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和歌心日記 14 西行法師②

嘆けとて
月やは物を
思はする

***

 あれは藤原晴家が10歳の時だった。
 晴家は街の児童館にいた。幼い頃から父を知らない晴家は、母が迎えに来るのを毎日児童館で待っていた。
 その日、母は仕事で少し遅くなるということで、他の児童が帰った後、晴家は一人児童館で待たせてもらうことになった。たまにあることだが、児童館側は迷惑そうだった。最近では勤務時間を守ることに厳しくなっており、児童館の担当者もたまたま予定がなかったから良いものの、無理矢理家に帰されてしまうこともある。

 その日、児童館には、研修で来ている女性がいた。エキゾチックな顔立ちで耳が少し尖っていた。その耳には赤色の涙形の綺麗な石のピアスが揺れていた。
 今日は、その人が見てくれるということで、晴家は児童館に残ることができたのだ。
 晴家は、飛び回って遊ぶというより、児童館に寄贈された本を読むことが多かった。寄贈された本は新刊ではなく、古い本が多く、岩波新書や明治・大正・昭和の文豪の作品、海外の名作、平安文学などがその中心だった。
 ただ、どの本も丁寧に扱われていたことがわかる装丁で、晴家はそれを片っ端から読みこなしていた。
 
「藤原くんは、偉いね。難しい本ばかり読んで」
 そのお姉さんが話しかけてきてくれた。
「晴家」
「え?」
「晴家だよ」
「あ、ごめんなさい、名前ね。晴家くんって言うのね。教えてくれてありがとう」
 お姉さんは優しかった。というより大いなる母のような気がした。
「私はキリエって言うの」
「へー」
「変わってるかな?」
「ううん。なんか人間じゃないみたい」
「ああ、日本人ではないのよ。遠くの外国出身なの」
「ふーん。そうなんだ。気にしないよ」
「あら、ありがとう」
 晴家は特に質問も浮かばず、またその本に没頭した。その時に読んでいたのは竹取物語だった。
 暫く無言の時間が続いたが、キリエが再び晴家に話しかけた。
「竹取物語面白い?」
「うーん、わかんない」
「ふふ、そうね難しいかな」
「ううん、なんか嘘っぽい」
「まぁ創作だからね。基本は作り話よ」
「うん。でも、作り話なんだけど、なんか嘘っぽい」
「直感かしらね。鋭いのね」
 晴家は良く意味がわからず怪訝な顔をする。
「ねぇ、お姉さんが本当のお話してあげようか?」
「え? 本当って何の?」
「その竹取物語よ」
「うん。この本あんまり面白くないし」
「ふふ。素直でいい子ね。じゃ話そうか」
 そう言って、キリエはペットボトルの水をゴクゴク飲んだ。その飲み方がとても妖艶で、なんだか晴家はクラクラした。

「晴家くんは、竹取物語どう思った? かぐや姫は月に帰ったのかな?」
「そんなのあり得ないよね。なにを表現しているのかなと思って」
「そうね。あり得ないわよね。だって、いまだに月に行くのはとても難しいことだしね。馬車で行けるわけないよね」
「うん」
「でも、行けるのよ。正確に言うと馬車もいらないの」
「え?」
 キリエの切れ長の眼が輝く。吸い込まれそうだ。
「かぐや姫はね、竹からも生まれていないのよ。このご両親が生まれるずっと前から既に地球にいたの」
「ええ、いつ?」
「かなり昔からね。人間の歴史が始まる頃からかしら」
「そんな前から…」
「ええ。実はかぐや姫は違う星から来たのよ。でも月でもないの」
「月じゃない違う星? そんなの嘘だ」
「嘘みたいよね。でも、そうなの。違う星が終わりを迎える前に、みんなバラバラに移住して来たの。何人かのグループで。それで、かぐや姫の乗った宇宙船は初めに月に到着したの」
「月に?」
「そうよ。でも、月には何もなくてね。暫くそこで、まるで冬眠したみたいに過ごしていたの。でも、地球がそばにあったから、それをずっと観察していた」
「なんか怖い」
「怖くないわ。安心して」
「うん」
 晴家はこの話も作り話だと分かっていながらも、続きが気になった。
「それで、私たちは、ふふふ。間違えた。かぐや姫たちは、もとの姿を時間をかけて変えていったのよ。その星に合うように。つまり人間の形にしていったの」
 晴家は聞きたいような、もう聞いてはいけないような気がしてきた。
「怖いかしら?」
 そう言って、キリエは晴家の頭を優しく撫でた。
「それで準備が整った時、地球に降り立ったのよ。仲間は地球のいろいろなところに降りていった。一つの場所だと、ほら、リスクが高いから」
 晴家はキリエを見る。キリエの耳のピアスがキラキラと揺れた。キリエが人間でないような気さえしてきた。
「それで、そこから山の中に隠れて、長い年月、その土地の言語や社会を観察した。そして、ある時、山から降りて、かぐや姫はある家の前で座っていたの」
「本当なの?」
「本当よ。多分本当。昔のことだけどね」
 まるで自分がかぐや姫かのような言い振りだった。
「それで、その家の人に拾ってもらって、育ったわ。でも、かぐや姫と違って、偉い人は求婚に来なかった。そのうち拾ってくれた両親は死に、村人もだんだん死んで、気がついたらみんな死んじゃったの。かぐや姫は仕方なく村を変えて、またある家の前に座り込んだ。今度は前より少し大きな村だった。だから、暫くすると求婚してくる人がいた。それが一人ではなく、二、三人いたかしら。でも、ちょうどその頃に月に置いてあった宇宙船から、久しぶりに彼の地から信号が届いたと知らせが入ったの。それでかぐや姫は宇宙船に一旦戻らなくてはならなかった。求婚してくれた人にはとても悪いことをしたけれど、かぐや姫は馬車ではなく、テレポートで月の宇宙船に帰った。わかる?テレポート」
「なんとなく…」
「つまり、住んでいた家から急にいなくなってしまったのね。きっと村では大きな騒ぎになったでしょうね。でも、かぐや姫からすると、大した時間じゃないし、また戻るからって言ったのよ。でも、人間からするとその時間は100年ぐらい経っていたのかもしれない。かぐや姫がようやく宇宙船からその村に戻ったときには、村ごともう無くなっていたわ」
「ふーん」
「これが真相なの。なんだかつまらない話になっちゃったね」
「うーん。それで、その後かぐや姫はどうしたの?」
「そのあとは、また別の場所に移動したわ。そこではかぐや姫ではなくて、また名前を変えて過ごしていたみたい」
「ふふ。続きはまたにしましょ。お母さんが迎えに来たようだわ」
 児童館の外に見慣れた車が止まっていた。母の車だった。
 車からぺこぺこしながら母が降りて来て、キリエと話している。
 キリエはにこにこと応じて、晴家を呼び寄せる。
 晴家は、とても不思議な気分になっていたが、また明日も会えるだろうという期待で一杯だった。

 その日の夜、晴家は夢を見た。
 キリエが宇宙船に乗っている。何千年も前の光景のようだ。暗い宇宙をどこかに向かっているようだ。何人か複数の黒い影が見える。仲間だろうか。物凄い衝撃音のあと、月に到着していた。そこからキリエはまるで浮いているように外に出て、月を観察し始めた。幾つかの影も宇宙船の中から月を観察していた。長い長い年月が過ぎた。そのうち、月の調査はそばにある地球の調査に変わっていった。まだ人間が言語をきちんと持たないようだった。また長い年月が経って、とうとうキリエたちは地球に降りることを決めた。
 ある者はエジプトへ、ある者はバビロニアへ、ある者は中国へ、ある者は日本へ、ある者はイギリスへとテレポーテーションのように宇宙船から降りていった。
 キリエは日本の地で色々な人と出会い、社会に入り込んでいった。
 キリエとよく似たある者は、エジプトに入り、神官となっていった。イギリスではストーンサークルの周りに定住する民族に溶け込んで行った。
 まるで文明の基礎に彼らが入り込んで行っているようだった。
 そこにいるキリエは無表情で、ゾッとするほど綺麗で、その切れ長の瞳に晴家はいつの間にか吸い込まれて行った。
 次に晴家の目に映るキリエは、平安時代の京都にいた。何やら神官と話している。不思議な術を使って占いをしている。その神官はうやうやしく礼をする。
 その後、また景色が変わった。何やら晴家に顔が似た貴族とキリエは部屋の一室で二人向き合っている。書物をしたためている。なんだろう、彼を見たことがある気がする。彼がキリエに近づいてくる。彼はキリエに何事か呟き、そしてキリエを抱きしめた。
 また景色が変わる。今度は外国にいる。イギリスだろうか。夜の公園で神経質そうな男と話している。彼はその月をキリエと眺めていた。その神経質そうな男が何か呟き、キリエは目を見張った。二人に良い雰囲気が流れる。しかし、晴家にはその言葉が聞こえなかった。
 更に景色が変わった。今度は現代のようだ。男の顔がぼやけて見えない。その男のそばにキリエがいる。男の前でキリエともう一人の女性がいる。どことなく母に似ている。母なのだろうか。二人の女性は見つめ合っている。というより睨み合っているようだ。
 晴家はそこで目が覚めた。なんだかリアルな夢だった。隣に母が眠っていた。確かに母の顔だった。晴家はほっとして、再び眠りに落ちていった。

 翌日、学校が終わると晴家は児童館に走って行った。
「あら、晴家くん、おかえり。元気?」
 ニコリしたキリエの笑顔がとても綺麗だった。
「夢を見たんだ、キリエの」
「あら、どんな夢かしら。聞かせてくれる?」
「うん」
 晴家はキリエの手を持っていつもの、本が置いてある部屋に入っていった。
 晴家は昨日見た夢をキリエに話した。
「もしかしたら本当なのかもよその話」
「え、夢だよ」
「エジプトやバビロニア、イギリスなんて知っていたの?」
「うーん、わかんない。何となく」
「そう」
「ねぇ、キリエはかぐや姫なの?」
「さぁどうかしら?」
「仲間は? どこにいるの?」
「どうかなぁ、もう3000年は昔の話だからね。わからないわ」
「そしたらさ、寂しくないの?」
「寂しいわよ。今はたぶん、もう私一人だもの」
「ええ、やっぱりかぐや姫なんだ…」
「どうかしら。ねぇ、私がいなくなっても私を憶えていてくれるかしら。晴家くん」
「え、やだよ。どこかへ行っちゃうの?」
「まだいるわよ」
 キリエは晴家の頭を優しく撫でた。
「みんないつも先にいなくなっちゃうから…」
「え…俺いなくならないよ。キリエのそばにいるよ」
「うん。ありがとう。昔晴明も定家も、漱石も、みんなそう言ってくれたわ」
「誰それ。知らないけど、そんな奴らと僕を一緒にしないでよ。僕は長生きするよ」
「あら、強いのね。頼もしいわ…」
 キリエは何かを思い出したように、突然涙を流した。晴家は訳もわからず、座っているキリエの手を握って、その頭を撫でた。
「優しいのね晴家は…」
 キリエは晴家を見あげた。
「あら、あなたってもしかして、藤原…いえ、いいの」
「何?」
「いいのよ。もしそうなら、こんなに本が読めるのも納得がいくわ」
 晴家はよくわからなかったが、褒められて嬉しくなった。

「お母様がきたみたいね」
 今日は昨日のことがあったのか迎えの時間が早い。晴家は残念に思った。
「また明日ね。いるよね?」
「ええ。大丈夫よ」
 晴家は先に車に乗ったが、母とキリエは何か話している。
「あなた、あの先生に何か言われた?」
「うん?別に。なんで?」
「ううん。ならいいの」
 それっきり母は黙って運転した。

 晴家は家に帰ると風呂に入り、夜ご飯を軽く食べて、布団に入った。
 もうすぐキリエがいなくなるような気がした。

続く

***

嘆けとて
月やは物を
思はする
かこち顔なる
わが涙かな

(現代語訳)
 嘆けといって月が私に物思いをさせるのだろうか。いや、そうではない。本当は恋の悩みだというのに、まるで月のせいであるとばかりにこぼれ落ちる私の涙であるよ。

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