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小3長女の読書事情:初めて手に取った新書はまさかの...

うちの子は将来、どんな本を読むようになるんだろう。

それ以前にまず、本を読むタイプの人種になっていくのだろうか。

人生がまるごと本とともにあるような親にとって、これはとても気掛かりな問題である。


とくべつ教育熱心な親では無いものの、本だけは長女の幼少期よりせっせと配給しつづけてきた。家の本棚には年齢ごとの絵本が敷き詰められているし、妻が図書館で借りてきた本も常にそこらに転がっている。どんどん読むので、どんどん備蓄する。

6歳頃からは字が多めの本を徐々に読めるようになってくる。いわゆる児童文学とかに手を伸ばし始める。読むスピードも早く、薄い本なら10冊ぐらいは一息で読む。ちゃんと理解してるんだかしてないんだかよくわからないが、面白いらしい。

意外だったのは、入学した小学校が子どもたちの読書習慣の形成にかなり熱心だったこと。普通の公立なんだけど、1年生から科目の一つとして「図書」の時間が設けられていたり、2週おきに図書室からなにか借りるルーチンが課されてたりする。自分が生まれ育った北海道の地方都市には、こんな小学校はなかっただろう。さすが教育のまち文京区、と初めて舌を巻いた。


でも、これだけ公私ともに整った環境のもとで、実際ものすごい本好き少女なのかというと、いま現在において、別にそうでもないのだ。1日に1度は本を開くけど、そのくらいといえばそのくらい。

小3ともなると、友達と都合が合う日はぜんぶ遊ぶ約束をしてきて、帰宅した瞬間にランドセルをぶん投げて出ていってしまうようになる。わずかな隙間を縫うようにして趣味の習い事にも行く。Youtubeでゲーム実況も見るし、父が隣で「マジでそれ嫌い〜」と言っててもお構いなしにテレビのバラエティ番組も見まくる。あとなんか3年生から宿題の量も爆増した。

現代の小学校中学年には、とにかく本を読む潤沢な時間がないらしい。両親と同じくコミュ障でもっと友達少なかったら良かったのに…と、何を目指してるかわからない悪い考えもたまに頭をよぎる。

うまく興味を引けそうなジャンルを選ぼうと図書館であれこれ思案してテーブルに陳列するけれど、今ではそっぽを向かれることも多い。ちょっと前も、自分の幼少期を彩った『ナルニア国』を気づけば読み始めていて感動したのもつかの間、一瞬で捨て置かれていた。親側のプレゼンスキルがめちゃくちゃ試される。


そんなこんなで、こちらの密かな目論見は敗色濃厚ではありながら、それでもたまに新鮮な驚きもある。

先ごろのGW、自分は長女と2人で沖縄の地を踏んでいた。本来は家族全員で行くはずだった3泊4日の出発日前日、次女が中耳炎を発症し、急遽参加不可になった。諸事情を加味した侃々諤々の末、オールキャンセルではなくて、2人で行ってくることになった次第である。

飛行機も長いから行きの空港の本屋で何冊か買っていこうかとなり、娘は大好きな『サバイバル』シリーズを手に取った。朝日新聞出版から異常にたくさん出てる科学マンガのシリーズで、さいきん結構ハマってるのだ。

その1冊を受け取った後にしばらく自分の本も物色して戻ってみると、児童コーナーのとなりの新書コーナーでページを繰っているのが目に入る。

まさか、新書を読んでいる・・・??なんで?読めんの?と頭の中が「?」で埋め尽くされたが、もしやこれは長女が生まれて初めて大人の本を自ら手に取った貴重な瞬間かもしれん!と興味が沸騰しはじめた。

で、いちばん肝心な、なにを?

胸を躍らせながら手元を覗き込むと、、、、


『ドキュメント小説 ケーキの切れない非行少年たちのカルテ』


え?


いやいや、えーっと、


『ドキュメント小説 ケーキの切れない非行少年たちのカルテ』


え?

・・

・・・・

・・・・・・なんで!?!?


5年ほど前にベストセラーになった『ケーキの切れない非行少年たち』の同著者による小説化作品である。いや知らんけど、書名的に絶対そうだろ。


そうでした。


今どきの小3って、「物語でしか描けない不都合すぎる真実」(帯コピー文より)が知りたいの?

まぁいいや。なんかウケるからいいや。同じく平積みされてる『中国不動産バブル』とかじゃなくてよかったわ。


「え、それ面白いの?」

「うん、なんか面白い」

(至極当たり前のような顔をしながら)
「おー、じゃあそれも一緒に買おっか?」

「うーん、でも、ホントに面白いかどうかわかんない」

「そっかそっか。そうだよねー。でも本って、買ったあとでやっぱ面白くなかったら、読まなくてもいいんだよ」

「じゃあ買おっかなー」

というやりとりを経て購入。なんかドサクサに紛れて些細だけど大事なことも伝えられた気がするし、父も満足しながら本屋を後に。


結局すごく面白いらしく、旅行中に留まらず帰宅後もかなり熱心に読んでいる。漢字はたぶん2割ぐらい読めておらず、意味が理解できない部分も多そうだが、取るに足らない問題らしい。「きょうかいせんせいしんちえんってさー、結構たいへんらしいよー」とか分かったようなフリをして言ってくる。

元になったベストセラー本は自分も以前読んでいて、かなりヘビーな内容である。実はかなり身近な存在としての境界知能(低IQ)/発達障害の児童が、周囲からの適切な理解と支援を得られないまま、認知機能の低さゆえに犯罪に手を染めてしまう実態が白日のもとに晒されていて、当時かなりのセンセーションを巻き起こした。

自分自身、姉が知的障害を持っていたり、次女の言葉が出るのが遅くて心配したり、長女の友達で支援学級に出入りしている子がいたりと、ぜんぜん他人事ではないテーマでもある。彼女にとってもこれは同様だろう。

同じ空港の本屋で買って読んだ橘玲『テクノ・リバタリアン』では、世界を支配しつつあるシリコンバレーの高知能者たち(とその子供)の高い自閉症率と精神疾患率が、共同体的な紐帯を重視する現行社会への彼らの批判的な構えのある種の始動因であると論じられている。

このあたりの非常に現代的で新鮮な問題意識とリンクさせながら、読んだ中身についての会話を食卓で展開していく時間もまた楽しくはある。


娘が初めての新書のうちに何を感じ、それを介して世界をどう眺めていくのか。これは今じぶんにとって、とても気掛かりな、いやとてもワクワクする新しい問題だ。些細な変化を見逃さず、読み解くべきテクストだ。

こうして、人の親であるとき、自ら本を読まずとも他人の読書で一喜一憂できるのである。これもまた、とても愉快な読書の一形態と数えてもよいのである。


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