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家庭料理を顧みて、みる。

どんなものを食べているかで、その人となりがわかる。とフランスの美食家で有名なブリア・サヴァランが言ったように、食はその人の人格まで現わしている。レストランのシェフだろうが、家庭料理だろうが1食を担っている責任は同じなのです。
このことは、すべての人が、理解していてほしいです。
ともに尊敬にあたいするからです。
「この文章も20年前に書き記したものを推敲しています。日付には、2002年となってました。」
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◆料理とは生き方
 家庭で料理することはまず考えること。私はそう思っております。昔から料理屋では、考える前に行動し、手や足を動かせと言われていた。それはタイミングがとても大切であること
のたとえなのです。考える頭のシェフがいるということ。あなたが、料理を管理する人で、部下が機械のようにもくもくと処理できるなら、信頼できる子だと思うでしょう。
最近は、料理人によるレシピをそのまま家庭に持ち込むことが流行です。
しかし、レストランや料理店は、基本的に組織立って料理を作っています。下ごしらえから盛り付けまで、ひとりが行っているところはほぼないでしょう。家庭はひとりが多いんです。
(今でもずっと続いている、プロのレシピという、特別感とひきつける魅力は健在です)
  ※プロレシピとは料理屋さんのレシピ
だから、体裁が家庭と料理屋では違う。もっとも、取り入れなければならないことは、その料理人の料理に対する気持ちと基本になぞらえた考え方ではないでしょうか?
それがくみ取れるレシピなり、エッセイなどの文章が、肝心なのです。

◆基本をしっかりおさえているか
プロ野球選手やJリーガーでも、基本の優れた人物は優秀です。
また、そのようなスター選手でも基本を未だにやってるはずです。それが一流の証しでしょう。基本を疎かにする選手はスターに成れないとも思います。

  繰り返しますが、家庭の料理では、一人で作ることが多いのです。料理をする部下も家来もいないのです。まずは、考えてから作る事。作っている時も、常に先のことを考える。
 それが段取り。団体料理のレストランとは違い。下ごしらえから、どう工夫していくのかそれがとても大切なのです。作業行程中心に教えていることの多い料理教室ですが、本当に大事なのは飯炊き係とならない。自分の考え方、料理哲学をキチンともってほしいのです。
それを家族にも認識してもらう。そのためには自分の料理に対する姿勢がとても重要だと考えます。取り組み方。基礎的、基本的知識、料理偏差値とも言えます。
 また、家族メンバーの気持ちもくみ取らないといけません。
どのような料理を作り、おいしくするか考える。気持ちを最大限まで膨らます。
料理に関することにいろいろ興味を持つ。  純粋に。
 しかし、今現在、この純粋さを失ってしまっている気がします。流行や便利さを押し付けるほど圧倒的に価値あるものにしてしまいます。表面的な価値。それは外にばかり正解を探す。だからこそ、立ち止まって考えよう。私には、必要なのか?新しいものだけがいいものなのか。昔からあるメニューを見直すこともありだし、家族に喜ばれるようにすることです。

◆料理は科学だが、食らうもの
料理は科学、そういう部分もあります。現象を科学的に理解することで
記憶に残し作り方をより深く安定させる面もあります。
 気を付けてほしいのは、理論や現象の言葉だけを覚えることは、意味がない。
クイズ、あるいは検定試験みたいなもの。覚えた漢字を使って手紙を書いて
、気持ちを相手に伝えることが目的でしょうし、漢字を沢山知ることで
ボキャブラリーが増えて、より自分の意思を着実に伝えることができるのでしょう。
物差しであって、目的・対象ではないということ。
車の免許を例にあげるなら免許を持っていなければ運転はできません、その技術とこころ構えがあるのかを免許という制度で保っています。では技術とこころ構えがあれば、本当は免許なんかいらないでしょうか。簡単に取得できる国もあるのでしょう。
しかし、この国では、車の運転をしたいと思うなら、まず免許が必要ですよね。
免許が取れるように勉強するのです。マルをもらう回答。まず筆記試験があるじゃないですか。技術も同じことが言えます。私も運転をしていますが、自動車学校で習った運転の仕方で町を走るドライバーは、自動車学校の教習車しか、お目にかかりません。
免許はゴールではなく、許可ゲートをくぐっただけなんです。しかしゲートにも意味があり初心忘れるべからず。時折立ち戻り内省すること大事ですよね。

◆サーキットと一般道の違い

お店の料理と家庭では、サーキットと一般道の違いだと思います。その世界の表現として
非日常を演出する。またお店は互いに競い合い、良いものを作ろうと切磋琢磨する。
特別感があるプロの料理。対して家庭では、安全で健康を気づかうもの、華美な演出は極力しなくても、実をとることの大切さ。それぞれの苦労と心配はあるはずです。

実は料理をおいしくするには、この純粋さがとても必要なことだと思います。
カーレーサーだって、最初はあったはずだからです。その自分を作っているコアな部分が、この純粋な部分に現れるからです。
自分が無免許のドライバーであれば、一生懸命道路交通法を覚えて、仮免許をとり恐る恐る路上の練習を始めますよね。解ってないから、急発進してしまったり、急停車してしまったりしますよ。ミッション車ならエンストしますよね。運転の初心者のころには初心者の、少し慣れてきたら、慣れたなりに気をつけること。そして、ベテランになってきたら、それは
それで気をつけること。常にありますよね。技術の習得とはそのようなものだと思います。
いつも絶対はないんです。運転なら絶対安全はないので、注意を怠らないようにしますよね。
そういう心構えをしているタクシードライバーやバスの運転手さんが間違いない路上プロでしょう。目的地に誰よりも早く着く、レーサーのようなプロは一般道では必要ないです。
料理にも絶対はありませんし、そのレベルごとに常に注意をしなくてはいけません。
ですから、家庭の料理人も一般道で安全を大事にして、確実に生活していくうえでトラブルのないよう、先を見込んで考え、物事を運んでくれる人物なのかということが一番に大事です。そういうレシピを考えてくれているのかということです。プロも一般道のルールをよく考えて作ってるかどうかを、見てください。踏切の一旦停止や左右確認という確認は初心者の方にベテランが見習わないといけないくらいでしょう。そのように、尊敬すべき
プロは、横綱が四股や鉄砲を誰よりもこなすように、丁寧に仕事しているはずですよ。
 ※お相撲の基本動作練習 四股、鉄砲
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