元彼が出家した日②

(〜前回のあらすじ〜
出会い系アプリで出会った彼は、何やら様子がおかしかった。まるで霊視をしているように僕のことを見てくるため、僕は意を決して「幽霊でもみえるんですか?」と尋ねてみたのだった。)

「よくわかったね!」

彼は今までで一番明るいトーンで答えた。

まさか本当に見えるとは思っていなかったため、僕は少し面食らってしまった。

ちなみに僕は幽霊の存在を信じていなかった。

ただ、それは今まで心霊現象を体験したことがなかったからで、身近に見える人がいるというのならそれは話が別である。どのような感覚で何が見え、何が聞こえるのかとても興味があった。

「えっ、本当に幽霊見えるんですか!僕に何かついてます?」

「あ、いや、正確には幽霊が見えるというわけではないんだ。ただ波動を感じることが出来るだけで」

どうやら幽霊が見えるわけではなかったらしい。

波動を感じとれる…なるほど、ルカリオか。

「えっと、、それはオーラのようなものですか?」

「まあ、そんな感じかな。実は俺、◯◯(有名な某新興宗教)の信者なんだ。それで…」

彼の言うことを整理するとこういうことらしい。

彼はとある宗教の信者である。その宗教では光の法なるものを説いており、彼も善い波動・悪い波動を感じ取れるようになった。

そして僕から出ている波動があまり善いものではないような気がしたため、より詳しく分析するために返答が上の空なことがあった、というわけである。

どうやら僕から出ていた"あくのはどう"が彼を混乱させていたようだ。

今思い返せばかなり失礼な話である。
だが、この時僕はこう思ってしまった。


…この人、今まで会ったことのないタイプの人だ。おもしろい。


「見えるってどんな感じなんですか?色とかそういう感じなんですか??」

「いつからそういうのを感じるようになったんですか??」

「そこの宗教ではどんな教えがあるんですか??」

気付けば次々と口から質問が飛び出していた。そして彼もそれらに答えることが嫌そうではなく、一つ一つ丁寧に回答してくれた。


彼はこの時こう言っていた。

「現代では唯物論的な考え方をする人が多い。それが非常に残念だ。」と。

そして、どうやら僕が彼に幽霊に関する質問をしたことが彼の心を開くきっかけになったようだ。

この人は唯心論的なものの見方ができる人だ、と思ったらしい。

ゆいぶつろん、ゆいしんろん…?

正直当時は何のことだかちんぷんかんぷんだった。

僕は、彼の世界に霊的な存在が当たり前に存在していると気付くことができただけで、個人的にそれらの存在を信じているわけではない。

だが、相手が自分のことをポジティブに誤解しているのならば、わざわざ下方修正するために弁明する必要もないだろう。

そう思い、僕は分かった風を装うことにした。

この日は宗教に関するあれこれや、波動や霊に関する質問を繰り返して終わった。

そして、帰り際にまた次も会おうという約束を取り付けたのだった。


お付き合い

僕らはそれからちょこちょことラインをするようになった。

話の流れで彼の誕生日がもうすぐであることを知った。(ちなみに僕は一定以上好感を抱いている人には誕生日を聞くという習性がある)

次に会う時には誕生日プレゼントを用意しよう。

僕はそう決意したのだった。

とはいえ、付き合っているわけでもないのにあまり高価なものを贈るのも違う気がする。

僕は頭の中でプレゼントの条件を列挙した。

・リーズナブル
・ある程度実用性のあるもの
・コンテンツ性のあるもの
・正の波動が出ていそうなもの

当時流行っていたもので、この条件を満たすものが一つあった。

そう。

『修造カレンダー』

波動というものを一切感じ取ることができない僕だが、それでもこれだけは断言できる。

このカレンダーからは明らかに正の波動が出ている、と。

松岡修造は天候さえ容易に変えてしまえる漢なのだ。

きっと彼も喜んでくれるに違いない。

当日。
僕は少し緊張しながら誕生日プレゼントを彼に手渡した。

彼は少し驚きながらも笑って受け取ってくれた。

彼はどうやら喜んでくれていたようだ。

プレゼントの甲斐あってか、僕らは終始和やかなムードで過ごす事ができた。

特段宗教絡みの話もしなかったし、ご飯を食べたり散歩をしながら他愛もない話をして帰路に着いた。

その夜のことである。

スマホを見ると彼から不在着信が入っていた。

えっ、なんの前触れもなくいきなり電話??
なんだろう…。

不穏な気配を感じた僕はすぐさま折り返しの電話をかけた。

ラインの呼び出し音が鳴る。

−そういえばこのメロディ何拍子なんだろう。

そんなどうでも良いことを考えていると彼が電話に出た。

「電話に出れなくてすみません。どうかしましたか?」

「あ、いきなりごめんね。あのさ…」

妙に痛々しい沈黙が広がった。

多分僕は察しが良い方だと思う。どのくらい察しが良いかというと、彼が僕ではなく幽霊を見ていることに気付けるくらいには察しが良い。実際に彼が見ていたのは幽霊ではなく波動だったが…。

故に分かってしまった。彼が何を言おうとしているのかを。

−きっと告白だ。

最初に好意を抱いたのは僕の方なのに、何故だか胸がとてもザワついた。

一緒になれたら嬉しいと思うのに、望んでいた形まであと一歩なのに、どうしても覚悟が決まらない。

多分、当時の僕は自己肯定感が低かったが故に、人から好意を向けられることを受け入れられず、この状況を気持ち悪いと思ってしまっていたのだと思う。

どうすればこの気まずい沈黙を、この胸のざわめきを乗り越えられるのだろう。

頭の中が目まぐるしく回った。

小説だったらきっと永遠のように感じられていたであろうこの気まずい沈黙も、僕にとっては一瞬のことのように感じられた。

「◯◯(僕)君の事が好きです。付き合って下さい。」

素直に嬉しいと思えない自分が悲しくてもどかしくて、強い共感性羞恥に襲われたような居た堪れない気持ちになってしまった。

もしこれがゲームだったら、きっと僕はここでリセットボタンを押していたと思う。

でもこれは現実で、僕が好意を寄せている人が勇気を出して僕に想いを伝えてくれたのだ。

僕も覚悟を決めて応えなければならない、そう思い、僕は言葉を絞り出した。

「…ありがとうございます。よろしくお願いします。」

こうして僕らは付き合うことになったのだった。

電話を切った後、僕は嬉しさと気持ち悪さが入り混じった複雑で切ない気持ちになった。

1人目、2人目の元彼に告白された時はここまで複雑な気持ちにならなかったのを思い出し、僕は彼らにそこまで好きと思われていなかったこと、そして実は僕がそれを本能レベルで感じ取っていたことに気が付いたのだった。

物差しのズレ

結果から言うと、僕らは約1年もの間お付き合いをした。

良い思い出と悲しい思い出の両方があるが、彼と付き合って1番良かった事は、僕が無意識に繰り返していた精神的な自傷行為に気付き、それをなくす事ができたという点である。

長くなるので割愛するが、僕にとって大学1年から3年までの間は人生で最も辛かった時期で、その頃僕は何度も本気で死ぬ事を考えていた。

ある事をキッカケに最も辛い時期を乗り越える事は出来たものの、この時期に取り憑かれた希死念慮は彼と付き合っている間も拭い去る事が出来ないでいた。

彼とお付き合いしていた当時の僕は、なにも本気で死のうと考えていた訳ではなかった。

ただ、生きるのに疲れると『死にたい』という言葉が頭をよぎり始めるのだ。

もし僕が死んだら誰が悲しんでくれるだろう。
比較的親交のあるアイツは涙を流してくれるのだろうか。いや、誰も悲しまないかもしれないな。

ありとあらゆるパターンを想定しては自分を傷つけ慰める、ということを繰り返していた。

その時の僕にとって生きるという行為は、足のつかないプールで身体に重りをつけながら泳ぐ感覚に似ていた。

疲れが溜まり、泳ぐことがしんどくなると、身体を休めるために動きを止める必要が出てくる。

動きを止めると身体はプールの底へと沈んでいき、呼吸がどんどん苦しくなる。

しかし同時に、泳ぎをやめたことによる疲労回復の心地よさも身体を包み込むのだ。

呼吸は段々と苦しくなるが、我慢できるギリギリのラインまで身体を休めれば、あとは浮上して泳ぎを再開させる事ができる。

これが僕にとって生きるという行為だった。


僕はこれを無意識の内に、日常的に行っていた。


ある日、僕は習慣化している心の呟きを口に出してしまい、それを彼に聞かれてしまった。

「はぁ、死にたい」

すると彼はこちらがビックリするぐらい慌てながら

「どうしたの!?」

と尋ねてきた。

僕はそれを単に、オーバーリアクションだなぁと思う程度にしか考えていなかった。

そんな深刻な呟きではない、という事を彼に伝えなければ。

そう思い僕は釈明をした。

「あぁ、ごめんなさい。いつも疲れると『はぁ、死にたい』って思うんですけど、でも別にそんな深い意味はないから気にしないで下さい。」

これできっと彼も胸を撫で下ろすはずだ。
なんだ、それなら大した事はないな、と。

そう思って発した言葉だったが、結果としてこれは彼の不安をさらに煽っただけだった。

「えっ、そんなに普段から『死にたい』って思う事があるの!?」

「普段っていうか、毎日のように思いはしますけど、でも本気で死のうとしてるわけじゃないですし、これって普通じゃないですか?」

「…それ、普通じゃないからやめた方がいいよ。普通の人はそんな毎日のように『死にたい』なんて思わないんだよ。」

この時僕はとても衝撃を受けた。

まさか、死にたいという言葉を日常的に考えることが普通じゃないなんて…、と。

彼は更に言葉を続けた。

「まず、死にたいって心の中で言うのをやめた方がいい。もし言いそうになったら、無理矢理でもいいから『自分は今◯◯だから幸せだ』って言い聞かせるんだよ。慣れてきたら幸せな気持ちになれるよう徐々にコントロールもしてみて欲しい。」

彼の真剣な眼差しに僕は困惑した。

まだ心の中に、これは本当にごくありふれた感覚であって病んでいるとかそういうのでは決してない、という思いがあったからだ。

「えぇー、そんなこと言われても…。ほら悲しい映画をみて感動する事があるじゃないですか、あの感覚に似てるんですよ。悲しい気持ちに浸ってはいるんですけど、でもどことなく満足感もあるような感じというか。」

だが、彼は納得せず、諭すようにこう言った。

「それはよくない事だよ。怒りも悲しみも、負の感情を手放す練習をしないと、いつまで経っても負のループからは抜け出せないんだよ。」

「俺も手伝うから一緒に練習しよう」

そこまで言われて僕はハッとした。

もしかしたら僕は本当に普通でない状態に陥っていて、破滅への道を歩んでいたのかもしれないと思った。

彼の言っている事は心理学の授業で耳にした認知行動療法というものに似ている気がするし、そこまで彼が言ってくれるのならば騙されたと思ってやってみるのも悪くないかもしれない。

そう思った僕は、その日以降『死にたい』と考える事を意識的に止めるようにした。

そして代わりに、日常に溢れる些細な事を見つけては自分に幸せだと言い聞かせるようにした。

−景色が綺麗で幸せだ
−ご飯が美味しくて幸せだ
−音楽を聴くのが楽しくて幸せだ

正直心の底から幸せだと思えてはいなかったが、1ヶ月ほど経つとこれが自然と習慣になっていた。

そして驚いた事に、心が沈んだり『死にたい』と考えたい衝動に駆られる事もほとんど無くなっていった。


どうやら、僕が普通だと考えていた『死にたい』と考える習慣は、彼が言うように普通ではなかったようだ。

僕は彼のおかげで気付くことができた。

知らず知らずのうちに僕の物差しはズレてしまっていた、ということに。

そして僕は先ほど、生きることを足のつかないプールで重りをつけて泳ぐことに例えた。

しかし、僕は彼のおかげで気付くことができた。


僕の身体を縛り付けていた重りなんて、実はどこにもなかったということに。

(続く)

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