夕暮れを待ち望む~カミュ『異邦人』
ちょうど先日記事にした『適切な世界と適切ならざる私』において、詩人は私と世界の再構成の実験をしていた。翻って、20世紀フランス文学を代表する本作の著者はむしろ、精神生活において正しい秩序への従属を日々演じることの耐えがたさの告発と内在的な正しさへの問いへと向う。それも一歩一歩が震えるように重く、地中に沈み込むような足取りで。
カミュが主人公のムルソー氏の目を通して表現した違和感は、社会への鋭い問題提起に留まらない豊かなヒューマニズム的視点を宿している。不条理文学とも言われる作品だが、この悲劇の主人公によりたびたび反芻される「それはなんの意味もないことだが」に示される極端な諦念を根底に据えるとき、彼の一連の行動や認識にとくべつ一貫性がないとも思わないし、社会生活への距離の置き方と冷淡さに共感を覚える読者も多いだろう。
親族の死に際して涙する代わりに、こういう風にその存在を感じ取ることもできるのだ。誰しもが自らのうちに抱えるムルソー氏に気づき、ドキリとするだろうし、ここにおいて人間の可能性はもっとずっと押し広げられる。
神の光に浴するような思想家は人間存在が根こぎにされることを気にしがちだが、全頁に染み渡るジメッとした「無底」の積極性と肯定性はそれはそれで心地がよい。われわれの日常がかくも緊張に取り囲まれているのは、ある程度は「太陽のせい」なのだ。宗教感覚が希薄な日本人だからこそ特にわかり味が深く、読まれるべき本でもある。
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