付きまとう不安

就職してから二年が経った。一年目に比べると仕事も覚えてきて、最近では新入社員の研修のサポートなど行っている。このまま着実に仕事をこなしていけば無事に人生を終えられるのではないか、そう思っている。

しかし、不安が消えない。

何に対しての不安か分からないまま過ごしていたが、漠然とした不安は心を締め付けるようで、二年目になってからPCの前に座ると嗚咽するようになってしまった。

仕事に対しての不安、もちろんそれもあると思う。よく分からない事も多いし、それに対してのモチベーションもあまりない。ただ、おそらく自分の根底にある不安は「将来」という漠然としたものだと思う。

仕事でミスをする、解決する。この過程にストレスが掛かったり不安が付きまとったりする。その時、自分はこの先も同様のことの繰り返しなんだと憂鬱になってしまう。

これはプライベートに関してもで、私は人生を一本の線だと教えられて生きてきた。中高一貫校に入学して、日々の勉強は大学受験という将来に向けてだったし、大学での日々は就職という将来に向けてだった。

将来の為にいかに今日という一日を浪費せず投資出来るか。

そういう考えで生きてきたと思う。だから休日にだらだらと過ごしてしまうと凄い罪悪感が芽生えるし、将来に対しての不安が増してしまう。

私はただ幸せに生きたい。でも、幸せは将来に向けて今どれだけ頑張っているかが決まるもので、今日という一日をただ生きるということは将来を犠牲にしていることと同義だと考えてしまう。

では、その「将来」というのは何なのだろうか。私にはその明確な将来像、あるいは目標がない。だから、いつまでたっても将来はあいまいなものだし、あいまいな将来に対する不安もあいまいなものとして付きまとってくる。

そして、今の私が感じている将来に対する不安は、結局将来の私がさらにその先の将来に感じる不安につながっている。つまるところ不安が解消されることはない。人生を一本の線だと考えると、その線の先には常に不安が待っているということだ。

私は何の目的もなく生きている。強いて言えば幸せになりたい。しかし、明確な目標が無い人間が、将来を思い描いてそのために今日を生きる。そういう生き方を続けていくのはおそらく難しいのだと思う。なぜ将来に対しての希望があるかは、どれだけ将来の自分をはっきりとイメージ出来るかによる。それが将来の希望というプラスになり、不安というマイナスな要素を受け止められる。しかし将来をイメージできない人間はプラスがないから、不安だけを引き受けることになる。

とすると今日を幸せに生きる。それを繰り返していくという刹那的な生き方を選択するべきなのだろうが、価値観の転換は自分の人生においてそう簡単には起きないのも事実だ。

頭ではわかっていてもそれを実践することの難しさを今痛感している。このまま生きていても幸せにはなれない。線は点の連続なのだから、今日を大切にしなければならないのは当然なのだが、いつからこれほどまでに生きることが苦しくなったのだろう。

結論は単純だがその単純さに身を任せられるほど、私には度胸が無い。


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