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じっさいにからだをつかうやさいづくり:手あたりしだいの読書と畑しごとでわかったこと

(2024.4.29加筆)

ありがとうございます

はじめに

 身近に手にとれる100冊あまりのやさいづくりの本や原著論文、報告書など(その多くは県内の各図書館)を読みつつ、7年間にわたり中山間地のはたけで機械をつかわずにやさいづくりをこころみた結果、当該地区で畑をつくる意味についておぼろげに見えてきたことを示します。

やろうとしたこと1

 もともと会社ではたらくより、すべて自己責任でじぶんのやれるしごとをやろうと本業の学習サポートと並行してはじめました。さいわいにも先祖からのはたけがあります。どうせやるならばなるべく外国からはいるものにたよらない方法がいいと思いました。

耕したり植えつけたりに機械(外国から入手する燃料でうごく)をつかわない、肥料をなるべく身のまわりのもので手配するやりかた。このクニでは鎌倉時代以前の牛馬にたよらない方法です。この時点で読むのをやめられる方が多いと思います。現実的でないからでしょう。

ただし中山間地でできたやさいを街まではこぶのに車を使いました。昭和のなかごろまでは収穫物を肩に背負い列車で行商に出る方がいらした土地です。山から畑の腐葉土を入れる、畑から家まで収穫物をはこぶなどは手押しの一輪車をもっぱらつかいました。こちらも例外的に商品となる脆弱なやさいや果実(レタスや桃など)はそろりと自動車ではこびましたが。

やろうとしたこと2

 本業をもちつつ最後の年には実質的に第2種兼業農家になるほど、やさいづくりと販売をおこなってきました。もちろんやさいをつくるには専業としてある程度、基本的な技術を知ったうえで実践したほうが効率よくつくれるでしょう。

教わるのが早道ではありますが老いた父のやり方ともちがうし、ご近所にもふさわしい方はおらず、農協の講習会はどこかピントがずれていました。とおくに「近いやりかた」を実践されている方も齢をかさねておりいつもうかがえるわけではありません。この方は南米の開拓農業移住の経験をお持ちです。

やったこと

 このまま試行錯誤だけで寿命が尽きてしまいそうで、結局のところさまざまな本をさがし出すことから着手。

まずは慣行栽培について図書館で棚の端から読みながら、つくってたしかめるのくりかえし。さらにどうせやるならばと有機栽培や無農薬栽培の試み。

いいなあと共感できる本を購入し紙がやわらかくなるまでくりかえし目をとおしました。さすがに大根とにんじんのつくり方のちがいぐらい身につきます。そのうちある本などどこに何が書いてあるかわかるぐらいにはなりました。

もちろんピントはずれていましたが上にあげた講習会ややさい部会などには積極的に参加。3ケタもちがうコストにおどろきつつ、気づいてふりかえると7年かけて100種ほどのやさいづくりをやっていました。意識せずとも作業できるようになれたと感じます。

気づいたこと

 いろいろな本を読みくらべると、じつにさまざまなつくりかたがあるものだと感心するほど。人の数だけ農法がありそうです。科学的な知識を補強しようと農事試験場の研究報告や原著論文にも目を通し、果樹の教授の先生のお話をうかがいました。わたしは農学の博士号をもちますが、やはりおなじ感想です。

結局、時期や土地によりそれぞれの作物の生育の状況を観察しながら、臨機応変に適切な世話ができるとよさそうだ、せまいはたけで高効率で売れるものをつくれる近郊農業だからまだできるとごくあたりまえの結論にようやくたどりつきました。

それは接することができたどの農法をとおしても感じられ、近所の方から耳にした「足あとの多い畑はみのりが多い。」という手間ひまを惜しまずはたけにむかう姿勢をあらわしていると納得できました。

日々の天気情報を気にするようになれたら一歩前進、さらにその情報からあす以降、作物にすべきことは何かわかってくると、もう一歩のような気がします。

そして、古くから地元でつくられてきた品種のやさいが、やはりつくりやすいとわかりました。どれも病気に強く、多少の気候のちがいにも適応してそだちます。多少の気候のちがいをもろともしないです。

多少なりともまとめのようなもの

 以下の①~④が頭のなかにあり、自然に対してもっと謙虚になろうと思います。

①本はあくまでも一般論で書かれていること
 実践してみると本のとおりにできることもあるが、むしろそれ以外の要因がやさいのできには影響しやすい。

②草とりに時間と手間をとられること(ここがいちばんたいへん)
 畑を除草剤や耕運機なしに維持しようとすると草とりに時間の多くを使います。わたしはいずれも使わず、7アールほどのはたけを手作業(家族のたすけもかりつつ)、周囲のあぜはめいわくを考えて音の小さい電動の草刈り機でおこなっています。ひととおり終わると最初のところの草が伸びています。

夏場を中心に2週間ごとに草とりと草刈りに追われます。早朝に水分の補給、熱中症に気をつけつつ、蚊やブヨでいつも顔を腫らしています。ヒトとちがうやり方をつづけようとすれば、一定の体力と時間が必要でしょう。わたしは慢性腎臓病で無理はききません。マイペースでできる範囲しかやりません。もちろん草マルチ併用でも手間はさほどかわりません。

作業をつづけていると草とりの手間がすくなくなるとの記載の本もありますが、ていねいに(草)マルチをしないかぎり、のちの草とりを維持しないと数か月で草地にもどるようです。

まわりの慣行栽培の方への影響を考慮しつつおこなわないといけないのは当然です。病害虫をまわりにまき散らすようでは何をやっているかわかりません。

③さまざまな災害に見舞われること

 その日やろうとしたことを頭に描いて畑に向かうと、たいてい予期しないことに見舞われます。多いのが動物害で、2重のネットで畑を囲っても収穫間際で全滅ありです。おかげで打たれ強くなれました。

最近の季節外れの大風や大雨は支持物をたおすので無言で補修します。手作業で時間をかけてやわらかくほぐした土の表面を雨がかためるので、鍬による中耕をくりかえしたりします。(こちらも草マルチがよさそう)

④豊作はかならずしも幸運をもたらさないこと

 作物ができること自体には感謝せねばなりませんが、現実はそうあまくはありません。

・豊作は気候にめぐまれた結果なので販売所でも重なり、値がつきにくい(売れにくい)。
・いちどきの収穫で料理と保蔵を心得ておかないとその処理に追われる。
・近所に配るにも限界集落でたいていその家もつくっている。

おわりに

 鈍感なわたしでも気づいた上記の点は、やりかたのちがいがあれど多くの山間地で起こりえると思います。

現在は昨今の状況下から脱しつつありますが、いまもって搬入先の混雑する販売所のバックヤードへの出入りが基礎疾患のリスクをかかえるわたしにははばかられます。その結果やさいづくりを休んでいます。販売所を利用できる権利も放棄しました。

ふりかえるとこれで黒字でやれたことにおどろいています。もちろんそれだけ手間がかかっていますが。

昨今の状況ののちに荒れつつある畑をどう維持しようかと考えあぐねています。つくづく先人の苦労に頭が下がる思いです。

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