見出し画像

雑感:『種の起源』で考える、VUCA時代の市場競争

昨日の書評記事で書いた種の起源について色々と思考が巡ったので、論旨ぐちゃぐちゃな雑感だけど文字に残しておくことにする。

本書の主な仮説を再掲すると、以下。

『種の起源』における著者の仮説を一文でまとめると、生物の「個体差」と、激しい生存競争による「淘汰圧」が自然選択(=生存に有利なものが生き残ること)を生み、その積み上がりとしての個体差の選択的拡張が進化を生む、となる。

この話を、わりとポピュラーなネタとしての、ビジネスの競争原理/競争戦略へのアナロジーとしても考えてみる。

すると、まず上記より、市場参加者間でどういう資源を奪い合ってるのか/何が障壁を形作るのかを見極めことはめっちゃ大事、という超月並みな感想がまず導かれる。いわゆる3C的なフレームワークにおいて、環境を見て資源を見て、近接種間での淘汰圧を推し量りながら生存に有効なパラメータはなにかを決めていくところは、完全に生物進化の仮説の諸項と対応している。

マイケル・ポーターの競争戦略において、ここで特に取り上げるべき観点として、有名な5フォースのフレームワークがある。生存主体と資源の間にある「関係」を認めてそれをうまく調律する事を唱えた点で、「競争」のメカニズムの主体視点での考察としては、より一歩歩みを進めた感がある。ただし、これは生物進化を種の視点で眺める場合に深まる議論であって、完全にビジネス上の要請によるところなので、いわば神の視点から生物進化を紐解いたダーウィンらにそういう定式化のモチベーションが無かったとしても、その責を問われることはない。

さて、ここまではわりとトラディショナルな旧世界での競争戦略の話だが、情報革命とグローバリゼーションを経験した後の市場競争については、また幾つか語るべきことがあるように思われる。

インターネットの出現は世界を圧縮し、物理的で地理的な距離と場の概念を様変わりさせてしまった。ゆえに、20世紀ぐらいまでは生物進化のアナロジーである程度捉えきれていた経済原理と21世紀における経済原理は大きく異なるように思われるし、その差は単なる延長線上にあるものとしてではなく、断絶と言って差し支えないものだ。

新たに生まれた生物進化との大きな違いとして、物理空間に情報空間(バーチャル空間といってもよい)が加わった二元で「環境」を捉える必要が出てきた。すると、それぞれの競争で効くファクターも当然大きく変わるのだが、それだけでなく、それら2空間が相互にオーバーラップする影響の変化の考慮が肝要になってくる。情報空間が物理空間に及ぼす影響の大きさは言うまでもないが、これまでは相対的に小さかった物理空間→情報空間への影響も、IoTの流れの中でセンサーを介したエッジコンピューティングにより物理世界の至るところが情報世界と架橋され、インタラクションすることになる。ここにおいて、生存に有利ななんらかのパラメータを最適化するために、両空間における交絡の様相を把握し、あらゆるところに出現するネガティブ・ポジティブなフィードバックループ&再生産の考慮をする必要が出てくる。しかし、ここに至り、膨大な変数群を前にして、全貌の把握・分析は結構な無理スジである。

かなり適当に言ってしまえば、VUCAの時代と言われるものの核はここにある。

そういう世界の中で、具体的にどういう戦略を取るところが生存の確度を高めていっているのかを見ていくことは、とても大事だ。

リーンスタートアップ的手法は、大数/べき乗則的観点で、どちらかといえばベンチャーキャピタルを利するものなので、あれだけ喧伝されて普及している一方で、単なるおためごかしでしかない気もしないでもない。

個人的に注目している界隈として、中国のIT企業群がある。

先の論の「強さ」の話でいうと、例えば現代中国が徹底した国内保護主義(≒ガラパゴス化)でTencent/HUAWEIをはじめとするグローバルカンパニーを作った事例は興味深い。彼らが保存した「強さ」はいわゆる「汎用性」ではなく、一定程度の大陸性(規模の経済×淘汰圧)とグローバルな流通構造を前提として超高速で保護培養した、世界市場における固有点で圧倒的優位性を持ちうるサービス・商品の質の高さにある。つまるところ、ガラパゴス諸島であっても、それが何らかの側面で質の高い種を出力するに足る規模と淘汰圧を内包していれば、ビジネス上はアリなのである。まさに日本がどちらかというと否定的ニュアンスで語られる「ガラパゴス化」現象だけど、選択と集中のもと”ウチに閉じる”ことは時に競争力の源泉になる。

そういう、大局的な内部淘汰圧の見極めの上に立ったバランス論的な生存戦略を考えると、人為や未来思考がリードするピュアな自由資本主義的市場原理でしかないというか、自然選択、自然進化のアナロジーもへったくれもない別ゲーなのではないかと、一層思えてきてしまう。

これが(広い意味で種というと差し支えがあるが)ある程度国家レベルや事業主体群としての生存確率に今後も効いてくるとすれば、生物進化はその軌道を大きくハズれて、不気味なゾーンに突入しているとも思える。

人類が技術によって(大筋では)自然を管理・克服したと言われて久しいけれど、この意味では、自然を大きく外れてしまったと言ったほうが、あるいは正しいのかもしれない。

ともあれ、『種の起源』を読んで他にも考えたことが書ききれないぐらいあり、こうやって思考が活発に動くのも、本書が良書たる証左だ。

そういえば、ダーウィンは進化論をマルサス『人口論』を読んで着想したらしい。その意味においては、『種の起源』そのものも、ストレートなマクロ経済、ストレートな市場原理、なのである。そういえば、マルサスの”予言”もまた、技術進歩によって完全にくつがえされたんだったっけな。


頂いたサポートは、今後紹介する本の購入代金と、記事作成のやる気のガソリンとして使わせていただきます。