蕎麦屋とカウンター

三連休の最終日が終わろうとしている。1月10日の13時、昼過ぎに起きた私は絶望していた。私が働いている会社は週一で出社があるのだが、生活リズムが崩れないよう、平日は6時過ぎに起きるようにしている。休日は日曜日、つまり最終日はなるべく早く起きたい。それが今回の三連休では失敗で、全日程で昼過ぎに起きてしまった。

何もしないのが休日である。

そんな戯言を信じて休日はベッドでだらだらするのだが、さすがに3日寝て過ごすのは時間を無駄に使っているような気がする。損しているのではないか、そう思うと少し不安な気持ちになってくる。不安である、ということは精神が休めていない証拠なので、ベットでだらだらするのは合理的ではない。何か行動していた方が有意義である。

しかし、急に何か行動しなくてはと思ったところで、頭も体もすんなりと動いてはくれない。どうしたものかとしばらく考えていると、お腹が減ってきた。昼飯くらいは外で食うか。私は蕎麦を食べに一つ隣の駅の蕎麦屋に行くことにした。

蕎麦屋に着いて引き戸を開けると丁度目の前でお会計をされてる方がいた。店員さんに「少々お待ちください」と言われたので、店の外で待っていた。ほどなくして会計が終わったお客さんが外に出て来た。私は呼ばれるだろうとそのまま少し外にいたのだが、呼ばれる気配がない。待っていろと言われたのに勝手に入るのもいかがなものかと思ったが、中の様子を伺おうと扉に近づいた。すると少し開いた扉の隙間から店員がやって来るのが見えた。テーブルの上の皿か何かの片付けをしていたので遅れてしまったようだ。

その店員はおもむろに扉の取手を掴むと、そのまま閉めた。

閉めた。

寒い季節。なんだか入るのが怖くなったが、3分ほどして恐る恐る扉を開けると笑顔で「いらっしゃいませ!」と言われた。

私はそれから動揺してしまって、カウンターに座れと言われたのだが、私の想像するいわゆる細長い机のカウンターはそこにはなく、目に入ったのでとりあえず奥にあった暖簾をくぐってみるとそこは厨房であったりした。

店員に取り押さえられながらカウンターはどこですかと尋ねると、カウンターはもう通り過ぎてますと言われ、私はカウンターを乗り過ごしてしまったりもした。

しかし案内されたカウンターはやはりカウンターと一見分からず、三角形で、各辺に2人ずつ座るテーブルのことをここではカウンターと呼んでいるようであった。

三角形の頂点辺りに座ると、各辺から好奇の眼差しを感じた。カウンターを通り過ぎた男がカウンターの場所を訪ねたのだからそれもそうだろう。この人カウンター知らないんだ。そう言われてるような気がした。私は恥ずかしくなって、適当に蕎麦を頼み、適当に食った。七味をかけようと思ったがどこに蓋があるのか、どこから七味が出るのかもわからない知育玩具のような形をしていたので、これ以上恥をかきたくない私は七味を諦めた。

食べ終わって一息つくと、私は無性に腹が立ってきた。あんなものはカウンターと言わない。あの蕎麦屋は三角形のカウンターという今までにないアイディアでカウンター界に風穴を開けたつもりかもしれないが、私に言わせればあれはただの三角テーブル。カウンターの風上にも置けない。

家に帰ってもなんだかむかむかして、文句の一つでも言っておけばよかったと思った。今度行ったとき、まだあれをカウンターなどと呼んでいたら、説教してやる。

私はそう意気込んで、Wikipediaでカウンターを調べ始めた。

はて。カウンターとは、なんだろう。

私はカウンターを知らない。そして、妙なカウンターで出された蕎麦の味を、思い出せない。

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