ちぇ、多様性
教室に入ると、佐藤と鈴木が何やら言い争いをしていた。
「おはよう、何しているんだ。」
佐藤はいらだった表情で首を傾けると、眉毛を八の字に曲げ、さらに首をかしげた。
「いや、別に大したことないんだ。」
煮え切らない返事だった。
僕が学級委員長だから事を荒立てたくないのかもしれない。
首折れちゃうよ、と思いながら鈴木のほうに顔を向けると、鈴木は逆八の字の眉毛を蓄え、鼻息荒く言った。
「蜆さんが死んでしまったんだけど、佐藤のやつがそれを俺のせいだっていうんだよ」
「蜆さんが?」
なんて物騒な話だと周りを見渡すと、確かに教室の隅に蜆さんが倒れていた。口から泡を吹きながら、全身を痙攣させている。
「これを鈴木がやったってこと?」
「俺はやってない!」
いきなり大声で激昂した鈴木を不快に感じて、僕はこいつが犯人でいいやと思った。
鈴木のその様子を見た佐藤が、ニヤニヤしながら鈴木をおちょくる。
「俺が教室に入ったとき、すでに蜆さんは倒れていたんだ。それで、鈴木に何があったのかと聞いたら、こいつ、急に動揺して、別に俺のせいじゃないとか弁明を始めたのさ。だから、俺はこいつが蜆さんを殺したのではないかと思ったって訳。」
なるほど。それで先ほどの言い争いが始まったというわけか。
「じゃあ、鈴木が殺したってことでいいよな。」
「な、なんでそうなるんだよ、俺は、俺はやってない、、!」
「なんだあわあわして、蜆さんの物まねしてんのか?」
背後から聞こえる野次馬の声に聞き覚えが無くて、思わず振り返る。
僕の目にひどく痩せた髪の長い男が映ったが、やはり覚えがなかった。
「君、名前は?」
「え、谷治だよ、同じクラスだろ、、」
「そうか、いいかい谷治君。そんな珍しい苗字をしているくせに、僕に名前を覚えられることもないようなモブキャラのお前が、人の死を利用して話題に入ろうとするなよ気持ち悪い。」
全く、高校生にもなるとクラスをまとめるのは骨が折れる、と考えて、そこでふと気づいた。
「蜆さんはまだ死んでいない。」
そうだ、蜆さんが痙攣しているということは、蜆さんはまだ死んでいないじゃないか。
「蜆さんが死んでいないということは、考える余地がある。まず、蜆さんを助けるべきか、みんなで考えよう。」
学級委員長として、みんなを正しい方向に導かなければならない。
「そりゃあ、助けられるなら助けるべきだろ」
「いや、無理に助けるべきじゃないんじゃないのか。」
鈴木が言う。
「は?なんで?」
「だって、もしかしたら蜆さんは自ら命を絶とうとしているのかも知れないだろ。それなのに無責任に助けたとして、それで蜆さんは救われるのかな。」
「そんなの分かるわけないんだから、とりあえず助けた後に本人に聞けばいいだろ。それでもし自殺しようとしてたんなら、もう一度頑張れって言えばいいじゃん。」
「っていうか、なんで鈴木は蜆さんを助けたくないんだ?もしかして、お前蜆さんが起きたら自分がやったことばらされると思ってんじゃないの??」
またもや背後から野次馬の声がしたので、僕は谷治を殴った。
「い、今のは俺じゃないのに、、、」
「知らないモブキャラを殴るのも、知っているモブキャラを殴るのも変わらないさ。それに、」
「僕のお父さんはアントキの猪木だ。ありがたく思え。」
谷治の鼻から流れる赤い液体を見て、僕はそれを反省の色と受け取った。
「蜆さんは生きていたかったと思うよ。」
この件が終わるのを待っていたかのように甲高い声がして、視線を向けると、泉さんだ。
「蜆さん、言ってたの。夏に差し掛かって最近すごく暑いから、もう思い切って髪型をボブくらいまで短くしようかしらって。」
「それはいつ頃のことだい。」
「昨晩よ。」
なるほど。確かにそれなら今日突然死にたくなったとは考えずらいな。
「ところで。」
僕は先ほどから気がかりなことを聞いてみた。
「なんで蜆さんの髪を切ったのかな?」
床には大量の切られた黒髪が散らばっていた。そして、泉さんは右手にすきばさみ、左手に櫛を持っている。
「私、美容師志望なの。」
泉さんの目に光はなく、日本人形のような髪型で痙攣する蜆さんは一層不気味な雰囲気を纏っていた。
「なあ、その髪の毛俺が掃除しといてやるよ。」
野球部の久保はそう言うと、床に膝を付いてまるで甲子園の土みたいに髪の毛をかき集め始めた。
「やだ汚い。箒で片付けなさいよ。」
クラスの女子生徒達が気味悪そうに見る。
「しかし、さっきまで誰かの身についていた髪の毛が、切られた瞬間に汚いものとして見られるなんて不思議なもんだよな。」
久保は純粋な目で両手の髪の毛を見つめると、大事そうにビニール袋に入れ、空気を抜いたあと口を縛った。
「そう言われるとそうだな。」
「なんか、あいつの一部だったものをゴミとして扱うのは違う気がする。」
「あいつを少しでも感じていたい。」
久保に感化されたのか、クラスの男子たちがぞろぞろと髪を集め始めたとき、クラスで最も成績の良い川上が声を上げた。
「おい、こんなことをしている場合じゃないだろう。蜆さんは瀕死で今にも危ない状況だよ。早く助けなければ。」
「だから、今蜆さんを助けるべきかの話し合いを始めたところじゃないか。」
「そんな悠長なことしている場合じゃないだろう。とりあえず救急車を呼ばなければ。」
川上がポケットから携帯を取り出し、119番を押そうとしたところで僕はそれを取り上げた。
「学校に携帯の持ち込みは禁止だよ。後で先生に報告しなければね。」
川上の顔が歪む。お世辞にもきれいな顔立ちとは言えない川上の顔に皺が寄るとこの上なく醜い。冷静さを欠く男は嫌いだ。物事は論理だてて進めなければならない。
「じゃあ、先ほどの議論の続きを始めようか。」
クラスメイト達のほうへ視線を向けると須藤が何やら蜆さんのポケットをまさぐっていた。
「蜆さんに2千円貸してたんだよな。死んじゃったら悲しまないといけないから。今のうちにさ、返してもらおうと思って。」
僕が見ていることを察知したのか、やれやれといった表情で須藤は言った。
「それと、議論の余地はないようだよ。」
須藤は悲しげな表情を作りながら二千円を握りしめた。
「蜆さん、息をしていない。」
誰がそうしたのだろうか、蜆さんの顔にはティッシュが一枚かけられていたが、それは全く動くことはなく、蜆さんが亡くなったことはだれの目にも明らかだった。
「アメイジング」
ハーフのボブが言った。
「・・・グレイス」
谷治を殴った。
僕はゆっくりと教壇まで歩いた。別に意識してゆっくり歩いたわけではない。ただ、頭がぼんやりとして、現実感がないこの空間に、自分の足が一歩一歩地に足を着ける感触を意識しないと今にも倒れてしまいそうだった。
「じゃあ、今から反省会を始めよう。」
将来教師になる僕の、初めてとなる授業のチャイムが鳴った瞬間だった。
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