甦りし者の反逆と復讐

高瀬 甚太
 
 高校時代の恩師を囲んで、学生時代の思い出を語ろうという催しが計画され、私も幹事の一人になって運営に携わることになった。
 同窓会のようなものだが、同窓会と違うところは、クラス、学年、学校にこだわらず、恩師である山田武彦先生を慕う人たちが幅広く寄り集まるというもので、案内のハガキだけでも五百枚を超えた。
 日時を八月三十日午後3時と決め、会場は、先生の希望もあって中之島公会堂に決めた。
 水彩画を趣味とする山田先生は、中之島公会堂の風景画を描いて、所属する美術展で特別賞を得たことがある。その時の感動を忘れられないのか、中之島公会堂には一方ならぬ愛着を持っていた。
 案内書のハガキを制作し、その郵送と出欠席の取りまとめをするのが私の役割だったが、開催日まで一カ月半もあるというのに、先生の人望もあるのだろう、すでに三分の二のハガキが返送されていて、そのほとんどが出席に○を付けていた。
 
 ――八月になって温度の高い日が続いた。湿度も高く、少し動いただけで汗ばむ陽気に、私は事務所内のクーラーに浸りっぱなしで、外に出る気にもなれず、ぼんやりと過ごしていた。
 出欠席のハガキは、その頃になってもまだチラホラと届き、出席者は三五〇人を数え、欠席者の多くもハガキの片隅に、出席したいのですが、と記して参加できない理由を書き、先生によろしくと書き添えていた。
 その日の午後の便で、一通のハガキが届いた。紅いペンで出席のところを○で囲んでいるのはよかったのだが、不穏な言葉が書き連ねられていたので驚いた。
 〈積年の恨み、晴らさせていただきます〉
 積年の恨み? 晴らす?
 差出人の 名前を見ると、近藤秀忠になっている。案内書を送る際に利用した資料を手に、近藤秀忠の名前を調べた。
 近藤秀忠は私の五期下で、山田先生が担任だったクラスの生徒だった。
 山田先生に連絡を取り、近藤秀忠という生徒を覚えているか聞いてみた。
 「近藤秀忠――、思い出せないなあ」
 としばらく考えた後、山田先生は返事をした。近藤秀忠のハガキに悪意を感じた私は、同級生をたぐって電話をした。近藤秀忠がどんな生徒であったか、山田先生と何かトラブルを抱えていたか、それを知りたかった。
 同級生の一人、道下徹もまた、「思い出せないなあ」と言って、「そんな奴、いたかな?」と言い出した。また、もう一人、同じく同級生の春日寛子も、道下と同様の返事をし、記憶にないと断言した。
 しかし、資料の記録に掲載されているのだから、間違いなく近藤は在籍したはずだ。他にも当時のクラスメートに当たってみた。その中の一人、天谷君江が興味深い話を私にしてくれた。
 「近藤秀忠くんね――。いました、いました。小柄で、大人しい、目立たない人でした。病気でよく休んだし、成績も確か中ぐらいで、よくもなく、悪くもなかったと思う。お父さんが公務員で、公務員住宅から通っていたわ。と言うのも、私の家が公務員住宅のすぐ近くだったから。――でも、おかしいわね」
 天谷はそう言って電話の向こうでしばらく黙った。
 「どうかしましたか?」
 「近藤くんは確か、三年前に亡くなったはずだけど――」
 「亡くなった!?」
 「ええ、新聞に載っていたわ、確か。路上で通り魔に刺されて死亡したとニュースが伝えていて、新聞を読んで確かめたわ。名前も年齢も一緒だったから、多分、近藤くんに間違いなかったと思うけど」
 天谷は、その日時をしっかりと記憶していた。私は、天谷に礼を言うと、すぐさま図書館へ行き、三年前の、天谷に聞いた日の前後の新聞を探した。
社会面で、通り魔殺人の記事が大きく取り上げられており、死亡者として近藤秀忠の名前他二名の名前が掲載されていた。
 ――京橋駅近くの路上で、錯乱した男が包丁を持って通行人に襲いかかり、通行中の会社員、近藤秀忠さん、三島雪江さん、安藤和江さんの三人が包丁で刺殺され死亡、玄場芳郎さん、熊本佳子さんが重傷を負った――。
 近藤秀忠は、通り魔殺人で死亡していた。では、なぜ、あのハガキが私の元に届いたのか? 近藤秀忠の家族か縁者が送ったものなのか? 出席となっていたのはどういうことなのか? 積年の恨みとはどういうことなのか? いくつかの疑問が残った。
 疑問を持つと好奇心が旺盛になる性質の私は、そのままにしておけず、近藤秀忠の住所を訪ねてみることにした。
 住所は、JR塚本駅から歩いて十数分の場所を示していた。しかし、訪ね当てた場所に近藤の住まいはなかった。返信された案内状を手に、周辺に聞き込みを行った。三年前まで近藤が住所の地に住んでいたことは確認できたが、通り魔の被害に遭い、死亡した後、妻は家を売って子供と共に別の地へ引っ越していた。
 旧くからの住人が多いこの町でも、近藤の印象は薄く、近隣の人のほとんどが近藤のことを鮮明に思い出せずにいた。妻の引っ越し先を尋ねたが、普段から付き合いがなく、行き先を聞いていないと、近隣の住人の多くが答えた。唯一、近藤の住所の地から少し離れた場所にある上沢という家の住人が近藤の妻と付き合いがあり、引っ越し先を知っていた。
 近藤の妻は、子供と共に高槻市に住む両親のもとに引っ越していた。
 「ご主人があんなことになったでしょ。かわいそうでね。どうにかなってしまうんじゃないかと思うほど落ち込んでしまってね。心配した奥さんのご両親が、実家へ帰るようにすすめたんですよ。しばらく会っていないけど、三カ月前に電話で話した時は、元気な様子でしたけどね」
 私が、今から近藤の妻に会いに行くと話すと、上沢は、近藤の奥さんに会ったら、向こうの様子を教えてくれないかと言って、私に家の電話番号を書いたメモを手渡した。私は丁寧に礼を言ってその場を辞した。
 JR塚本駅からそのまま大阪駅へ向かい、普通から快速電車に乗り換えた私は、駅を出ると、南側へ向かって歩いた。地図によると、JR高槻駅からそう遠い距離ではないように思えた。
 商店街を抜け、十数分ほど歩くと閑静な住宅街に出会った。この一角に近藤の妻の実家、北野家があるはずだった。
 しかし、住所の地に北野の表札はなかった。番地を聞き間違えたかと思い、歩きまわり探したが、周辺には、やはりその名前のかかった表札はなかった。
 狐につままれた感じで私はその場に立ちつくし、近所の家を訪ねて、この辺りに北野さんという家がないかと尋ねた。だが、誰もが知らないと答え、昔から住んでいるがそういった人はいないとはっきりと答える者もいた。
交番にも行って尋ねたが、やはりその名前の家はなかった。
 どうしてだろうかと考えた。上沢に確認して記した住所に誤りはないはずだった。近藤の妻が、上沢に虚偽の住所を教えたのだろうか。だが、上沢は電話で何度か話したと言っていた。私は、急いで上沢に電話をした。
 しかし、上沢にかけた電話は通じなかった。
 ――この電話は現在、使用されておりません。
 の声が空しく響くだけだった。
 高槻駅に戻った私は、これまでの経緯を冷静に振り返ってみた。どこにもおかしな要素はないはずだった。塚本の近藤の実家を訪ね、すでに転居していることを確認した私は、近隣の家を訪ね、引っ越し先を尋ねた。だが、誰も知っておらず、少し離れた場所に住む、上沢だけが、近藤の妻の引っ越し先を知っていた。引っ越し先の住所を確認し、高槻駅で下車して近藤の妻の実家、北野家を訪ねた。だが、その地域には北野姓の家はなく、住所の地にもいなかった――。
 上沢の電話番号を聞いた時、聞き間違ったか、記入ミスを犯したのだろうか。そう思った私は、再度、塚本駅を目指し、上沢の家を訪ねることにした。
 ――上沢の家を再訪問した私は驚愕した。
 上沢の家のあった場所が空き地になっていたのだ。上沢の家を訪ねたのは、つい先ほど、1、2時間ほど前のことだ。それがどうしたことか、上すっぽり無くなっていた。一体全体どうしたことだ。近所の家に上沢の家のことを尋ねた。すると意外な答えが返ってきた。
 「上沢さんのおうちは、三年ほど前、火事に遭って家が焼けて、寝ていた家族、全員焼け死んでしまったのですよ」
 一瞬、私は放心状態に陥った。一体、何がどうなっているのか……、その時点では何もわからなかった。しかし、この時、私は不吉なものを感じた。
 
 ――八月三十日午後3時、中之島公会堂に、『教師歴四十年、山田武彦先生を慕う会』の看板が掲げられ、続々と人が集まって来た。
 私は受付に立ち、近藤秀忠の出現を待った。入場者は必ずこの受付を通り、署名してから入場することになっていた。三五〇人以上の人が集まり、会は盛況を極めた。だが、開演の時間が過ぎても近藤秀忠は現れなかった。
死人の近藤が現れないのは当然のことだったが、案内状の返信を見ている私は、近藤の出現を信じて疑わなかった。
 『積年の恨み、晴らさせていただきます』
 あの言葉は、山田先生に宛てたものか、それとも出席者に対するものか――。
 私は粘り強く近藤がやって来るのを待った。その間にも会は順調に進行した。
 その時、コツコツ……と足音がして一人の男が受付に向かって歩いてくる人の気配がした。近藤だ、と直感した私は、身構えた。何としても会場に入るのを防がなければならない。
 受付の私の前に立った男は、署名欄に筆ペンで名前を記した。
 『近藤秀忠』
 住所は、塚本になっていた。私は近藤の入場を拒否した。
 「会場に入るのはご遠慮ください」
 私の言葉が聞こえなかったのか、近藤は耳に手を当てて、「えっ?」と言った。
 「会場に入ってはいけません」
 近藤は私の目をじっと見て、怪訝な顔をしている。喜怒哀楽の抜けた近藤の青ざめた表情は、自分の死を認識していない証のように見えた。
 「近藤さん。あなたは三年前、生命を失っています。ただ、あまりにも突然の死に、納得できなかったのでしょう。あなたは、突然、霊界から人間界に甦った」
 近藤は、大きな声を上げて笑い始めた。カラカラと乾いた笑い声が響き、近藤が言った。
 「私が死んでいる? バカなことを言うんじゃない。私は生きている!」
人のなりこそしているが、近藤は明らかに死人だ。生気というものがまるでなく、声にも力がない。しかし、第三者が私と近藤の問答を聞いていると、そうは思わないだろう。私が病人をいじめている、そういう図に見えるのかも知れない。
 「あなたはこの場所に何をしに来たのですか?」
 近藤は大きく口を広げ、目を血走らせて言った。
 「復讐だよ。積年の恨みを晴らすためにやって来た」
 「復讐? 誰に復讐するつもりだ」
 近藤の顔が一瞬のうちに夜叉の表情になった。
 「学校だよ。そして恩師、同級生、先輩、後輩――。すべてが復讐の対象だ。全員血祭りに上げてやる」
 私は、近藤に向かって、大きな声で「喝!」と叫んだ。
 「近藤、夜叉になったきみは、妻や子供を霊力で死に至らしめ、妻の友人の上沢夫人をもその手にかけて火を放たせた。それどころか、妻の実家の両親をも呪いの力で死に至らしめている。いや、多分、きみは他にも多くの知人をその霊力を用いて殺めているはずだ」
 夜叉に化身した近藤に通用する言葉ではなかった。しかし、彼を戒めるには言葉を用いるしか術がなかった。
 近藤の妻を訪ねた日、私は得体の知れない不思議な感覚に襲われ、その夜、夢をみてすべてを理解した。
 通り魔に襲われ生命を失った近藤は、自分の死に納得がいかず、霊としてさ迷った。人としての魂を失った近藤は、鬼となり、自分を取り巻くすべての者に怒りを放射した。自分を愛してくれた妻を精神的に追い詰め、その両親もまた追い込んだ。妻と唯一関わりのあった上沢夫人にも怒りの矛先が向けられた。魂を失ったものに正義も悪もない。愛は憎しみに変わり、憎しみはさらに増幅して激しい怒りとなった。私は、近藤の妻を訪ねた夜、不可思議な思いに駆られながら夢を見て、それらのすべてを知った。教えてくれたのは、近藤が呪い殺した人たちだ。
 夜叉に化身した近藤の霊的パワーは強大なものになっていた。それを収めるにはどうすればいいか、私は、必死になって念じた。そして祈った。だが、効き目があるようには思えなかった。
 近藤は会場のドアを軽々と破り、私を押しのけて乱入した。
 しかし、会場の誰一人として近藤の存在に気付かなかった。恩師である山田武彦をステージに置いて、会場に集まったすべての人が、感謝と報恩の思いで結集していた。
 山田は年老いていた。しかし、その視線は教え子を慈しむ情愛に満ちていた。長い教師生活で培った偽りのない山田の愛の情念が、近藤の霊力を寄せ付けない強力なバリアをつくり、集まった人たちを守っていた。
 夜叉に化身した近藤は、それでも構わずバリアを破ろうとした。ステージの上の山田は、壇上から近藤を見て、柔らかな、まるで神のような微笑みを浮かべた。近藤は一瞬、躊躇し、ひるんだ。
 近藤を見つめる山田の目は、近藤に昔を回帰させるような温かな眼差しに見えた。高校時代の近藤は、気の弱い大人しい少年だった。そのため、いじめに遭い、登校拒否に陥ったことがあった。それを救ったのは山田だった。担任の山田は、近藤の家に足しげく通い、学校に通いたがらない近藤のために、まるで家庭教師のように勉強を教えた。山田に感化された近藤は、一カ月の短期間で学校に復帰した。その後、いじめは一切行われなかった。山田がいじめをしていた学生を厳しく諌めたことを知ったのは、卒業後のことだった。
 近藤はそのことを思い出したのだろう。山田の情愛に満ちた視線を浴びた近藤の動きが目に見えて鈍くなり、夜叉の顔が少しずつ和らぎ、気の優しい近藤の顔に変わって行った。
 魂は心の持ちようで変化する。近藤は大きな声で奇声を発すると、両手を天に掲げ、そのまま姿を消した。
 何事もなかったかのように、会は進行した。私も遅まきながら会場に入り、人の輪に参加した。
 彼は神様ではない。教祖でもない。山田先生は一介の教師だ。
 教頭になることもかなわず、校長にももちろんなれず、生涯一教師で過ごした駄目教師だ。失敗もたくさんあったし、ドジな振る舞いをして生徒を困惑させたこともある。しかし、彼ほど素晴らしい教師はなかったと誰もが回想する。愛をストレートに感じさせてくれる教師だったと誰もが口にした。やさしいが厳しかったと、多くの生徒が笑って語る。人間性が色濃く出た、最高の先生だった。
 集まった人たちは、彼に感謝はするが、決して誉めそやしはしなかった。尊敬の念は持ったが崇めたりはしなかった。ただ、集まった者たちの誰もが彼を愛した――。
 会の最期に、山田は檀上で挨拶をしながら泣いた。教師をやってよかった! 山田はそう語ってまた泣いた。会場では、山田の涙につられて泣き出す者もいたが、野次を飛ばす者もたくさんいた。野次を飛ばした者たちを壇上から山田は叱り、廊下に立っておれ! と叫んで、みんなを笑わせた。
 両腕に抱き切れない花束を抱えた山田は、大きな声で「ありがとう!」と言って会場を去った。彼の後姿を見送りながら、三五〇人余の生徒たちは、その背中にさまざまな言葉を贈った。感謝の言葉を贈る者、元気でいてくださいと祈る者、中には悪態をつく者もいた。私もその一人だった。悪態をつきながらもなぜか涙が止まらなかった。
 
 近藤の霊はその後どうなったのか。会を終えてしばらく考えたことがあったが、時間の経過と共に忘れ去ってしまった。
 山田先生の死を知ったのは三カ月後のことだ。山田先生の命を奪ったのは肝臓に出来たガンだった。七十歳になっていない死はあまりにも早すぎた。
 会を企画した者の一人は医師で、山田先生の病状を早くから知っていた。それで先日の会を企画したのだと言った。山田先生もまた、自分がガンであることを知っていたようだ。しかし、死期が近いことを知っても、山田先生に変化はなかったと山田先生の病状を知る医師が語った。いかにも山田先生らしい。その時、私はそう思った。
 通夜と葬儀に参加した。会場には入り切れないほど多くの人が詰めかけた。そのほとんどが生徒だった者たちだ。
 通夜の席で私は、感謝の念を込めて焼香した。山田先生が眠る棺を覗き、天国へ召されますようにと祈っていたら、同じように棺を見つめている男と目が合った。近藤だった。近藤は、私と目が合うと、ニッコリ笑い、棺の中の山田先生の手にそっと触れた。多分、誰にも見えていないはずの近藤の姿を眺めながら、私が、今度こそ天国へ行けよ、と声を殺して言うと、近藤はまた笑って、
 「山田先生と共に行くよ」
 と言った。
 葬儀が終わると虚脱感に包まれた。心の師ともいうべき人を失ったショックは大きかった。その後、ことあるたびに山田先生を思い出し、そのたびに笑い、泣いた。
 近藤の霊はあの日以来、見かけない。山田先生と仲よく天国へ行ったのだと思う。
〈了〉

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