事件研究

歴史的事件の私見をのべるアカウント 本アカウントは別にあるため、更新不定期。

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最近の記事

連合赤軍事件研究NO. 8

永田から激怒され、逮捕時の取調べについて自己批判した能敬。すると、永田だけでなく、森からも追及を受けるようになった。追及は取調べだけでなく、逮捕時の対応まで広がった。 と森からまったく相手にもされなかったが、弁護しようとしたのが金子だったことは後に彼女への批判につながることとなる。 尾崎もKに渡した銃を埋めた場所の地図の再現を求められ、森の追及を受け始めていた。 坂口は、小嶋がいつのころから森の追求を受けるようになったのか、はっきり覚えていないと書いている。しかし前回取り

    • 連合赤軍事件研究NO. 7

      連合赤軍結成についての合意が取れたあと、指導部会議は雑談していた。そのうち、指導部で唯一独身だった坂東の結婚が話題にのぼる。 坂東が「別に、結婚しないと決めているわけではない」と答えると、永田が「我々になったのだから、坂東さんは伊藤さんと結婚したらどう?」と勧めた。 このあと、永田は伊藤を呼び出し、坂東との結婚を説得する。伊藤はすでに片思いの相手がいたので断ろうとしたが、結局坂東との結婚を受け入れたようである。永田自身も組織の命令でいやいや坂口と男女関係を結んでいたが関係を結

      • 連合赤軍事件研究NO. 6

        森との会合を終え、永田と坂口は榛名ベースに戻った。 すると、協力者のつもりであった山本がいて、永田は困惑した。彼との連絡を任せていた尾崎や小嶋に確認すると、永田の指示を勘違いして彼を入山入軍させてしまったのだという。永田は仕方ないので、彼の入山を認めた。 永田から森との会合についての報告をしたあと、メンバー全員でベース建設の最後の仕上げをした。永田と小嶋は一緒に作業していて、小嶋は と決意を語った。 永田は小嶋以外の女性たちからの相談にもよく乗っていたようだ。杉崎が寺岡に頼

        • 連合赤軍事件研究No.5

          永田ら革命左派メンバーが始めた遠山批判。森はこの批判に飲み込まれ、過激化していく。 森による遠山批判と行方批判 赤軍派メンバーが遠山を総括させると宣言した翌日の12月6日、両派は射撃訓練を行った。見張り役と射撃場の中継役を任された永田は小屋にいた。すると、訓練の途中で遠山が戻ってきた。 この日の夜に行われた会議では射撃訓練の感想を共有したが、赤軍派メンバーが遠山が訓練の途中で小屋に戻ってしまったことを批判した。永田はこの批判に便乗し、小屋でのやりとりを語ってさらに追及し

        連合赤軍事件研究NO. 8

          連合赤軍事件研究No.4

          赤軍派と革命左派の共闘関係は深まっていき、共同軍事訓練を行うことで合意した。このころ、革命左派では瀬木の逃走や川島陽子らの逮捕によって組織の動揺が見られ、その引き締めも期待していたようである。 革命左派の参加者は 永田・坂口・寺岡・吉野・前澤・金子・大槻・杉崎・岩田(逮捕された加藤能敬のかわり)の9名だった。赤軍派の参加者は、 森・坂東・植垣・山崎・進藤ら軍のメンバーに加え、合法部の青砥・行方、女性メンバーも参加することになった。これは、革命左派に比べ、軍の女性メンバーがいな

          連合赤軍事件研究No.4

          連合赤軍事件研究No.3

          前回までの二回で連合赤軍を構成した赤軍や革命左派について取り上げた。今回は連合赤軍事件の発端である『印旛沼事件』について取り上げる。 二人の逃亡の経緯 坂口の提案で山中アジトで集団生活を送るようになった革命左派のメンバーたち。すでに指名手配されていた指導者層(永田・坂口・寺岡・吉野)や銃砲店襲撃事件の実行犯をはじめとする軍のメンバーだけでなく、合法部の一部メンバーらも集められることとなった。これは永田の意向であった。 永田は真面目で親身になる性格が好まれて指導者となったが

          連合赤軍事件研究No.3

          連合赤軍事件研究No.2

          前回は赤軍派の事件関係者を整理したので、今回は革命左派について整理する。 革命左派革命左派は1968年川島豪(東京水産大)と河北三男が結成した『警鐘』グループが前身である。毛沢東の思想に影響を受け、『反米愛国』を標榜していた。学生運動より労働運動に重点を置いており、党員は大学を辞めて労働者にならなければならないという不文律があった。河北が関西に移ると、川島豪が実権を把握し、過激化していく。川島豪が逮捕されると、彼の奪還を目指して、警官から拳銃を奪う作戦が実行される。その最中

          連合赤軍事件研究No.2

           連合赤軍事件研究 No.1

          このnoteの一番最初に取り上げる事件は『連合赤軍事件』である。この事件はあさま山荘事件(1972)の解決後に発覚した連合赤軍による連続リンチ殺人である。その死者は12名にもおよび、日本の新左翼運動の衰退への契機となった事件でもあった。 現在では遠い過去の事件のように感じられると思うが、この事件はいわゆる日本人の『周りの空気を読む』特質がもたらしたものと私は考え、このアカウントで取り上げる第一の事件として選んだ。 この事件の特徴の一つとして、関係者の多さがあげられる。初回の今

           連合赤軍事件研究 No.1

          はじめに

          このページの趣旨 私にとってこのアカウントは二つ目にあたる。 すでにあるアカウントでは趣味の歴史や美術について語っている。ありがたいことにフォロワーができ、楽しく使わせてもらっているが、もうひとつ取り上げたい分野がある。 過去の重大事件である。私は昔から、事件もののノンフィクションを読むのが好きだった。また大学時代に新興宗教に勧誘され、私自身ももしかしたら入会していたかもしれないと思うになり、より一層身近に感じた。 すでにあるアカウントで書くことも考えたが、フォロワーにとって

          はじめに