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潜るように考える~『水中の哲学者たち』

本書は、気鋭の書き手として最近注目を集めている著者の、複数のメディア連載を編纂した哲学エッセイ集である。

柔らかくたゆたう水のような、どこか掴みどころがなく浮遊感のある不思議な文体。読み手も一緒になってその流れに気持ちよく身を任せていると、時たま渦に巻き込まれるような緊迫感がぎゅぎゅぎゅっと迫ってきてシリアスに転じたりする。レトリックの巧みさ、文章構成と伏線回収のうまさなどが際立つが、それらだけに還元しにくい独特のリズムと雰囲気が、一見すると日常のなんてことはない場面をふつふつと泡立てていく。気づけば世界のあちこちが反転し、水中都市のように見慣れないものと思えてくるが、その景色にもどこか澄み切った感があって心地よかったり。

著者が「手のひらサイズの哲学」と呼ぶ世界の見方、半径1メートルから始まる知の探求は、読者を勇気づけながら、同時に怯えさせもする。我々を取り巻く意味とことばのすこしの違和が、ふわふわとしたエッセイの隙間から顔をのぞかせ、なにか居心地の悪いものをどんどん際立たせていく。ふとした気づきや後悔をきっかけに展開していくゆるやかな思考が、強固な論理の連鎖による真理把握というよりも、意味の重層に手を突っ込んでその核っぽいものを鷲掴みにしていくような。
「強く負荷がかけられたことばが好き」と著者が言うように、日常語に対する感覚の鋭さも本書のエッセイ内で存分に表現されている。

ちなみに同著者は太田出版のWEBマガジン上で絶賛連載中で、↓こういう文章にピンとくる読者なら、本書もきっと気にいるはずだ。

サルトルの倫理コミュニケーションで博論を書いたという著者は、現在は様々な場所で哲学対話のファシリテーターをやっているらしい。本書でもその実践におけるエピソードが山盛り出てくるが、これが本書の今ひとつのテーマである「わかりあえなさ」「断絶」につながっていく。

自分のなかのなにかを上手くことばにする。ひとのことばを聞いて、理解する。意見を交換して、みんなの意見をまとめる。それをよりよいものにしていく。これだけシンプルなことのあまりの困難さと失敗を、著者はきめ細やかに描く。対話者たちの苦しさがひしひしと伝わってくるような、身に迫る場面描写の数々。

「哲学する」とは水中に潜るようなものである、と著者はいう。

問いに取り組み、深く深く考える。つきまとうのはつねに孤独である。言葉には限界があり、あいまいで儚い思考のみがある。他者との対話は根本的に不可能で、光刺さない海底の闇のなか、その寂しさに目を背けたくなる。

しかし、その断絶をしっかり受け止め、絶望するところから始めることを著者は説く。一人で苦しみ、それと同時に孤独のうちに他者の意見を傾聴する。不和や異物を取り込んで、自分を変えていく。

哲学対話をしていて、対話が居心地の悪い同調や、いたたまれない孤独につつまれているとき、わたしは願う。もっともっとバラバラになろう。バラバラになって、ちゃんと絶望しよう。もともと世界はいつだって、多様で、複雑で、曖昧で、不確実だ。その意味でわたしたちはみんなみじめで、みんな平等にひとりぼっちだ。
でもだからこそ、わたしたちは困ったねえ、と笑いながらカフェオレを飲むことができる。

同書,Kindle版位置番号. 545

アカデミックな哲学を花火のように壮大で見上げることしかできないものと形容し、批判的に遠ざけて見る本書の記述はやや煙たい。それでも、本書が垣間見せてくれる「暮らしの思弁」―日常の折々を考え、なんとか人とやっていく―がひらく儚い景色は、それはそれでとても魅力的に映った。

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