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「ゴジラ」を生んだ音響と音楽/伊福部昭・三縄一郎・下永尚

日本特撮映画の原点、ゴジラ。

 もはや説明不要、水爆実験の放射能によって怪物化した古代生物の生き残り。都市を蹂躙し、口から吐く白い炎は街を炎上させ、歩いた後には瓦礫の山しか残らない。登場から60年以上経過した現在でも人気を保ち続けている、まさに怪獣の王である。第1作目「ゴジラ」は昭和29年に公開。後に黒澤映画の第二班監督も務める本多猪四郎の戦災の記憶を基調とした手堅い本編演出と、この世には存在しない怪物を重量感たっぷりに視覚化してみせた円谷英二率いるチームによる特殊技術は、洋の東西を問わず、評価され続けている。本稿では本多、円谷に並んでこの映画で重要な役割を負った人物をあと三人紹介したい。その三人はゴジラに説得力のある存在感をによって高めることに成功した。

○ゴジラに生命を吹き込んだ音響効果/三縄一郎・下永尚

 もしあなたがゴジラという名前を聞いたら、その姿だけでなく、あの独特な雄叫びも思い出すのではないだろうか。そのゴジラの声を作り上げたのが音響効果担当の技師、三縄一郎下永尚だ。彼らはゴジラの声を創造するという仕事を任され、完成まで多くの試行錯誤を繰り返したのだ。声の製作にまつわるエピソードに関しては三縄氏へのインタビュー(「初代ゴジラ研究読本」洋泉社P170~173)、初期の「ゴジラ」DVDに収録された音楽担当である伊福部昭の証言に詳細が残る。それぞれの主観で話しているのでまとめを試みると大体、以下のようになるようだ。録音技師の三縄と下永はこの仕事を引き受け、まず実在の動物の声を使おうと考え、様々な動物の鳴き声を比較検討した。結果、ゴイサギという鳥の鳴き声が一番不気味に聞こえるということで、ゴジラの映像にゴイサギの声を重ねてみた。しかし、単純に鳥の声にしか聞こえず全く力を感じない。結果、使えないという判断が下された。行き詰ってしまった。この辺りから伊福部も加わっていたようなのだが、彼らはゴジラが白い炎を吐くという設定を聞き、生物感にこだわることをやめる。この生物感の排除という判断がいい方向に転じるきっかけとなった。彼らは様々な実験を経て、ひとつの方法にたどり着く。それは低音楽器コントラバスを使用するというアイデアだ。かつては、ゴジラの声は「松ヤニを塗った手袋でコントラバスの弦をこすり、そこで生じたノイズを録音し、オープンリールであったテープの再生スピードを手動で操作する」ことで作り出したという「定説」があった。伊福部氏もそう話していた記憶が筆者にはある。しかし、三縄氏のインタビューによると、話はまるで違う。まず、複数のスタッフで弦を緩めたコントラバスをいろいろ弾いてみて録音し、声に聞こえそうなテイクを残した。そして、テープを速めに再生することで音のアタックを強くし、テープをひっぱり徐々に再生速度を下げていったのだという。三縄氏の証言は実際の作業に忠実と思われる。こうして生まれた半ば機械的な響きをもつ重低音がゴジラの持つ重量感にうまく当てはまり、ゴジラは叫ぶことが可能になった。ここで初めてゴジラに生命が吹き込まれ、キャラクター造形が完成したと言っていいだろう。以降、シリーズを重ねて何度か再録による声変わりを経るものの、基本的な声は変わっていない。蛇足だが、ゴジラの重量感の演出にこれまた欠かせない音が「足音」だろう。これに関しても「エコーマシンを蹴って作り出した」という「定説」があったが、こちらも三縄氏によって否定されている。当時はエコーマシンなんてなかったから、アーカイヴにあった爆発音の頭の部分をカットし、階段にスピーカーを設置して再生。踊り場の空間で自然に反響させた音を録音したのだという。日本人の感性としてエコーマシンを蹴るなんてあるだろうか?とか考えていた身としては納得がいく話である。

○「ゴジラ」の音楽を作った男、伊福部昭

 伊福部昭は西洋かぶれ一辺倒であった戦前の日本の音楽界に、「日本狂詩曲」によって一石を投じた異端の作曲家であった。海外の音楽賞などでその功績が認められるも、戦後は音楽学校の教師を務めながら映画音楽を請け負い糊口をしのいでいた。しかし、伊福部は映画音楽に効果音楽としての面白さを見出し、それまでに培ってきたアイデアや実験的な手法、要素を惜しみなく注ぎ込んだ。「ゴジラ」もその一つであるのは言うまでもない。中でもあの有名なタイトル曲は、日本で一番親しまれている変拍子と言えるだろう。北海道で育った伊福部の記憶に根ざす土俗的な感性。それは時に旋律よりも打楽器によるリズムを重視し、管弦楽で重低音を強調する。ヨーロッパ的な音楽が基本とされるクラシックの世界では賛否がはっきりとわかれるものだ。しかし、その独特な感性は、ゴジラという今まで誰もみたことのない空想の怪物に不思議なリアリティを与えた。以降、伊福部はシリーズ化されたゴジラのほかに、「大魔神」などを筆頭に数多くの特撮映画音楽を手がけることになる。伊福部が関わったゴジラ映画を何本か鑑賞すると、伊福部昭がゴジラにあてたモチーフはタイトル曲の旋律ではないことがわかる。「キングコング対ゴジラ」などのゴジラの登場時に流れる重厚な半音階的旋律がゴジラの本来のモチーフだ。例の変拍子の曲は第1作目では、ゴジラに立ち向かう防衛隊の登場に伴うモチーフであった。しかし、その後の長い時間を経て、インパクトの強さや覚えやすさからゴジラのテーマ曲として定着したのだった。ゴジラのモチーフは1作目の後にアレンジされ、「キングコング対ゴジラ」のゴジラ登場シーンや「ゴジラ対モスラ」のタイトル曲に使われている。また、それまでの映画音楽は、編集の終わったフィルムの音声を記録する部分に直接録音されていたが、「ゴジラ」は音楽をフィルムではなく、音声記録用のテープに録音した最初の東宝作品であることも特筆すべき点だろう。ハリウッドでは珍しくない技術であったが、ここで初めて映画フィルムとは独立して映画音楽を保存することが可能になった。私たちがCDなどで「ゴジラ」の音楽を聴くことができるのは、昭和29年に録音されたマスター・テープが現在でも大切に保管されているためだ。その技術革新から40年近く経過した1980年代初頭、映画のBGMを収録したサウンドトラック・レコードが大いに人気を博し、数々の名画のサントラ盤が次々とリリースされた。聴覚で映画を追体験できるサントラ盤は、ホームビデオが定着していない時代の重要なアイテムだったからだ。東宝特撮作品も例外ではなく、このリバイバルによって初めて伊福部作品の正当な評価が始まった。映画音楽を入り口に、伊福部の純音楽作品の世界へと踏み込み、その魅力にはまり抜け出せなくなる者も多い。

 伊福部昭は戦時中、航空機関連の戦時研究開発のために放射線を扱っていた兄を放射線障害で亡くしている。また、自身もそののち、林野局で同じ理由で体調を崩した。そのため、水爆実験によって眠りを妨げられ、放射能で怪物化したゴジラに対して同情に近い特別な感情を抱いていた。戦前は土俗的な作風が近代から逆行した国辱的な音楽といわれ、戦後は現代音楽や十二音の流行の中で時代遅れといわれ、怪獣映画の仕事が続いた頃は、「ゲテモノ、キワモノ」という非難を浴びたこともあるそうだ。爪はじきにされていた自身と重ねた部分もあったかもしれない。彼は2006年に惜しくも逝去。91歳という高齢にもかかわらず、最期まで作曲にとりかかっていた。その後、伊福部作品単独の演奏会や、音源や楽譜の発掘、CDの積極的なリリースなど彼の功績を再評価する試みは今でも続いている。もう彼を「ゲテモノ」と呼ぶものはいない。

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○Sound EFX/BGM on Japanese Film 映画の効果音/BGMシリーズ 1「ゴジラ」
(VICG-60591)


 先述のサントラ・ブームのさなか、少年たちのハートを鷲掴みにしたのが、小さな絵本サイズの怪獣図鑑にBGM/効果音入りのカセットが一緒になったもの。カセットを再生して図鑑を読むと、図鑑の進行通りに怪獣の鳴き声を聴くことができたのだ。そこで、ブルーレイなど高画質・高音質で映画を所有する時代となった今、あえてBGMではなく効果音というテーマで過去の東宝特撮映画の音源をできる限り1枚に収録したのがこのアルバムだ。昭和から平成にかけての代表的な作品が網羅されており、一度再生すれば聞き覚えのある音がスピーカーからズビズバと炸裂する。かなりニッチな魅力に溢れた1枚だが、資料的な価値は非常に高く、音響効果に興味のある方、純粋に怪獣が大好きな小生のようなチャイルド魂溢れる大人は必聴と言えるだろう。個人的にはキノコ人間マタンゴの笑い声がツボであった。この独特かつ異様な声は後に「ウルトラマン」のバルタン星人の声として日本全国の少年たちの耳に深いトラウマを残すのだ。

<伊福部昭を知るための入門編>

○交響頌偈(じゅげ)釈迦
指揮:小松一彦 演奏:東京交響楽団
合唱指揮:郡司博
合唱:東京オラトリオ研究会 大正大学音楽部混成合唱団


 伊福部昭は映画音楽を、あくまで映像に付随する「効果音楽」と考えており、演奏会などでの演奏には向いていないとして、長らく観客の前で演奏することを固辞していた。しかし、サントラ・ブームの盛り上がりと特撮ファンの熱烈な要望にこたえて、特撮映画のために作曲した音楽(主にタイトル曲)を演奏会用に交響曲としてまとめたのが「SF交響ファンタジー」だ。
このアルバムには「SF交響ファンタジー」の第一番を収録。ゴジラの動機から始まる迫力に満ちた15分間を堪能できる。またタイトルトラック「交響頌偈(じゅげ)釈迦」初演は、”伊福部節”の真骨頂といえる大曲。映画音楽などをのぞいては伊福部最後の大作となった。混声合唱とオーケストラの共演による第3楽章のあまりのスケールの大きさには畏怖すら覚える。

〇現代日本の音楽名盤選 Vol.5 (ビクター VICC-23010)
収録「ピアノと管弦楽のためのリトミカ・オスティナータ」
指揮:若杉弘 演奏:読売日本交響楽団 ピアノ:小林仁


 ポストロックや変拍子に興味がある人に聴いてもらいたいのが「ピアニスト殺し」の異名をとる「ピアノと管弦楽のためのリトミカ・オスティナータ」だ。リトミカ・オスティナータとは「律動的反復」とのこと。ミニマル音楽のようでありながら躍動感に満ちた旋律を繰り返すピアノと、重厚な管弦楽が一体となって徐々に熱を増してゆき、怒涛のクライマックスを迎える様は筆舌に尽くしがたい。エンディング直前で聴かれる神業的「全休止」は鳥肌モノ。このアルバムに収録されているのはファンの間でも熱演との評価が高い若杉弘指揮バージョン。

〇作曲家の個展 (フォンテック 残念ながら廃盤)
指揮:井上道義 演奏:新日本フィルハーモニー交響楽団

 伊福部交響曲の代表作にして傑作「シンフォニア・タプカーラ」を、井上道義による指揮で収録。「シンフォニア・タプカーラ」は、ある意味伊福部音楽の集大成であり、伊福部に興味があるのならば必聴と言える。指揮者の解釈によって重量感、スピード感がかなり違ってくる作品でもあり、現行リリースされているものは数種類あるが、個人的には伊福部独特のタメと躍動感をうまく表現しているように思うので井上版をオススメ。同時収録の「日本組曲」は、日本の祝祭ムードてんこ盛りの豪快な作品。楽しい伊福部が味わえる。

<蛇足>
○庵野秀明が「シン・ゴジラ」で蘇らせた伊福部昭

 伊福部の逝去から10年経った2016年の夏、ゴジラが復活した。「ヱヴァ」シリーズの庵野秀明が「総監督」として作り上げた「シン・ゴジラ」だ。復活といっても、ゴジラファンはあまり待たされたとは思わなかった。なぜなら2014年にレジェンダリーピクチャーズ製作、ギャレス・エドワーズ監督でアメリカ映画「ゴジラ GODZILLA」が公開されていて、2年そこそこのインターバルでの登場となったからだ。ハリウッド生まれの通称”ギャレゴジ”は、それまで日本人が忘れかけていたゴジラのカッコよさ、怪獣同士のぶつかりあいのケレン味を盛り込んで見せ、ゴジラがそもそも存在する理由の変更や、物語運びに若干の難はあったものの、それらを十分に吹き飛ばす勢いのある映画となった。「シン・ゴジラ」が公開されるまでは、小出しに、本当に小出しにされる予告編の内容に、ゴジラファンはやきもきさせられた。ギャレゴジのクライマックスを越えるカタルシスを、「シン・ゴジラ」が果たして実現できるのか?いざ公開されると全ては杞憂だったことが明らかになった。原点に帰った恐怖の対象であるゴジラは、旧来のゴジラファンはもとより、新たな世代の観客を獲得することに成功し、リピーター続出の大ヒットとなった。「発声可能上映」や「女性限定上映」などのイベント形式での公開も行われたことも話題となった。そして庵野総監督の大英断、いくつかの重要なシーンで伊福部昭の過去作のオリジナル音源をそのまま使用したことで、伊福部ファンのハートを見事にカツアゲすることに成功したのだった。筆者も劇場の大スクリーンでゴジラの姿を目にし、大音響で伊福部サウンドが鳴り響いた瞬間、全身が総毛だつほどの興奮を覚えた。本当は現在の音響に合わせてオリジナル音源からの耳コピで伊福部サウンドを再演した新音源を用意していたそうなのだが、最終的にオリジナルがそのまま使用されたのだという。庵野さんはとてもわかっていらっしゃる!!エンドロールであのゴジラのテーマ曲が流れ出したときは完敗、といいますか筆者はもはや泣いておりました(実話)。

こうして伊福部昭の音楽は世代を越えて人々の耳に残っていくのだ。

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