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生きとし生けるもの。

『生きる』をさせてもらってます、慈雨と申します。

これまで、よく分からなかったこと。
いまもわからないかもしれないけれど、まぁいいや。
存在することは出来てるのかもしれませんし、出来てないのかもしれません。

それはどっちでもいいとおもいます。どっちでもあり得ることだから。

どこを汲み取るか?なのかもしれませんね。

生きるということは、慈雨にとってとても辛いことでした。あんましたくなかった。
だけど、生きとし生けるものがあるお陰で、ここまでこれていまがあります。
これからも、生きとし生けるものはなくなるわけではありません。なので、慈雨もこれからも存在するんやとおもいます。
生きとし生けるものがなくなるときが、慈雨がなくなるときなのだとおもいます。
この世界はぜんぶ繋がって(?)存在しています。
どちらが、というわけではありません。
どちらもあるのです。
この視覚的ビジョンがなくなるときが全てがなくなるときだとおもいます。


これからがたくさん生き方について問われるのだとおもいます。
存在するものを大切にするのが慈雨の役目だと思います。
存在するとは、メニミエル世界、メニミエナイ世界どちらに関してもです。

生きる場所がよく分からなかったのかもしれません。決めなければ良かったと思います。
決めないといけないと思ってました。
決めることは大事なときもありますが、それは制限を設けることでもあります。
何でも良いじゃないかというのとも必要だとおもうし、
うん、生きれるように生きれたらよいと思います。

この世界はぜんぶ繋がっています。すべてひとつで。なので、ひとつも欠けてないと思うんですよね。欠けないでもいい。
全て整っている。
欠けたら欠けたで良いかもしれないけれど、それは澱むことになるし、完全体にならないし、出来るなら存在していてほしいとおもいます。

自然があることは素晴らしいと思います。ほかのものもあっていいとおもいます。

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生きるって何?

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