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なんどもひっこししてきたがかならず山の見える場所に住んでいたと気づいた

(2023.9.11加筆)

ありがとうございます。みなさまのおかげです。

はじめに

 いままで西日本のエリアを転々と移り住んできた。地平線や水平線のみえるところでの生活したことがない。たいらな地平線をあまり見た経験すらほとんどない。

もともとこのクニは細長く山がち。一部をのぞけばどこでもさほどめずらしくないのだろうが、それでもわたしにとっては海よりも山がまさる。

きょうはそんな話。

おさないころから

 いつも木や林のそばでくらしていた。海や川よりも木や山に親近感があるのはその影響かもしれない。ものごころついた最初のすみかは竹やぶの丘の長屋ずまい。そよかぜに竹の葉たちのさざめくようすが家のなかからたえずかんじられた。

ひっこしてアパート住まいとなり1年だけ幼稚園。さいごまでなじめなかった。そして小学校にかよいはじめる。昼休みに級友たちと三角ベースをしないときには、ひとりで校庭の大きな木(木登りは学校公認)にのぼり、葉のさわさわそよぐなかにチャイムがなるまでそこですごした。

太い幹にまたがり、天にむかう幹に背をもたれてむらさきにけむる山々を見ながらすごす。だれにもじゃまされずにたたずんでいられ、いちばんこころがおちつく場所だった。

中学校では校庭のわきのポプラの並木をまわりの山々を背景にとりこみスケッチした。丘のうえの高校のほとりの斜面でやまゆりの白い花がつぎつぎとひらくようすを休み時間の教室の窓から目にした。

年月を経て歳をかさねて

 泳ぎが得意でないのはそうした過去からのくらしがきっと尾をひいているんだろうな。水はいまでもなるべくならばさけたい。今回せっかく建てて長年くらした家をはなれた理由もそう。

建ててほどなく行政から何重にも危険エリアに指定された。避難をこのところたびたびくりかえし、実際に周囲は何度かくずれてしまった。やはり水害やがけくずれは不安。雨風は過激になりいつ襲ってくるかもしれない。

今回、子からもつよくすすめられ、家からはなれて心配のいらない街の賃貸マンションをようやくみつけて落ち着いた。子もそうしてくれて安心という。いまこうしてnote記事を書いていて、窓ごしにやっぱり青い山々が見える。

なまえのゆらい

 わたしのペンネーム。このnoteをはじめるにあたりつかいはじめた。いずれも山がちのせまい土地にくらし、まわりにめいわくをかけられないので本名はつかえない。このほうが記事の内容もある程度自由度が増す。

そこでどんななまえにするか。直前は中山間地ぐらし。過去をふりかえるといずれも山がちな場所や、家から山が見えるところに住んできた。その多くはあるいてすぐにのぼりはじめ、数分かからずに山にはいれる。

いま住む場所まで数えると10か所。いずれも遠い近いはあるが山が見える。ぐうぜんにすぎない。

海や川にはあまりなじんでこなかったかわりに山や木々に愛着がある。やはりおさないころから親しんだ。きっと山の民のはしくれなんだろう。海人ではなく山人。そこからヒントを得て木山人(きやまじん)、なまえらしく変えて木山仁とした。

おわりに

 きっと祖先は山の恩恵を得て、山を敬い、おそれてくらしてきたんだろう。ご近所さんには炭焼で山々を転々としながら炭を作ってくらした方からお話を聞いたことがある。

わたしの祖先もそうしたくらしだったかもしれない。本名の名字にもそのなごりがありそう。残念ながら祖先をたどれるのは5代がやっと。それよりもまえは親戚のだれにきいてもわからない。祖先がよそから移ってきたのかも。

わたしにうけつがれて本能的に山や木々にしたしむくらしを無意識のうちにさせているのかも。そう考えるとなっとくできる。


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