見出し画像

私の好きなオランダの諺「Pluk de dag」

今朝のオランダは、夜に降った雪がうっすらと積もり、一面の銀世界が広がっています。なので、いつもより少し早めに家を出て、自転車で滑らないように気をつけながら、息子たちと一緒に登校しました。

学校に着くと、担任の先生が息子に「今朝は靴を脱がずにそのままでいいよ。すぐに外へ出ますから」と声をかけてくれた。私が「今日は真っ白で本当に綺麗ですね」と言ったら、「そう、だから今日はまず外に出て、雪の日を楽しむことにしました」とのこと。

こんなやり取りからも、オランダ人は本当に素直に「Pluk de dag」、つまり「今日を生きる」という言葉の通りに生きているなと感じる。息子たちが通うモンテッソーリスクールでは時間割の概念が薄いため、こういった自由な判断ができるのだと思うが、まさに「Pluk de dag」の精神だと思う。

先週、近くの公園の芝生が一面凍結して、自然のアイスリンクになった時にも、どこからとなく沢山の人が集まってきて、思い思い、自分のスタイルでアイススケートを楽しんでいたのを見てて「Pluk de dag」だなぁと思った。そして、その氷は翌日には溶けて消えてしまったのだから、あの日にPluk(収穫する)しなければ、失われてしまう果実だったのだし。

Pluk de dag」は、ラテン語の「Carpe diem(カルペ・ディエム)」、つまり「その日をつかめ」という意味をオランダ語に訳したもの。直訳すると、「今日という日を収穫する」といった感じかもしれない。今、この瞬間を大切にし、可能な限り楽しむことが大事という意味だ、とオランダ人の友人から教えてもらった。

対照的な諺が、同じくラテン語の「メメント・モリ(死を忘れるな)」で、これは中世キリスト教徒的な考え方を表す。ルネッサンス時代のヒューマニストたちは、「メメント・モリ」に対して「カルぺ・ディエム(Carpe diem)」を使い、人生は短いからこそ、今を生きるべきだという考えを打ち出したらしい。

オランダ人は堅実で現実的な人たちだ。彼らは刹那的にではなく、日々の生活の中で、自分のできる範囲で「今を生きる」を自然と実践しているように、私には見える。人生は「今」しかないという現実を受け入れ、それに基づいて行動するのが、基本OSとして組み込まれてるのかなぁ。

この「Pluk de dag」の言葉が私はとても好きで、知人が結婚する際には、ソーイングアーティストのNutelさんにこの言葉を縫って絵にしてもらったこともある。新しい人生の始まりにぴったりの言葉だと思ったから。

これまでだって「Pluk de dag」で生きてきた方だと思うけど、最近特にこの言葉が心に響く。それは、母が亡くなった54歳が近づいているからかもしれない。今年、私は44歳になる。母が亡くなる年齢まであと10年しかないとか考えはじめると、色々な感情が湧いてくる(そんな事を考えすぎても意味ないなとも思うけど)。今まで以上に「今を大切に生きること」の重要性を感じさせられる。

世の中は不確実で、先を憂いたくなることが多い。でも、「今、ここ」に心を注いで生きることが、一番大切だと思う。ケチに生きる時間はないのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?