワークベルリン時代のデヴィッド・ボウイなどを通してドイツ的なものへの興味が深まると、ジョルジオ・モロダーのポップ極まりない解釈はなかなかにダサいんじゃないかと思った時期もあったのは事実です。

 モロダー版「メトロポリス」は権利の関係からか海外ではキノローバーからブルーレイが一度出たっきりで、国内ではいまだにDVDすら出ていません。ですが、サントラ盤はSpotifyで配信しています(なぜかフレディの"Love Kills"がオミットされてますが、フレディのソロ作として単独では聴けます)。

 時は流れ21世紀本家本元ドイツ人達もさすがにヤバイと思ったのか、本格的な復元作業に乗り出す。モロダー同様、脚本を元に世界中から集めたフィルムを繋いだものを、さらにデジタル技術で画面補正公開当時にオーケストラが伴奏したスコアも再現、見つからなかった部分はモロダー版のように字幕画面で補い、21世紀以降の定本となる「『元祖』メトロポリス」を完成させました。こちらは2006年に日本でもDVDがリリースされました。

 自分はフレディの声が聞こえ無い「メトロポリス」が面白いのか悩んだけど、好奇心に勝てず、購入して観てみたら驚きました。モロダー版には無い場面の連続、そしてなにより、画面が恐ろしくキレイで100年近く前の映画には全く見えない。本筋を補う脇筋も復活奥行を感じさせる映画に様変わりしていました。というか、これが本来の姿だけど。

 ただ、やっぱり長かった・・・。

 俺としてはダサいとか思った頃もあったけど、「気軽に見るにはモロダー版が最高」という思いを新たにしました。

 「メトロポリス」を観たアドルフ・ヒトラーは映画をドイツが生んだ新しい芸術として絶賛しました。原作を書いたラングの妻、テア・フォン・ハルボウは徐々にナチスに傾倒していき、ラングは離婚を決意します。ラングはユダヤ人だったのです。ナチス宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスから会食の誘いを受けた彼はその足で列車に乗り、ドイツを脱出。アメリカへ亡命しました。

 また、この映画で描かれる優雅な生活を送る資本家と、笑っちゃうくらいかけ離れたどん底の生活を強いられる労働者の姿は、新自由主義が蔓延る現代では決して絵空事として観ることはできません

 明日、社会を動かす巨大な機械の前で倒れているのは他ならぬ自分かもしれないのです。



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