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雨と宝石の魔法使い


私は川を氾濫させ、小さな川を不幸の激流に変えた。

山の上から流れる小さな源流を破壊の土砂崩れに変えた。

湖を溢れさせ、ダムを全て決壊させた。

仕方がなかった。

望まれていたことでもあり、みな眼を背けることでもあった。それで喜ぶヒトもたくさんいるし、たくさんのヒトが泣いた。

そういうことが、永く生きている私の役目だ。

***

「ねぇ、最近あの子調子に乗ってない?」
「わかるぅ〜、四方さんにも色目使ってさ。あのぶりっ子ほんと嫌んなるよね」
「なんかバチがあたらないかなぁ」
「ねぇ、雨宮さんもそう思わない?思うでしょ!」

またこいつらは仕事もせず、仕事のできる同僚を陰で責めている。実害を与えないといいが。

私は彼女たちが飲んでいるコーヒーの水を苦くした。これくらいは瞬きをすればできる。

「あれ?なんか苦くない莉央?」
「ほんとだ、なんか分量間違ったかな。まぁいいや、休憩終わるし戻ろっか」
「でもムカつくな。これも山中のせいだ」
「ね、今度なんか意地悪しちゃおっか」
「イイねイイね」

私はため息をついた。くだらない人間がそばにいると疲れる。しかし、最近のヒトは総じてレベルが落ちた。2000年前の方がもっとましであった。

そろそろこのコミュニティも潮時かもしれないな…
露々(ルル)は独りごちた。

***

私はその夜、青信号をサファイアに、黄色信号を金に、赤信号をルビーに変えた。いや、そう見えた。

雨のもやで眼鏡が曇る。雨のせいだけではなかった。何をしてもうまくいかない時はいかないのだ。

彼氏の遼一から突然別れを告げられ、呆然としていた帰り道、私の作成した仕様書にミスがあったとのこと。そのまま生産ラインが進み、大量のミスプリント製品が出来上がってしまったという電話が製造先の工場長からあった。

もはや挽回不能の状態だ。我慢していた心が決壊し、涙が溢れ出た。

夜道に映る信号機は涙の雫でまともに見えず、その光はまるで宝石のように輝いていていた。
こんな時に綺麗だな…なんて場違いなことまで考えた。

私は傘をささぬまま道を歩き、大きな橋に差し掛かった。
橋を両側を綺麗なブルーのライトのアーチが飾っている。恋人同士が相合傘をして川を見下ろしている。幸せそうに肩を寄せ合いながら。

私はその少し先で橋の下を覗き込んだ。結構高い。


楽になれるだろうか…
そう思った。 

「おい」
誰かが声をかけてきたような気がした。
しかし周りには誰もいない。気のせいか、それとも幻聴か…。再び私は橋の下を見つめた。

「おい、無視するな」
今度はハッキリと聴こえた。
振り向くと同僚の雨宮さんが傘もささずに立っていた。

「どうしたの、こんなところで」
「それは私のセリフだ」
「え。なんで」
「おおかたくだらぬことでも考えていたのだろう」

「何言ってんのよ」
見抜かれている。会社で普段こんなに鋭い眼をしていたっけ?
「お前はバカか。少しは見込みがある方だと思っていたが」
「は、何よいきなり!」
「そこまでの人間だったか。残念だ。まぁどうでもいいが」

「あんたにな何がわかるのよ!私だって知らないわよ、なんで急にこんなことになるのよ。私はほんとにバカな同僚を、うっとおしいあいつらを無視して、今まで努力したのに。しかも遼一まで」
私はなぜか雨宮さんに当たってしまっていた。

「彼氏か?、同業の」
「うるさいわね」
「最後に製品を発注したのは誰だ?」
「え…」
「よく考えろ。全ては繋がっているのかもしれないぞ」
「そ、そんな、遼一が。え、まさか…」
「じゃあな」
そう言うと雨宮さんは歩いて行った。雨が降っているのに、なぜかどこも濡れていない。どうしてだろう。

翌日。私は課長に呼び出された。
「山中くん、大変なことになったな。どう始末をつけるんだ」
「はい、仕様書は私のミスですから」

「ちゃんと確認したんだろうな。一人で全てやる手順ではないはずだ」
「はい、莉央ちゃんにも見てもらってます」
「二人とも見落としたのか…」
「かもしれません。でも作った私のせいですから」

「とりあえず、相手先に確認してきなさい」
「わかりました」
私は工場に向かった。

「あいつ莉央ちゃんの名前出してたよ」
「まじ!やばいかな」
「でも、自分のせいって言ってた。とりあえず静観したら」
「うん、なんか言われても山中主任のせいだし。うまくやるわ」

「で、話は変わるけど、遼一さんとはどうなの?」
「イイ感じよ。なんか彼女と別れたらしい」
「チャンスじゃん」
「なんか自分のミスをうまいこと被ってくれそうなんだって、元彼女が」
「え、それって山中さんじゃないよねまさか?」
「え、違うでしょ流石に」
「でも、前にこっちに来てたとき、山中さんと楽しそうに話してたよ」
「え、ほんと。まぁでもなんにせよ別れたみたいだしさ。もう関係ないよ」
「そうだね」

やはりな。いつの時代にもあることだ。最近は手口が巧妙になりつつある。これで消えていくヒトもたくさんいる。所詮弱き者は滅びる運命なのだ。

しかし、目の前でやられるのを見過ごすほど私は優しくない。

***

工場に着くと、事務所が慌ただしかった。
「あの、アポ入れた山中ですけど、工場長は?」
「あ、詩織ちゃん。今遼ちゃんと、あ、いや、四方さんと御社に慌てて出て行たみたいですよ。入れ違いになっちゃったかな」
事務員の良くしてくれる年配の女性が答える。私は訳が分からず会社に電話したが、課長は来客中とのことで出ない。仕方なく、再び会社に戻ることにした。

会社に戻ってみると、何人か同僚がいない。
課長が私を呼んだ。
「山中くん、ちょっと来てくれ」
私は会議室に入った。
入ると、工場長と遼一がいた。

「山中くんのミスではなかったみたいだ」
「実はリリース製紙の四方さんが一つ前の段階の仕様書で工場に発注してしまったそうなんだ。最後の確認をうちの道端さんがしたらしいのだが、キチンと確認せずゴーサインを出してしまったらしい」
「申し訳ありませんでした。ほんとに」
遼一と工場長が課長に謝っている。目の前のその景色が何故だか私には遠くに感じられた。
「とりあえず、リリース製紙さんのほうで再納品してくれることになったから、君は納期の遅れを申し訳ないが、各小売店に連絡してくれ。

***

自席に戻ると、莉央が泣きながら小売店に電話で謝っている。当たり前だ。責任は彼女と遼一にある。

そういえば、今日雨宮さんは休んでいるようだ。
私は自分の責任でないことを確認できて安心したが、遼一のことも、莉央のことも、なんだか会社そのものもバカバカしく思えた。

***

帰り道。途中で雨が降ってきた。私は傘をさしたが、眼鏡が雨粒に濡れて、歩道の青信号がキラキラと光ってみえた。しかし昨日より美しくは見えなかった。

「晴れやかな顔をしているな。雨だがな。ふん」
「雨宮さん。今日はお休みだったんですね」
「ああ。会社を辞めてきた」
「え?」
「ああ、そろそろ潮時だった。最後に洗い流してやった。いろいろな」
「え…」


「私と来るか?」
「え…」

「幸運は気づいた時には逃しているぞ」 
「いや、そんなこと言われても…」
「ヒトはそうして早く死ぬ方を選ぶ。ありふれていることだかな。まぁいい。ではさらばだ」
雨宮さんはそう言うと私から離れて行った。やはり傘もささずに。

私は少しして、彼女を追いかけた。

***

「え、君が辞める必要はないんだぞ山中くん」
「はい。でも誰かが責任を取らないとならないなら、それは私かなと。大丈夫です私は」
「い、いや…」
課長は責任の所在を上から問われているのだろう。言いながら安堵の表情をしていた。これで一切未練は消えた。
私は会社を出た。莉央が私を見ている気がしたが私は一切見なかった。

「イイのか?ほんとに」
「ええ、未練はないわ」
「宝石屋なんて売れるか分からんぞ」
「ええ。でもいいの。新しいことやりたいから」
私は雨宮さんが新たに出展する宝石店の雇われ店主として再出発することにした。そんな財力があるのに、彼女はなんでOLとして働いていたのかは不明だ。
しかし、私は抗えない魅力をあの時の彼女の眼に感じたのだ。

こいつはいつまで持つだろか…まぁいい。ヒト族の短い人生だ。しばらく遊んでやるとしよう。

「おい、これをおまえにやろう。開店祝いだ」
露露は雨の雫のような形のダイヤモンドを彼女にプレゼントした。

「え、いいんですか?」
「あぁ何かとお前を守ってくれるだろう」
「あ、ありがとう」

お前の涙で出来ているのだ。遠慮するな。露露はニヤリと笑った。
山中詩織の手の中でその涙のダイヤモンドはいつまでもキラキラと光っていた。


私は雨と宝石の魔法使い。雨宮露露。
誰にも気づかれず、今日も世界を支えている。


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