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生きることの哲学~飲茶『「最強!」のニーチェ入門 幸福になる哲学』

「さようなら、さようなら」と私は繰り返しました。 ジナイーダは急に身をふりほどいて行ってしまいました。私も外に出ました。そのときの気持ちを言葉で言い表すことは、とてもできそうにありません。願わくは、そんな感情は二度と経験したくありませんが、でも、もし一生に一度も経験できないとしたら、それはそれで自分のことを不幸だと思うにちがいありません。
―トゥルゲーネフ『初恋』(光文社古典新訳文庫)


本noteで何度も取り上げてきた飲茶氏。まったくの初学者に向けた面白い哲学入門書を書かせれば、ちょっと右に出る者はいないんじゃないかと思っている、気鋭の著者である。

自分も、以下の2冊についてはむかし記事にしていて、とてもとても高い評価を述べている。

本書もその例に漏れず、ニーチェの難解で抽象的な「生の哲学」のキーワードを、誰にでもわかることばで噛み砕いて説明付けていくことに成功している。

仕事と人生に思い悩む主人公「アキホ」と、ニーチェ思想の解説者「飲茶先生」の掛け合いのなかで話は進んでいく。現代のわれわれが抱えているモヤモヤはアキホを通して代弁され、飲茶先生が語るニーチェがそれを打ち返す。ニーチェが痛烈に批判し乗り越えようとしたのは”近代”という”合理的思考”の精神とそれが人間生活に与えてきた歪みだったのだが、社会を取り巻く状況と問題意識は形を変えずにそのまま現代へと流れ込んでいて、そのカウンターは実はものすごく身近な問題として読者の腹の底にまで響くことになる。

しかし、これらが書かれた本人の著作をそのまま読み込むのは難しい。『道徳の系譜』などはまだしも、主著『ツァラトゥストラ』は文学作品のように書かれていて、詩情あふれる多義的な描写が延々続き、抽象的すぎてサッパリわからない。そうした部分を補うように、現代語・対話調で進行する本書は、この巨大な思考を理論のコトバでなく生きた日常のコトバにうまく翻訳することで、われわれの暮らしの中での「意味」を照らし出してくれる

ニーチェが攻撃したのは、「価値」「本質」といった観念だ。宗教や西洋哲学において追求され崇められていた絶対的で普遍的な「価値」を歴史的考察のうちに批判的に捉え、それら諸価値がいとも簡単に転覆してきた歴史を捉える。絶対的と思われていたイデア的観念や、「善」といった道徳的価値が、社会の権力構造や人間心理のもつれのなかで、倒錯した信念として築き上げられてきたことを暴いていく。その思想の核心に迫っていく過程で、あらゆる普遍的で客観的なモノゴトの呪縛を脱し、自ら”主体”として主観的な生を豊かに生きることへの執念が見えてくる。キェルケゴールと並んで実存主義の始祖と称される所以でもある、「生きる」ことの探求が豊かに芽吹いている。


自分自身、生半可な前提知識を土台として本書を読み、かの「超人思想」をまた違った角度で改めて概観してみることで、色々と新鮮な気づきがあった。

たとえば、永劫回帰的な円環をなす時間観は、そのまま古代ギリシアの天体運行に起因する時間論の影響をかなり強く受けていると感じたし、そこを源流とするストア派的人生観が、現在における価値創造の主張の随所に流れ込んでいるように思えた。古代・中世のこれら思想のリバイバルとして読み直すと、キリスト教を破壊せんとするような最初の印象や思考の迫力よりも、なにより「信奉」の社会システムが―そしてその際たる例としての宗教が)―主題化され分析に付されている側面が見えてくる。「自身の内なる声に耳を傾ける」というよりも、構成的なイデオロギーに対する慎重な懐疑としての、より抑制が効いた主張と見えてくる。ニーチェの見方がすこし変わる。


他方で、本書がうまくやれていないと感じる点も多々ある。

著者の過去作と異なり、本書は読者の人生に直接的に役立つ価値を提供する自己啓発本的な体裁で書かれており、それゆえ読者に”役立つ”メッセージを無理やり引き出そうとしている感が否めない。

主人公と先生の対話の応酬のなかで、日常生活の具体的な悩みと相密着した形で「生の哲学」を噛み砕く手法は、たしかに理解を助ける面がかなりある。しかし、最終局面にあって「永遠の繰り返しの世界で<現在>に踏みとどまり、新たな価値を自ら創造し続けることこそ大事!」と軽快に希望を綴る本書は、ニーチェ自身が何よりも嫌った表層的な価値、快苦、善などを素朴に前向きに描きすぎているのではないかこの思想の全体がいまだ多くの人を引きつけるのは、そうした爽やかな後味ではなくて、生の一回性のあまりの美しさを自らの全感覚で承認しつつも、その欠如と相対し引き裂かれる痛み、苦渋、寄る辺なさ、超越の圧倒的困難、”悩ましさ”をそのままに噛みしめねばならない人間存在という悲哀、こういった感情の濁流のほうではなかったか。

読者が安住している信念体系が真正面からぶっ叩かれる、その時の痛みこそ、ニーチェの思想の核だと自分は思う。その破壊的な思考が、安易な人生のアドバイスに回収されているところ、若干の残念さはあった。

また関連して、啓蒙思想と産業革命に支えられた押せ押せムードの100年が「人類の進歩」という観念を華々しく誕生させた―そういえば『ツァラトゥストラ』のたった20年前にダーウィン『種の起源』の初版が出ている―只中にあって、この哲学者がたった一人で真正面からモダニズムの大激流と対峙した事態の”おおごと感”が、本書においては十分に表現され切っていない。本書には歴史が不在である。それゆえ、ニーチェが哲学史上でなぜここまで注目を浴びるのかが、本書からはあまり伝わってこない。ここも少しもったいない。

どのような読者層を想定するであれ、上記の点は十分に表現しえたのではないかと、そう感じてしまった。


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