jida
たくさんのひとたちを見て、わたしは日々、こんなことを感じ、こんなことを考えるようになりました。
「いまのわたしがいるのは、あのときの、あなたのおかげです。」 そんな感謝の気持ちを込めて、わたしのルーツとなったひとびとを語ります。
久々に、思い出の、ホッとする場へ行くとともに。 メンバーによっては、ホッとする場すら、イマイチな場になると実感する想いも再来し。 ああ、そうだったな。 と、思い返したのだ。 あの時感じていた、微妙な空気感は、決して変わるものではなく。 そして、改めて、思いに至る。 合う場所で、合うひとと共に、生きていけばいいのだ、と。 仕事なら、そこはかなり妥協しても、傷つくことはない。 プライベートだからこそ、なんだかチクチクする。 合う、合わない、が、ダイレクトに感じられ
いつまでも、頭のどこかから離れないことがあるとき。 そのやりとりは、何度も頭の中で繰り返される。 けっして、思い出そうとしているわけでもないのに。 勝手に、何度も、思い返される。 このモヤリは、何者か。 なにがどうして、こんなにも繰り返される? わたしは、考える。 なんだか納得がいかないのは、なぜか。 わたしはいったい、なにを気にしているのか。 気にしている原因は、なにか。 相手か、それとも、自分か。 どちらの許せない発言か。 どちらのいただけない態度か。
本当のことも言わないけれど、嘘も言っているわけではないあなたよ。 わたしが、知らないとでも思っているのか。 気づいていないとでも思っているのか。 世界を手玉に取れているとでも? いやいや、きっとあなたは、そこまで考えているわけではないのだろう。 それほど真剣にこの世を生きているとも、感じにくく。 それでもなお、ニヒルに、気怠く生きるあなたよ。 わたしがあなたの人生に触れるのは、ほんの一部分で、大概は知らないことだらけだけれど。 騙されてもいい。 ちょっとくらいは
わかった気になる。 これが、一番油断が生じて、慢心しやすいのかな、と思った。 やってます。 わかってます。 自他共に、経験上は、わかってない、やれてないひとの言うセリフだ。 やれているひとは、やれているかは問われない。 わかっているひとには、ひとはそのことを問いかけもしない。 やってない、 わかってないからこそ、 問いかけられる言葉なのだと言うことに、ひとは気づいていく必要があるのではないだろうか。 そして、 そんな自分も、昨日気づけなかったことに、今日気づいて
疲れた。 自分だけだったら、もう少し、無理をして、駆け抜けていたことだろう。 ストップをかける、きっかけは、些細なことで。 ストップをかけられた時は、こなさなければいけない数々のことが頭をよぎり、目の前の大切なものをおざなりにしそうだったけれど。 ちゃんと、わたしは、立ち止まることができた。 すると、どうだろう。 わたしが、ここのところ、いかに気を張って、疲れ果てていたのかを、思い知るのだった。 ああ。 わたしはこうやって、いつも誰かに救われている。いつも誰か
死の間際に、 「あんたなんか、産まなきゃよかった」 と言われたんだそうな。 死にゆく母を見ながら、娘は、何を感じたろうか。 それは、絶望か、諦めか。
散々考えて、話して、それでもテコでも動かないから、 「もう好きにすればいい」 と諦めて。 調べ尽くした資料と、それにかけた時間は、とてつもなく、それがすべて何の意味があったんだろうと思っていたところ。 急に、動き出す。 なんだろう。 諦めて、すべて手放すと、勝手にやってくる。 回り道をしながら、結局は戻ってくる。 あの子はこれから、何処へいくのか。 回り続けるのか、見つけていくのか。 半走者なんて、結局大したことはできやしない。 「自分で決めること」と言いつつ、お
ある自死のニュースに対して、 追い打ちをかけるほどに真っ当な正論。 この正論への賛同者数は、数万。 このコメントに対する批判や戒めコメント、非賛同コメントへの賛同数は、数十から、多くて600。 割合を計算してみると。 たったの2〜6%。 世の中は、正論に賛同するひとで、満ち溢れていると言うことか。 これが、世間なのか。
みんなそれぞれ、生きて、感じて、生活している。 わたしも、あなたも、知らない誰かも、 希望を持ったり、 絶望したり、 どうでもよくなったり、 ちょっとしたことで元気になったり、 虚しくなったりしながら。 どんなひとにも、今日があって、明日がやってくる。 ひとを、ひととして、尊重する。 誰もが、そこを忘れてはいけないのだと思う。
お金になんてならないけれど、自分の熱中できることをやってきた。 自分の心には、正直に。 なんでもないフリをして、自分に嘘をついた日もあった。 そんな日は、今では遠い昔のこと。 苦しんで、なんとなくそれでも諦められなくて、自分にとって大事なことはなにか、考え続けてきた。 数十年後に、透析になるかもと言われた時も、パワハラで、カウンセリングに通った時も、海外で、孤独なのか自由なのか、わからなくなってた時も、ずっと、ずっと。 心が止まった時さえ、わたしは水面下で、自分を救
頭がクリアな時は、いいんだけど。 疲れていると、時には余計なこと言う。 言葉でわかり合おうと思うと、クドくなる。 そんな自分がずっと嫌だった。 でも、それをカミングアウトすると、 仲良しのひとたちは、 「それが○○だよね!」 「え?いっつもやってるじゃんw」 と、アッサリ普通に返してくる。 こんなわたしを気にしているのは、疲れている時のわたしだけなのか・・・ ホントのところ、どうなの?! って、また自問自答。 そのうち、時間が経つと、いろんなことに流されて、気に
悩んだり、飲んだり、語ったり。 時には受け入れてもらって、時には流されて。 ひとに聞いてもらっても、相手は聞いてなくて、 結局話すだけ虚しくなるのに、 でも、懲りずにまた話したりして。 そうこうしてるうちに、モヤることは、 自分で文章でも書いている方が、すっきりすることに気づいたりもして。 なぜならそれは、自分の書いたことを、何度も見直すから。 ちょっとした表現を、 「あ、これ違うかな」 「もうちょっとここは」 と思って、直しているうちに、 知らず識らずに、自分に語
かつて、よく読んでいたTwitterの投稿。 よく訪問していたブログ。 大好きな、noteのフォロワーさん。 みんな、みんな、どこへ行ったのだろう? それぞれの人生で、ほんの短い期間だけ、密なわたしたち。 わたしは、忘れてないよ。 会えてないけど、なんだか大切に思ってるよ。 ほんの短期間の接点。 でもなんか、とっても核心をついたような出会い。 わたしは、忘れてないんだよね。 会えなくなっても、なんだか好きなんだよね。 いつか、いつか。 また会えるといいなぁ。 こ
わかって欲しくて、 ずーっと、わかって欲しくて、 訴え続けていた。 時には諦め、時には苛つき、 時には逆ギレされ。 そんなよくわからない怒りが、本当はどこにあるのか、 わたしは、とっくに気づいていた。 わたしの怒りは、目の前のあのひとに対してではない。 あのひとの、家族を取り巻くものだと。 家族関係なんて、意識しない頃は、よかったな。 純粋に、あのひとだけのことを、考えてられたもの。 好きか、嫌いか。 惚れるか、惹かれないか。 そんな単純なスケールでよかった。
今日は、仕事で、いくつか重い話があった。 その後に、ふと届いた、フォローしている方からのコメント。 沁みた。 そうか、あの頃、燃え尽きが抜けていたか。 あれから、たくさんの日々が過ぎて、燃え尽きからは抜けたけど、いろいろな想いがあって、苛ついたり、諦めたり、悶々としたり。 それは、もうnoteには記せないほどプライベートなことで、私は、自分の携帯の日記アプリにだけ記していたのだけれど。 気がつくと、周囲の状況も変わり、わたしは、わたしの毎日を大切にしようと思った。
どうやったかな、自分? と、思い返してみると。 やっぱり、 日々、悶々としていた自分の問題というか、課題というかを、 1つ1つ、紐解いて、解決していっていたのでした。 それは、自分のちからで頑張ったものもあれば、 ただただ、偶然に、やってきたものもあって。 だけど、 もしかすると、その偶然は、自分のこれまでが、引き寄せたものかもしれなくて。 やってくるのは、偶然なのだけれど。 そんなこんなで、元気です。 サプリだの、漢方だのの力も借りたっちゃ、借りました