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憲法を少しでも理解するだけで考え方が広がりパラダイムシフトが起こる理由

パラダイムシフトというか、当たり前だと思ってたことが、実はちょっと視点をずらしたら全然当たり前じゃないっていうことは世の中にはいっぱいありますよね。

結論として憲法っていうのは、国民を縛っているものではなくて、国民が国をむしろ縛るためのものです。

やっぱり結構、知らなかったっていう人多かったかんですけれど、憲法のイメージって逆なんですよね。

普通に法律の感覚でいるから、法律ってぼくたちに何かを禁止してくるじゃないですか?

憲法は条文読んだらわかるけど、僕たちに対して何かを言ってない

そもそも条文のレベルで。

それこそ話題によくなる憲法9条なんですけれど、国の交戦権はみたいな、もう主語がそこなんですよね。国民関係ないんですよ。

国が何なのかってことを、要は国に戦争する権利があるのかないのかを規定してるわけです。

ここまで説明させてもらうと、1つの素朴な疑問をいただくことも多々あります。

それは国が何を指しているのかよくわからない。というもの。

それは本当に多分誰も答えられないと思うんです。

一応、憲法上は主権者は国民ですから、国民を指してるはずなんだけど、

でも同時に主権国家っていうから、国家自体に主権があることになっていて、国民の一人一人が、仮にぼくは戦争したいって言ったら、戦争するのかと聞かれれば、しないわけじゃないですか?

多数決だったら、49対51になったときに、49%の人々は主権を持ってるのにその主権が踏みにじられるけど、それはいいんですか?みたいな話になってくるとこじれてしまうからです。

だからそれがなんだかんだでいろいろグジャグジャした結果、国会ができて、内閣ができて、彼らが決めるようになった

だから、本当に何か、適当とまで言わないけど、苦し紛れの形なんですよ。

つじつまが合わない概念なんですよね。主権というものが。

国民主権というのも前にもお伝えしたの人権の話じゃないけど、ほぼフィクションですから。

今の時代は王様いないですよね。

主権は王様にあったから憲法は王様をしばれたわけです。

今は主権が国民にあるから結果として回り回って、憲法は国民を縛ってるんですよね。理屈上で言えば

ということは、国の交戦権はこれを認めないっていうのは、国民を縛ってるとも言えるわけで、戦争したいって言うなよっていうふうに言ってるとも読めるわけです。

そういうことを言い始めたら、憲法は国を縛ってるとか、公務員を縛ってるっていうふうに言うけれども、主権を持ってるのは国民なんだから、実は国民全部を縛ってるという解釈も成り立つかもしれません。

結論は自分なりに出るまで、僕もこのループの思考を時々やっているのですが、政治・経済・そして憲法などの基礎知識は教養とみなされる時代なので、ぜひ今回の記事をあなたの思考のループとパラダイム・シフトに役立てていただけたら幸いです。

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