カラスが見つけた真犯人

高瀬甚太

 駅から事務所へ向かう途中、カラスの大群をよく見かける。毎日のようにそれを眺めているうちにいつしかカラスに興味を持つようになった。
 私がよく見るカラスの種類は「ハシブトガラス」だと、カラスに詳しい友人、谷川義男に教えられた。「ハシブトガラス」は都市部に多い種類のカラスだという。
 「ハシブトガラスは三月頃から巣を作り始め、四月から五月に産卵する。ヒナが育ち始めたら気を付けないといけないよ。この時期、カラスは卵やヒナを守るために人を威嚇したり攻撃することが多い。繁殖期は巣の近くを通らないようにして、カラスを刺激しないように気を付けてほしい」
 と谷川は私に注意を促した。
 「カラスはカラスの巣に目を向けた人を敵対視することがある。巣を襲われるのではないかとでも思うのだろう、その人間をずっと監視する」
 谷川のご高説だ。
 また、谷川は、ハシブトガラスが「カウ、カウ、カウ」と速い声で鳴きながら頭上を飛び回る時はカラスが危険を感じた時だと話し、監視していた人間が巣の近くを立ち去らない時、ハシブトガラスは「ガーッ、ガー、ガー」と止まっている場所をつついて威嚇するのだと説明し、
 「カラスは利口だからね。何気なく巣を見上げただけでも、その人間の背格好、服装などを覚えてしまう。その人間が縄張りや巣に近づくたびに威嚇や攻撃を繰り返すようになる」と付け加えた。
 「カラスが超低空飛行を繰り返して接近してきた場合は気を付けた方がいい。カラスにとって監視対象者になっている場合がある。後ろから足で蹴ってきたり掴みかかってきたりする場合や嘴でつついてきたり、羽で叩かれたらかなりの要注意人物になっている可能性がある」
 谷川の解説を熱心に聞いていたせいか、私は必要以上にカラスの動向に注意するようになった。うっかりカラスの巣を見て、カラスの監視対象者にでもなったら大変だ。カラスを見ても知らぬふりをして行き過ぎるように気を付けている。
 初夏の夕方、取材を終えて事務所に戻ると、ドアの前に警官が二人立っていた。
「 すみませんね。ドアを開けてもらえますか」
 メガネをかけた小柄な警官にいきなりドアを開けろと言われた私は驚いて、
 「何かありましたか?」
 と聞いた。
 警官はそれには答えず、私がドアを開けるのを注意深く見守った。
 ドアにキーを差し込み、キーを回してノブを捻るようにしてドアを開けると、警官が、
 「この部屋は大丈夫だ」
 と声を揃えて言った。
 警官は、改まった感じで私の前に立つと、
 「今日、このマンションに泥棒が入りました。このマンションの二階から五階までを対象に、人のいない部屋を狙ってベランダのある窓から忍び込み、金目のものを盗むと、ドアを鎖で施錠し、再び窓から出て行くといった手法を取っています。あなたの部屋は鎖で施錠されていませんでしたから泥棒は侵入していません」
と説明した。
 入居者が帰って来て、ドアを開けようと思ったら鎖がかかっていた。鎖は内側からしかけけられない。不審に思って管理人を呼び、鉄バサミで鎖を断ち切って中へ入ると荒らされていた、というのが今回の事件のあらましだ。二階の部屋が一番たくさん荒らされていて、侵入していない部屋は私の部屋と、たまたま入居者がいた部屋だけだった。どうして登ったのかわからないが、一番高層の十階の部屋まで、それぞれ泥棒に荒らされており、合計三十二室、金額にして約三百万円相当が被害に遭っていた。
 泥棒がなぜ私の部屋を襲わなかったのか、警官は最初不審に思ったようだが、私の部屋を一瞥して、納得した顔で立ち去った。
 本で埋もれた部屋の中、どう考えてもお金のある感じではない。さすがにプロの泥棒だ。見てすぐにわかるのだろう、ベランダにも入っていなかった。
 私のマンションだけでなく、この地域のマンションが悉く荒らされていた。集団ではなく単独で行ったものであろうと、警察の見解が新聞紙上に掲載されていた。
 流しの犯行であるとの見方が強い反面、この地域に限定して行っているところから犯人は現場を熟知している地元の人間ではないかといった見方も出ていた。
 
 ハシブトガラスが妙な騒ぎ方をし始めたので気になり、中学教師の谷川に電話をして尋ねたのが夏真っ盛りの七月のことだ。大阪の夏を彩る天神祭が近づいていた。
 「妙な騒ぎ方? 具体的に言ってみろよ」
 関東出身の谷川の喋り方を私は苦手にしている。刺々しくて温かみがないのだ。そのことを何度か注意したことがあるが、一向に直らない。谷川は谷川で大阪弁が苦手なのだ。
 「以前、言っていただろ。カラスが監視対象者を威嚇し攻撃するって。それが今まさに行われているんだよ。それも一羽二羽ではなくハシブトガラスの集団が挙ってそうしている」
 「攻撃されている人がハシブトガラスの巣に悪戯をしたか、ハシブトガラスに何かをしたんじゃないか、普通、ハシブトガラスは何でもないのに攻撃したり威嚇したりはしないものだ」
 「その攻撃されている人間なんだが、小学生ぐらいの子供なんだよ。大人しそうな子でね、とてもカラスを攻撃したり、巣をどうにかするようには見えない」
 「カラスは弱い人間を狙って攻撃する習性があるんだ。子供を狙って攻撃することは決して珍しいことではないよ」
 私が感じた違和感を正確に谷川に伝えることが難しく、言葉を濁して電話を切った。
 梅田から事務所へ向かう途中、新御堂筋を越え、東へ歩くとホテル街がある。ホテルといってもラブホテルだが、乱立しているその周辺には飲食店が多く、夜になると一気に活気づく。だが朝はまるで仮死状態といったところだ。通勤途中、私はこの街を歩いて通り過ぎる。ハシブトガラスを見かけるのはもう少し行ったところにある小さな公園で、数匹のカラスが常にたむろしている。どうやらこの公園の木々にカラスの巣があるのかもしれない。
 いつもは騒ぐこともなく、静かなカラスたちがざわめき始め、ガーガーと鳴いて威嚇し、攻撃を始めたのは七月の始めの頃だった。何かあったのではないか、持前の好奇心が働き、調査をしてみる気になった。
 集中的に攻撃されているのは、小学生の男の子だった。体格を見ると小学校中学年程度に見える。登校時間と私の通勤時間が合致して、これまでも登校途中の小学生をたくさん見かけてきた。小学生はたいてい群れを成して登校するから、単独で登校する者は少ない。その小学生もたいてい五、六人で登校している。公園から少し南へ歩き一号線を渡ったところに市立の小学校があった。
 小学生の男の子は、暗い感じこそするが腕白そうな感じではなかった。どちらかといえばおとなしい様子の男の子だ。カラスに悪戯をしたり、悪ふざけをするようにも見えない。それなのに、カラスはこの男の子が通りかかると、この男の子を狙って集中的に攻撃をしかける。
 小学校への登校路が決まっているようで、カラスに攻撃を仕掛けられても懲りずに男の子は公園のそばを通る。
 なぜ、カラスはこの男の子だけを狙って攻撃するのか、それが不思議でならなかったので、登校途中の男の子を捕まえて聞いてみた。しかし、男の子は何も語らず無言で私の前を行き過ぎた。
 
 天神祭は毎年、七月二十四日、二十五日の二日間に亘って行われる。天神祭の日は商店街、天満宮周辺が大変な賑わいをみせ、活気づく。私もこの二日間は仕事を忘れて祭りに没頭する、とはいっても単に縁日の店を冷やかしたり、天神祭の恒例行事を見物するだけのことなのだが、それでも楽しかった。
 そんなさなか、また事件が起きた。友人のデザイナーが借りているマンションが泥棒に侵入され、かなりの被害が出た。
 「窓から侵入しているんやけど、どうやって入ったんやろ。不思議でかなわんわ。こんなところ、普通はよう入らんで」
 被害を受けた友人はそう言って私に話した。友人のマンションはうちの事務所が入っているマンションと違い、かなり高級のマンションでセキュリティもしっかりしている。窓から忍び込むといっても簡単にはいかない。よほど身が軽いか、猿のような身のこなしがないと難しい。全体で三〇室が被害に合い、被害総額はかなりのものになると友人はしょげ返った声で私に伝えた。
 天神祭の熱狂を狙って起きたこの犯罪を私は許せなかった。一編集長に何ができるわけでもなかったが、犯人を逮捕しようと決意した。
 マンションの空き巣狙いに共通していることがいくつかあった。
 一つは夕暮れ時、電気が点いていない部屋が狙われるということ。二つ目は、マンションなら連続犯行が可能で一棟で数戸の部屋に侵入できるということ。侵入方法はさまざまだが、今回の場合、ベランダの窓から侵入して犯行に及んでいる。簡易バーナーで窓ガラスを焼き、熱で弱くなったガラスをハンマーなどで叩き割る手口が多いが、この地域での窓からの侵入はそうではなかった。
 マンションなどの共同住宅は同じ造りになっている場合が多い。一つの方法で成功すれば、他の部屋にも侵入することができる。今回の犯人は、窓ガラスの鍵の部分だけを割り、鍵を開けて部屋の中へ侵入している。私のマンションもそうだったが、この周辺で起きている一連の空き巣はすべて同じ手口だった。しかも襲われているのはすべてワンルームマンションばかりだ。一人暮らしは不在を確かめやすく、ベランダの鍵をかけ忘れて外に出ることも多い。またコミュニティが希薄で、少々物音を立てても誰も不審に思わない。ベランダ沿いに簡単に移動することができる、などがある。友人のマンションは高層で、十八階もあるのに、高層の部屋が荒らされていた。私のマンションも、低層の部屋だけでなく、高層の部屋も荒らされていた。低層の部屋への侵入はわかるとして、高層の部屋へどうやって侵入するのか、しかもすべてベランダから入り、窓を開けて侵入している。
 屋上へは通常上がることはできないようになっていたが、管理人に無理を言って屋上を覗かせてもらうことにした。
 「井森さん、屋上なんて水道タンクとテレビのアンテナを置いてあるだけで何もあらしまへんで」
 管理人は私の行動を訝しがったが、強引に屋上を覗かせてもらった。屋上へ続く通路のドアは簡単に開けることができた。滅多に出入りしないし、屋上へ出ようという酔狂な人間も少ないだろうからつい手薄になるのだろう。鍵をかけていたとしてもそれほど難しいものではない。プロの泥棒なら簡単に開けられる程度の鍵だった。
 屋上へ出て、どうしても見たいものがあった。私の推理に間違いがなければ、必ずそれはあるはずだった。
 そして私は屋上で予想した通りのものを見つけることができた。
 翌日、私は早めに家を出て、公園に立った。小学生の子供たちが賑やかな声を上げながら登校して行く。しばらくすると、カラスが騒ぎ出した。
 カラスはいつものように登校するその男の子を見つけると、威嚇し、攻撃を始めた。男の子は逃げるでもなく構えるでもなく、カラスの攻撃を避けながら急ぎ足で学校に向かっていた。私は男の子を追いかけ、「少しだけ時間をもらえないか」と言った。男の子は最初、首を振って拒否した。しかし、私はあきらめなかった。学校の校門に近づいたところで男の子がようやく立ち止まった。立ち止まったところで私は男の子に言った。
 「きみが犯人なんだね。どうしてあんなことをしたの?」
 男の子はしばらく下を向いていたが、やがて涙をポロポロこぼして泣き始めた。
 
 事件は解決した。犯人を見つけたのは私ではない。カラスだ。カラスは私の事務所のあるマンションの屋上に巣を作っていた。その巣を、空き巣に入った男の子がカラスの巣と知らずに踏み荒らした。巣では三羽のヒナが育っていた。親ガラスは餌を取りに行って留守にしていたのだろう。巣に帰ってきたカラスは、屋上から下へロープを使って降りる男の子を見て、巣を荒した犯人であると確認したのだと思う。
 男の子の行方を追ったカラスは、公園を通る少年を発見し、威嚇し攻撃するようになった。結局、そんなカラスの習性が今回の逮捕につながった。
 首謀者は男の子の父親と愛人だった。父親は身が軽く、運動神経のいい男の子に空き巣を強要し、男の子が拒否すると暴力を使って無理やり従わせていた。
 首謀者である父親と愛人は犯行を否認したが、男の子はすべてを白状した。男の子の体には無数の傷と痣があった。取り調べに当たった刑事は思わず顔をしかめたそうだ。
 
 天神祭は終わったが夏の暑さはその後も続いた。男の子はどうなったのだろうか。気になって仕方がなかった。カラスは相変わらず公園で男の子を待ち伏せしていた。だが、逮捕された男の子は姿を見せることはなかった。カラスは空に向かって何度か空疎な鳴き声を上げ、そのうち公園から姿を消した。
〈了〉

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