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幸せにならないから許してくれ

 なんのドラマのセリフだというタイトルだが、これは私が精神病なのに病院にかからず薬を飲んでいなかったときにずっと思っていたことだ。なんだか私の一つ一つの行動が責められているような気がして、周りの人に対して「幸せにならないから許しくれ」と本気で思っていた。

 今なら言える。おまえはアホだ。だれもお前の挙動に何も言っていない。少なくともお前が何もやらかしていないときには。

 大学生のころ私は奨学金をもらっていた。給付型と貸与型合わせて、月10万4千円。年金やスマホ、Wi-Fi代は3年の頃まで母に払ってもらっていたため、これくらいで東京や神奈川に住むのは十分だった。精神病院に入院して復学してからは、スマホ代は自分で払うようになったが、家賃4万円まで母に出してもらった。だから復学した後はコロナ渦だったが結構遊んだ。でもこの奨学金がストレスだった。どのように使っているか定期的に書類を書いて大学に見せなければならないし、人になにか責められているようで辛かった。
 こうなったのには訳がある。高校のころに途中でバスケ部をやめたことがあった。部内の人間関係に悩んだり、骨折した足が痛かったり、単純に練習についていけなかったりしたからだ。それでストレスがたまり、骨折が治りかけたころ、ストレス解消にディズニーや関東に旅行したことがあった。帰った後に、まだバスケを続けていた苦手な同級生部員に「おまえクズだな」と言われた。これには理由があって、私の家があまり裕福ではなかったからだ。身内に不幸があり、収入が少なくなったためその事情を知っている苦手な同級生には、私のストレス解消に旅行するという行動は、理解できない行動だったようだ。ただ単につらい練習から解放された私が羨ましかったのかもしれないが。

 それを重く受け止めて、お金を使うことに罪悪感を抱くようになった。これは大学生活の時、節約のためにはいい罪悪感だった。お金を使う度に、おまえはどんな身分で金を使っているか責められた気分になっていたからである。でも結果的に精神病になった。高校で部活をやめた後、不登校になり転校して通信制の高校に行った。それから家で勉強して大学に入った。

 今冷静になれば、おまえこそ何の身分で人にクズと言えるのだ。と同級生に言えるような気がする。その当時は高校生だし、おまえは働いたことが無いだろう、おまえも親の金で食っているんだろう。とも言える。これを心の中から言えるようになるまで、6年はかかった。私は6年間置いてきぼりだったのかもしれない。

 私の行動は間違っているかもしれない、私は何か悪いことをしたのかもしれない、という強迫観念に大学で3年間苦しみ、薬を飲んだら、パッとそれが消えてしまった。なんだか今まで思い込みと一緒に生きてきたから、少し寂しいような気もするが、私がもらったお金は私のものだ。だからといって、ギャンブル、酒、たばこにお金をかけるのはちょっとよろしくないような気がするので、ギャンブルは宝くじだけにしているし、アルコールはちょびっと、たばこはやらない。とにかく、これでいいのだって感じだ。なんだか前より節約できなくなってきたので、それは気を付けたいが、これでいいのだ。誰も私が幸せになるのを邪魔していない。私の幸せは自分のお金で暮らすことだ。幸せになるかどうかは私次第だ。幸せになるから自分よ、許してくれ~!

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