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道理と中庸の経営哲学~渋沢栄一『論語と算盤』

やや古めかしく晦渋な本だが、資本主義の虚しさと手元業務の虚しさの狭間でグルグルしてしまうビジネスパーソンは、本書が1つよすがとなるかもしれない。

まず、著者の渋沢栄一(1840-1931)は、日本経済の父とも日本の近代資本主義の父とも言われている人物である。日本初の民間銀行である第一国立銀行(現みずほ銀行)や東京証券取引所、理化学研究所などを始め、帝国ホテル、キリンビール、東急、東京海上、王子/日本製紙などなど、渋沢が設立に携わった企業は500社以上に登る。青年時代にフランスで学んだ株式会社制度を片手に、大蔵官僚を辞して民間に飛び込み、今日の実業界の母型を作り上げた大功労者である。

渋沢は、独自の経営哲学を持っていた。『論語』をベースとした、仁義と道徳に基づく商いの思想である。幼少の頃から四書五経に親しんでいたというエリートっぷりだが、そのなかでも特に孔子の聖典に惹かれてその真髄を商売の理法へと敷衍して、国家経済の近代化の礎石として埋め込んでいった。

利益追求に走る企業が暴走して我々の暮らす社会に害をなす例は現代に至るまで枚挙にいとまがないが、その源流たる日本資本主義の最初期に、道理と公益とを説いた経営観・事業観が存在したことは注目に値する。『論語と算盤』と題された本書に、それが凝集されることになる。

『論語』そのものと同様、本書で紐解かれる著者の経営哲学も様々な観点での金科玉条を押さえていく形式を取り、全体としては論証的な書かれ方ではないのだが、一企業人としての我が身を振り返りながら、一つ一つの言葉の重さがずっしりと感じられる。

道理を大事にすること、自然の因果に逆らわぬこと、身をわきまえること、些事をおろそかにしないこと。まず、人間心理の理法が慎ましやかに語られていく。経営の視座、展望へと話が移っていくと、特に重要な指摘が多くなる。企業活動においても、まず道理にかなうかどうかが問われるべきと渋沢は言う。人道に悖るような事業展開は避け、他を貶めるような”悪競争”をしてはいけない。むしろときに道を譲り、ときに先をゆき後発に安心を与えるべしと言う。道理の次に国益を尊重し、私利は最後であると説く。「社会的責任(CSR)」の概念がこの時点ですでにはっきりと明言されているのも興味深い。

利のみを貪ると利己主義のうちに国が滅ぶが、空理空論の仁義のみでも国力は衰えていく。利殖へと向かうエネルギーがなければ何でもありで何も進まず、倫理観のみを支えとするとかえって規範倫理や規制の網目の中でがんじがらめになってしまう。かといって人道を踏み外した利益追求は利己主義を呼び込み、国益は損なわれてしまう。商魂を否定することもなく、他方において武士道の精神も尊重する。これらが相互に支え合っていることを示しながら、双方をしっかりと結び合わせる。ここにおいて、”中庸”が『論語』と彼の商業における実践をつなぐ結節点であったように思う。

本書を取り巻く時代背景に目を移してみると、『論語と算盤』初版刊行の1916年は、第一次世界大戦の真っ只中である。世紀の大戦に突入した日本は、西洋列強との文字通り命がけの生存競争のために「富国強兵」を打ち出していた。「富国強兵」というのは、”経済発展による国力増大を目指す”という政策ポリシー/スローガンであるとともに、具体的な一連の政策パッケージでもある。国家の財政収支改善に向けたマクロ政策と軍事力強化が直接には意識されており、税制改革や徴兵制などを軸とした国家主義的政策が多く推進された時代であった。その中のあくまで1テーマとして、民間企業による経済発展に向けた「殖産興業」という政策があり、生産・流通インフラの拡充と企業経営の近代化があった。渋沢が身を投じたのはこの部分である。

戦時における国力増強という大事のなか、企業間の争いは些事である。商売人のエネルギーを国益という一つの方向にまとめあげながら、しかし国粋主義に陥らない健全な市場経済をしっかりと立ち上げるべきという渋沢のビジョンが、国益よりも”道理”を最上位に据えながら中庸を取る思想の形成に影響を与えたのではないだろうか。あるいは、日清戦争の余韻冷めやらぬなか、沈みゆく”利殖と『論語』の超大国”を横目に、道理と商売が相密着した一個の思想の必要を痛感していたのかもしれない。

こうした背景を鑑みると、現代の経営がいわば”競争のゲーム”に興じていられるのは、実は幸せなことなのかもしれないと思う部分もある。しかし、競争における規範が「独占禁止法」や「下請法」として外在化され、範を示すべき大企業こそスレスレを攻め続ける時代にあって、企業人の全体が世の道理を思い出し、立ち戻るべき近代資本主義の脈流が、本書には確かにあるだろう。

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