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「もう介護の仕事はしない」と決めた私が半年後再び介護の現場に戻ることになったきっかけ

ああ。休みが終わってしまう…。

今年、1/31付で、1年1か月働いた介護施設を辞めた。

もう介護の仕事はしない。そう思っていた。だから退職時は次の仕事が決まっていなかった。

で、まさかの半年、遊んで暮らしてしまった。いや、正確には遊んでばかりいたわけではない。その間は1月に腕を骨折した母の病院に付き添ったり、まさかまさかの更年期障害に苦しんだりした。症状が少し落ち着いた5月頃、

「娘が産後里帰りして来て、生まれてくる初孫のお世話の手伝いが終わってから働こう」

と決めた。初孫は予定日より3週間ほど早く、6/11に無事生まれて来た。退院後娘と初孫は里帰りして来て、3週間を我が家で過ごし、家に戻って行った。

再就職先は、実は5月の末に決まった。

登録していたサイト経由でオファーが来たのが5月半ば。

「訳あって8月以降の就労を考えている、ご縁があればその頃応募したい」と返信すると「8月以降の就労でも構わないし、一度見学だけでも」と言われた。

見学を経てその後面接を受けると即決で採用を頂き、諸々判断してここで働きたいな、と決めた。

いろいろ条件がありすぎて見つからず、もう介護しかないのか…と考え始めていた4月、ハローワークの失業手当認定日の帰りに、駅前の書店の前でつまづいている初老の男性を目撃した。

思わず駆け寄っている自分に納得した。

私と同世代と思しき女性ふたりと、スーツ姿の若い男性も駆け寄って来た。

その初老の男性は、杖と、書店で購入した雑誌の入ったビニールの手提げ袋を持ち、私が支えるとかろうじて書店の外壁に手をついた。

持っていたビニール袋は、つまづいた時に縦に裂けてしまっていた。

「これ中身出ちゃいそうですね、もらって来ましょう」と、私が言うと、「僕行って来ますよ!」と、駆け寄って来た若い男性がすぐにお店に飛び込んで行った。「ありがとうございます!お願いします!」

言ってすぐに、「あ~。袋は今、有料じゃん…、私としたことが、『お願いします』って…」と地団駄を踏む思いだった。

若い男性は、自身で袋を購入し、書店員さんを伴ってすぐに戻って来た。つまづいていた男性が「袋代を支払います」と言ったが丁重に断っていた。スーツ姿で恐らく仕事中であろう。

「僕はこれで」と言われたので私も「すみませんでした、ありがとうございました」と伝えた。

初老の男性は、少し離れた駐車場に車を停めてひとりで来た、と言われたのでそこまでついて行った。ふたりの女性もついて来てくれていたが、ひとりは途中の交差点で「私はこれで」と別れた。

もうひとりの女性は私と一緒に駐車場までつきそい、お互いに「ありがとうございました、お疲れさまでした」と言って別れた。

もう、私の心はあの時決まっていた気がする。

「また、人生の先輩や困っている人の支援をしよう」

と。

働くことになった施設からオファーを頂いて面接日を決めた頃、たまたま同居している父と話すきっかけがあり、「また介護の仕事をしようかと思って」と話した。

父には、これまで人生のアドバイス的な言葉をかけてもらったことがなく、父親と深い話ができないことに、不満とも寂しさともつかないあきらめの気持ちが常にあった。

すると父がこんなことを言ったのだ。

「〇〇(私)は、優しさもあるが厳しさもあるから、介護には向いているんじゃないか」

あ。

初めて言ってもらえた。父親らしい人生のアドバイス。

どうやら厳しさは日々私が父に「歩きなさいよ!動けなくなったら大変よ!」と言っているところから感じていたらしいのだが…。

続けて、

「『歩かないと、私のお父さんみたいになるわよ!』とか(利用者に)言ったりしてな?」

などと、おどけて言っていた。

何にせよ、次の職場でどんな利用者さん方に会えるか楽しみだし、もちろん大変なこともあるだろう。

だけど今回は、父のこの言葉を時々思い出して、踏んばれそうな気がするのだ。


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