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70年の歴史が生む信頼。「女将」の枠にとらわれず老舗旅館を導く | 旅館小戸荘 薗田有美

会社や店舗、商品の持つブランドや信頼といったものは、じっくりと時間をかけた先にやっと出来上がるものである。そこには、商いに関わる人々の積み重なった努力、そして歴史がある。

「最初は周りから怪訝な顔をされるようなことでも、この方向がいい! と感じたことには飛び込むようにしています」

今回の主人公はそんなことを語っていた。老舗と呼ばれる場所では、常に伝統と革新がせめぎ合う。老舗旅館を継いだ女将が考えていることとは。

「女将はこうあるべき」は先入観。三代目女将の決意


宮崎県庁の目と鼻の先。表通りの喧騒から離れた裏路地には情緒溢れる小さな旅館がある。

その名は旅館「小戸荘」。初代女将の松下ハル子さんがこの仕事をはじめてから実に70年以上の歴史がある。これまで宿泊や接待・会食の場として地元の人から県内外の著名人にまで広く愛されてきた。

看板メニューである「小戸鍋」をはじめ新鮮な地元素材を使った郷土料理に舌鼓を打つ人は後を絶たない。とくに小戸鍋は読売ジャイアンツの原辰徳監督が太鼓判を押しており、キャンプシーズンになると監督・コーチ陣で食べに訪れる。小戸鍋は「げん担ぎの鍋」としてプロスポーツ界では、もはや食べることが一種の儀式のようになっている。

小戸荘名物「小戸鍋」
溶き卵につけて、すき焼き風にいただく

「お客様次第で旅館・料亭ととらえ方が変わるのは小戸荘の魅力の一つかもしれませんね。思い出の残り方が人それぞれで」

そう話すのは女将として小戸荘を切り盛りする薗田有美さん。祖母でもある初代女将の松下ハル子さん、母で先代の松下美佐子さんに継いで、有美さんで三代目となる。

旅館を営む家庭に生まれた有美さんだが、当初は家業を継ぐつもりはなかったという。短大・専門学校を卒業後は地元出版社に勤め、多忙ながらも充実した日々を送っていた。仕事でさまざまな人に会うたびに実家が小戸荘であることを話すと「え! そうなの!?」と驚かれた。人によっては「歴史のあるところなのに継がないのか」という声も。小戸荘が広く認知された場所であることを客観的に知ることによって、はじめてその存在の大きさに気づいたという。

やがて気持ちに変化が訪れ、家業を継ぐ決意を固める。有美さんは27歳で小戸荘へ戻り、結婚と出産を機に夫の健治さんは板前修業をはじめた。

若女将として接客や旅館経営のいろはを学ぶ毎日。「女将」といえば旅館の顔であり、教養高く芸事に秀で、常にお客の気持ちを慮る…という高尚なイメージが強い。あらゆることに関心を向け、感覚を研ぎ澄ませていなければ務まらない気もするが、有美さんは「これまで女将であることを意識したことがない」と話す。

「女将だからといって、たとえばお花やお習字ができなければいけないと思ったことはありません。私自身が旅館の生まれということもあり、『女将だからこうあるべき』という先入観がないのかもしれませんね」

「できないものは仕方ないじゃないですか(笑)」といい切る姿は気持ち良く、潔さを感じる。

「ただし、旅館で何か問題が起きれば自分が責任を取りますよ。そこははっきりしていますね。旅館が潰れそうとか一大事になれば誰よりも強いというか。お店の顔である以上、その覚悟は常に持っています」

旅館の「外」へ! いくつもの危機を乗り越えて


有美さんは経営に関わるようになると、さまざまな試みを行っていく。

まずは出版社時代に小戸鍋に使う出汁を瓶詰め商品「小戸鍋の素」として販売。物産展やデパートの催事に参加し、自ら店頭に立った。老舗デパートとして名高い日本橋高島屋の物産展にも挑んだ。ちなみに小戸鍋の素は「味百選」にも取り上げられたことがある。物産展では一人でブースに立ち続け、何度も赤字を経験し、挫けそうなことも多々あったという。

「なんでもかんでも飛びついていましたね。当時はバイヤーさんにも『出汁で勝負するんですか?』といわれたことがありますが、世間知らずだったので押し通していました(笑)。でも、瓶詰め商品を出したからこそ小戸鍋は小戸荘の看板メニューとして知られるようになったんですよ」

続いて「宮崎県産牛復刻ハヤシ」を誕生させた。このハヤシライスは、祖母の松下ハル子さんが営んでいた旧宮崎県自治会館の食堂の人気メニューを再現したもの。“安くて早くておいしい”そんな昭和30〜40年代の当時を知る人々にとっては待ち焦がれた機会だった。

有美さんが小戸荘に戻ってきてからというもの、口蹄疫、新燃岳の噴火などの自然災害が起き、リーマンショックや消費税の引き上げ、キャッシュレス化といった社会情勢の変化があった。そんな外的要因による影響を受けつつも、前例や固定観念にとらわれず、直感を頼りに動くことで小戸荘の活路を見出してきた。

しかし、2020年には新型コロナウイルスの全世界的流行がやってきた。外出自粛や感染拡大防止策により小戸荘も大きな影響を受けることになる。対人接客によるコミュニケーションが大きな意味を持つ旅館・料亭にとってはその存在意義が危ぶまれる事態だ。だが、有美さんは持ち前の直感力と自身も誇るタイミングの良さによって、苦境を切り抜けてきた。

コロナ前から準備を進めてきたキッチンカーでいち早く移動販売を開始。出店先では復刻ハヤシを求めに多くの客が訪れ、早いときは10分で売り切れることもある。

「実はキッチンカーには賛否あったんですよ。『老舗旅館なのに恥ずかしくないの?』『女将が店番するの?』って。でも、私が売らなければ誰が売るんですか。私自身はキッチンカーをすごく楽しんでますよ。話す機会が増えて、ここでないと出会わない方がいたり、『ハヤシライス! 懐かしい!』といってくださって毎回来られる方もいます。そこで旅館が紡いできた歴史を感じることもあって、頑張ろうって元気をいただいてますね」

ブランドは歴史とともにある。信頼を守るためのポリシー


新型コロナによって否応なく求められた変化。しかし、キッチンカーでの移動販売や復刻ハヤシの普及など、旅館の枠にとらわれない活動を地道に行った結果、小戸荘自体の新規客が増えたという。

「キッチンカーを頑張っていた影響か応援してくださる方が増えました。『あのとき頑張ってたよね』って。出店先で直接宴会の予約を受けることもありますね」

はじめて小戸荘を訪れる人々をまず圧倒するのが、玄関に創設されたギャラリー。これまで訪れた著名人の色紙や写真が展示されている。記載された名前を眺めていると、そこに集うのは錚々たる面々だ。分野の垣根を超えたスポーツ界のオールスターが同じ空間にいる。好きな人にとってはよだれものだろう。

読売ジャイアンツ・原監督による次回シーズンへの意気込みを記した色紙が展示されている

「お客様がお連れ様に『小戸荘はすごい場所なんだよ! すごい人が来るんだよ!』と自慢している姿を見ると私たちも誇らしいですね。ほかにも復刻ハヤシを宮崎県内の老舗ゴルフ場のメニューで出していただいてますが、お客様によっては『あそこに置かせてもらえるなんてすごいことだよ』とのお声をいただくこともあります」

創業から長い時間をかけて積み上げてきた信頼や信用があってのこと。原辰徳監督をはじめ、今でこそ小戸荘を愛する著名人たちも、最初は出会いのご縁からはじまり、少しずつお互いの信頼関係を築いてきた。あの方が支持するならと、評判が評判を呼ぶかたちで新たなご縁がやってくる。

そんな関係性を維持するためにも、有美さんは最低限のルールを自らに課している。

「やっちゃいけないことは決めていますね。たとえば、安易に著名人の写真をSNSに掲載しないなど。そんな小さなことを守り続けてきたから信用されてきた部分もあります。どんな方がいらしたかは実際に小戸荘に来ていただいたときにギャラリーでご覧になっていただけるといいかな」

小さなこととはいえ、著名人が小戸荘を支持する理由はまさにここにあり、だからこそ安心して繰り返し訪れることもでき「小戸荘は行けば間違いないところ」と認知されているのだろう。

「人とのつながりで生き残れているお店です。目には見えないことを大切にしてきたからここまで来れました。守るべきところは守りつつ、主人にも褒められる“厚かましさ”を発揮していきたいですね(笑)」


(取材・撮影・執筆|半田 孝輔

【薗田有美】
旅館小戸荘 三代目女将
宮崎市出身。出版社勤務後、家業である小戸荘を継ぐ。「小戸鍋」や「小戸りぶとん」「宮崎県産牛復刻ハヤシ」など人気メニューのPRに尽力。キッチンカーや自販機設置など旅館の枠にとらわれない活動を行う。宮崎青年会議所JC太鼓の女性としては初の卒業生となる。

【旅館小戸荘】
住所:〒880-0805 宮崎県宮崎市橘通東2丁目9番8号
TEL:0985-23-2092
HP:https://www.odosou.com/
Instagram:@odosouyumi


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